安物自転車の自負 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 (一)

 ひとりで所沢へ出かけた。本を探すのが目的で、練馬から電車で向かったのだ。そこは最近できた中古本屋で、目的の本を首尾よく手に入れ、気分が良かった。店を出ると、スーパーのダイエーが目に入った。自転車をみようと思った。

 一か月ほど前、自宅の玄関前に止めてあった自転車を盗まれたのだ。盗難は初めてのことで、驚いた。反面、ホッとしていた。かれこれ十三年も乗った自転車で、あまりにも外見がみすぼらしくなっていた。この夏にスプレーでシルバーに塗装をしたのだが、数日後にブレーキのワイヤーが切れた。タイヤも磨耗しすぎて中の繊維が露出していた。粗大ゴミに出さなければと思いながら、そのまま放置していたものだった。塗装直後なだけあり、一見、良さそうに見えたのだろう。

 いい自転車があれば買うつもりでいた。おりしも、プロ野球の日本シリーズが終わったばかり。巨人が四対〇で西武に圧勝。なのにダイエーで「日本シリーズ感動をありがとうセール」なるものが行われていた。要は、口実さえつけられれば、何でもいいのだ。今どき、なりふりなどかまってはいられない。

 一万五、六千円くらいは覚悟していたのだが、抜群に安くていいのがあるではないか。これしかないと思い店員に買う旨を告げ、自宅の住所を伝えると、店員の顔が急に曇った。

「お客様、誠に申しわけございません。練馬は配送区域外なのです」

 と言う。一瞬、硬直してしまった。お金を払うから何とかならないかと食い下がったが、どうにもならないという。

「先日も練馬の方だったのですが……」

 仕方なく諦めた。

 書籍売り場でも眺めようかと思い、エレベーターで七階を目指した。スケルトンのエレベーターで外の景色がよく見渡せる。澄み渡った秋晴れのもと、武蔵野の大地が一望できた。遥か彼方には筑波山までくっきりとしている。昨日の新聞に、「東京に木枯らし一号」という見出しがあった。それにしても広大な関東平野だなと思いながら、地平線に目を凝らしていた。

 もしかしたら、イケルかもしれない。時計を見ると午後一時を少し回っていた。書籍売り場で文庫版の地図を購入し、カロリーの高そうな牡蠣フライ定食を大急ぎで食べ、再び自転車売り場に戻った。

 午後二時、私は晴れ晴れとした顔で、六九〇〇円の自転車にまたがっていた。少し遅い時間だが、何とかなるだろうと思った。マラソン選手だって四十二キロの道程を二時間ちょっとで走る。こちらは自転車で時速二十五キロ前後、日没までには勝負がつくだろうと踏んだ。

 西武池袋線に沿って走れば大丈夫だろうと思ったが、線路に沿った道はなかった。幹線道路もない。ダメかなと思っていたところ、地図の中に緑色の線で練馬所沢線なるものをみつけた。国道でも県道でもない、いわゆる市町村道というやつらしい。ネーミングがうってつけではないか。地図帳の五ページにわたり、やたらクネクネ走っている。

 出発して百メートルと進まないうちにY字路にぶつかった。どちらへいっていいのか、判然としない。さっそく道を訊くことになる。なんとも心もとないスタートである。方向感覚はいい方ではない。

 時間がないと思うとスピードが上がる。予想以上の悪路である。狭い歩道で、しかもコンクリート製のドブ板の上を走る道なのだ。バタバタという音と振動がひどい。日曜日の狭い車道は、車が数珠繋ぎになっている。これはまいったと思ったが、走り出してしまった以上、いくしかない。急な下り坂はあったが、恐れていたような上りはなかった。

 やがて右手に柳瀬川が見えてきた。小さな川だが清流である。時間があれば降りて川面に近づきたいような小川だった。その川に沿ってしばらく走るうちに、本流の空堀川を渡り清瀬市(東京都)に入る。順調だと思いきや、気象衛星センターなる立派な建物が出現した。もの凄くビックリした。立ち止まって地図を眺めても、私が走っているであろう道路沿いに、そんな建物はない。いつの間にか違う道に入り込んでしまっていたのだ。分かれ道はなかったはずだったが、と思ったがどうにもならない。

 戻る時間を惜しんでそのまま軌道修正を図ろうとするが、目標物のないだだっ広い畑の中に出てしまった。わけもわからず迷走しているうちに、新座市(埼玉県)になってしまった。やっと目標物となる野火止(のびどめ)用水を見つけ、それに沿って走る。だが、気づくと二キロも逆走しているではないか。情けない限りである。

 地図からは判然としがたい角度の狭いY字路がとても多い。そのたびに立ち止まり、地図をきた方向に向けたりしながら考える。

 さあ、どっちに進もう。人生の岐路だな、などと大袈裟なことを思いながら、選んだ道のほとんどが、間違っていた。まるで自分の人生のような気がした。そのたびに振り出しに戻る。ひどい地域だなと腹立たしく思いながらも、本当は自分の運のなさに苛立っていた。

 

 (二)

 信念を貫き通せば、道は自ずと開けてくるはずなのだが、私の選んだ道はやがて細くなりT字路にぶつかったとたん、忽然(こつぜん)と消えてしまうのだ。今走っている道も、農家の家の前に出そうな袋小路、戻るしかなかった。

