仕事がら、毎年十二月に年末調整にたずさわる。それが憂鬱でならない。
私の手元に『はじめての人にもよくわかる年末調整の仕方と一月の源泉徴収事務』という長ったらしいタイトルの冊子がある。
滅入るわけは、次の抜粋からご理解いただきたい。
《「課税される給与所得金額」とは、「年末調整等のための給与所得控除後の給与等の金額の表(別表第五)」(以下「給与所得金額の算出表」といいます)により求めた給与所得控除後の給与等の金額から社会保険控除額、小規模企業共済等掛金控除額……〈略〉の合計額を控除した金額をいいます》
《特別障害者に当たる控除対象配偶者または扶養親族で、受給者またはその配偶者もしくは受給者と生計を一(いつ)にするその他の親族のいずれかとの同居を常況としているひとを「同居特別障害者」といい……》(句読点は原文のまま)
こんな調子の説明が延々と続く。この冊子を真剣に読んで、内容がすらすらと頭に入ってくる人を、つくづく頭のいい人だと思う。内心、バカではないかと思っているのだが。このたぐいの文章は、読んでいる途中でついつい別の考えごとをしてしまい、壊れたレコードのように同じところを何度も繰り返し読む羽目になってしまう。小林秀雄、大江健三郎の文章どころではない。
年末調整に先立って、毎年、税務署が大きなホールを借りて説明会を行う。説明の前に短いビデオを見せられるのだが、その時点で出席者の三分の二は意識を失う。奇跡的に第一ステップをクリアーできた人がいても、後に続く税務署員の説明に耐え得る人を見たことがない(私自身、確認できない状況に陥っている)。税務署員は、その辺の下手な催眠術師より、はるかに凄腕である。
だが、税務署の上前をいくものがある。パソコンの付属説明書だ。数文字も読み進まないうちに、コレハ、ドコノクニノコトバデアラウカ……思考が停止する。こちらの解読システムがダウンしてしまうのだ。短気な人は「バカヤロウ!」と怒鳴りつけ、説明書を放り投げる。
たとえば、文章中に無造作に「DSU」という言葉が出てくる。調べると、《デジタル回線(DDSまたはTI)へのインターフェースとして機能するDCE装置》とある。それでDCEとは何かとなると《通常はモデムを指す》とくる。モデムとは《端末またはコンピュータと電話回線との橋渡しをするデバイス》と。デバイスとは……ここまでくると私も冷静ではいられなくなる。
これではいけないと気を取り直し、最初に戻って、今度はインターフェースを調べる。《二つのエンティティが情報をやりとりできるようにするためのプロシージャ、コード、及びプロトコル……》、執拗(しつよう)に挑発してくる。ここで私も説明書を投げ出す。最初に調べようとしていた事柄が、何だったかさえわからなくなっている。
パソコンのヘルプ機能を使っても、さっぱりヘルプの用をなさない。仕方なく、パソコンショップの店員や会社にくるメーカーの営業マン、保守サービスの人などをつかまえては疑問をぶつけるのだが、その説明がまったく理解不能なのだ。わかりましたといって早々に話を打ち切る。わかったのは、お前が何を言っているのかまったくわからないということが十分よくわかった、という意味である。頭が悪いからわかりやすく説明できないのか、訊く方がバカだから理解できないのか、そんなことすらどうでもよくなってしまう。
考えてみれば、どうしてテレビが映るのか、電話はどうしてあの細い線をとおって声が聞こえてくるのか(携帯電話など線すらない)、まるで理解できない。家の中も外も電波だらけで、身体に悪いのではないか、そんなことを心配しているようだから、やはりこちらがバカなのだ。
なんだか情けなくなり、どこか人里離れた自然の豊かな中で、隠遁(いんとん)生活をしたくなる。温泉人気や今はやりの「癒し系○○」などは、こんな世の中に端を発しているのではないか。
パソコンの前にすら座れない中高年者の気持ちがよくわかる。一緒に俳句でもやりませんか、などと声をかけたくなる。
先日の新聞に、
「この夏は、TDL? それともUSJ? あなたはどっち?」
とあった。またパソコンのことかと身構えたら、東京ディズニーランドと大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンのことだった。
最近、こういう文字が氾濫している。何ともいえぬ不快を覚えるのは、若さが萎(な)えてきた証拠だろうか。
四十歳を過ぎた今、私もれっきとした中年オヤジである。でも自分ではそのことに納得してはいない。若手オヤジと称し、通常のオヤジとは一線を画している。はたから見れば、他愛のない抵抗なのだろうが。
2001年7月 初出 近藤 健(こんけんどう)
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