 陽は次第に傾いてくる。気持ちは焦る。時間のロスは許されない。とにかく、人に訊くに限ると思い、片っ端から訊きまくった。駐車場の警備員、主婦、若い女の子、工事現場のおっさん、自転車に乗っている中年男性……。地図を差し出し、「ここはどこですか」と訪ね、位置確認をする。地図をもっている意味がほとんどなかった。

 路上で首を傾げながら地図を見ていると、通りがかった年配のオジさんが地図を覗き込み、あれこれと教えてくれた。結婚式帰りの酔っ払いのオヤジまで「字、小さいな」と言いながら、「とにかく左だ。ぜんぶ左へいけ」と、恐ろしくいいかげんなアドバイスをくれた。多くの人が地図を見ても、すぐにわからないのには驚いた。とにかくこの辺は、幹線道路がなく、細い道が入り組んでいるのだ。

 目標とする建物も、かなり消失していた。たとえば、交差点にコンビニがあるはずなのになくなっている。改訂されてから半年も経っていない地図なのに。ガソリンスタンドも見当たらない。

 市街地は人も多いので安心なのだが、人通りのない道をひた走っていると不安が増大してくる。本当にこの道でいいのだろうか、と。自分を信じろと言いたいところだが、怪し過ぎて当てにはならない。

 見知らぬ街で途方に暮れるという経験は、久し振りである。それを楽しむ時間的ゆとりがないのが残念であった。

 確信できた道は猛スピードで駆け抜けた。間違いないと思っていたはずなのに、今度は、木立の中に入ってしまった。鬱蒼とした樹林が広がる。しだいに方向感覚も失いかけていたとき、後ろから自転車の女子高生に抜かれた。下り坂で結構なスピードである。思わず追いかけ並走した。

「すいませーん。道を教えてもらいたいのですけど……」

 自転車を止め地図をかざしながら、変なオヤジだと思われないようにバカ丁寧に懇請する。必死であった。

「ここはどこですか。この緑色の道に出たいのですが」

 と地図を差し出す。縋(すが)る思いである。

 しばらく首をかしげていた女の子が、

「アッ! これ、黒目川。この先です。通り道ですから、一緒にいきましょう」

 と笑顔で言われ、四十二歳(二〇〇二年当時)の心臓がドキンとした。とにかく変なヤツだと思われないように、かしこまってついていく。

「どこへいくんですか」と言うから、練馬と答えるとビックリしている。仕草が爽やかである。「えー? どこからきたんですか」。都会の子にしては人懐っこい。冗談を言う余裕もなく所沢からだと言うと、自転車がひっくり返るほどのけぞってくれた。数分間の道連れではあったが、とても気さくでかわいらしい女の子だった。

 黒目川の見えるすぐ手前で、ここで大丈夫ですかと、なんとも優しい。ぜんぜん、大丈夫ではなかったが、弾みでありがとうございましたと答えた。私は、少年のように緊張していた。私があと二十歳も若ければ、きらめく出会いだったのに、と突拍子もない青年の心が顔を出す。

 女子高生というと茶髪、化粧、携帯、ルーズソックス、ミニスカ、太股と連想する習慣が出来上がっていたので、新鮮だった。世の中には、こんな普通の女子高生がまだいるのかと思い、嬉しくなった。

 数時間の間に、これほど知らない人に声をかけ、会話をしたことがこれまであっただろうか。何かとても爽やかなものを感じた。体の中に清流が流れ込むような爽快感だった。声をかけた人が、みな親切だったからよけいなのかもしれない。

 その後、東久留米市(東京都)を抜け、西東京市を走りに走って、練馬区に入った。安心したのも束の間、大泉でまたひどく迷ってしまった。石神井(しゃくじい)川だと思って走っていたら、白子川だったのだ。何とか石神井に辿(たど)り着き、環八(かんぱち)(環状八号線)と目白通りが交差する谷原(やはら)の交差点に出て、ホッとした。

 私は、清瀬で道を間違えてから、とうとう最後まで軌道修正ができなかった。あとでじっくりと地図を辿ってはみたものの、どこをどう走ってきたのかわからない。途中、小金井街道も走っていた。点としてはわかるのだが、それを繋(つな)ぐ線が見当たらないのだ。

 玄関前で自転車を降りたら、ひどくふらついて尻餅をつきそうになった。考えてみると、ほとんど休まずに走っていた。自転車の籠(かご)に入れていたお茶は、一口飲んだきりであった。

 空には、西日の残光がわずかにあり、青色の時間に差しかかろうとしていた。

 オレにだってできるんだ、大仕事をなし終えた自転車が、堂々と胸を張っていた。もうオレのことを安物だとは言わせない、という自負が漲(みなぎ)っていた。数時間前に買った物とは思えないような愛着を覚えた。何か、こいつとはいい付き合いができそうな気がした。

 

「自転車買ってきたぞ!」

「エッ、どこで」

「所沢のダイエー」

「へェー、いつくるの?」

「イヤ、もう、そこにあるよ」

「そこって、どうして……。エーッ!」

 

 見知らぬ街の光景とそこで出逢った人々の余韻が、今も自転車の感触に染み込んでいる。

 

  2002年12月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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