私は、かなりの「あがり症」である。
見知らぬ大勢の人を前にスピーチをする場面では、とたんに平常心を失くしてしまう。動悸(どうき)が強くなり、顔が上気してくる。手が震え、脚が震え、唇が震え、声が震える。話をしている途中で頭が真っ白になり、話の内容が尻切れトンボで終わってしまうのだ。若いころに比べると、鈍感になってきたせいか、いくぶんマシにはなってきている。だが、過剰ともいえる緊張は、相変わらずである。
試しに「あがり症」を検索してみると、「あがり症(社交不安障害)とは……」と出てきた。「えッ? あがり症は精神疾患なの?」と思わず身構えた。
社交不安障害は「性格ではなく、治療可能な精神疾患であり、放置すると鬱病などを併発することもあるため、早期の専門医への相談が重要です」とある。そんなことを言ったら、学習発表会(かつての学芸会)で緊張しまくっている多くの小学生は、みな病気なのか? と言いたくなる。
以前に驚かされたのは、喫煙者についての記述だった。「嫌煙権」という言葉が勢いづいてきたころ、喫煙者が、「ニコチン依存症患者」と言われるようになっていた。そのころは私もたばこを吸っており、ギョッとした記憶がある。ニコチン依存症とは、「薬物依存症の一つで(略)自らの意思で禁煙をすることが不可能になり、永続的に喫煙を繰り返すという精神疾患を指す」とあった。かつての「愛煙家」は、今や「精神病者」なのかと、衝撃を受けたのだった。
そんなあがり症の私だが、三十代のころ、結婚披露宴の司会が趣味だったことがある。長年、総務の仕事をしていたので、社員の披露宴の司会をやるように、と上司から言われたのだ。嫌も応もない。それが始まりだった。
一般的な披露宴の司会のセリフを調べ上げ、台本を作って丸暗記した。全部覚えると余裕が生まれ、アドリブが効くようになる。言い間違えや多少のミスがあっても、
「私の声の震えがおわかりかと思います。実は、新郎・新婦以上に緊張しておりまして、演台の陰の脚がガタガタなのです」
と言って、演台を小刻みに震わせて見せる。失敗を逆手にとって笑いに結びつけるのだ。強い緊張を、いい方向にコントロールできるようになっていた。そんな素人丸出しの司会が思いのほか好評で、続けざまに司会を引き受けていた。あるホテルでは、土・日限定でアルバイトをしないか、と密かに誘われたこともあった。これを仕事にしようか、と図に乗りそうになった。スピーチの基本的な骨格がしっかり頭に入っていると、何とかなることがわかり、自信に繋(つな)がった。
六十五歳で会社を辞めた後、マンションの管理人の仕事をしている。午前中だけのアルバイトだ。
二か月に一度、管理人を対象とした講習会がある。私は新人なので、初めて出席する講習会の冒頭で挨拶があると言われていた。
講習会場に入ると、七十人近い爺さんが席についていた。その光景に圧倒された。明らかに私は若かった。ただ、私はハゲなので、必要以上に老けて見られる。だから、迷彩服姿で紛れ込むように、その集団に違和感なく溶け込んでいた。
簡単な自己紹介をしたあと、このまま席に戻るのも芸がないという思いが、ふとよぎった。なぜ、そんな思いになったのか、自分でもよくわからない。そして、
「こうして皆さんが一堂に会している姿は、ある意味、壮観な光景です。事前に伺ってはいましたが、驚きました。なんだか、大きな病院の泌尿器科の待合室のようですね」
私は、ドッと受けることを期待していた。だが、小さな笑いは起こったものの、思ったほどではなかった。肩透かしを食らったような格好になった。さて、この後どう締めくくろうと思ったとたん、強い緊張が襲ってきて、頭の中が白い霧で覆われた。やむなく、そそくさと切り上げたのである。相変わらずの自分に、ガッカリした。
いくらいいネタがあっても、それを言うタイミングや話の速度、声のトーンがかみ合わなければ、すべてが台無しになる。わかってはいるが、強い緊張がそれを阻害する。このあがり症、治す薬があるのなら、飲みたいものである。
そういえば、結婚披露宴の司会を盛んにやっていたころ、会場に来賓を迎え入れる直前、私は緊張の極にいた。そんな私を見かねたスタッフのチーフが、「飲みますか」とウイスキーの水割りを持ってきてくれたことがあった。以来、事前に水割りをもらい、演台の内側に隠し持つようになっていた。
今にして思えば、それが私の上がり症の薬だったのだ。ただ、結婚披露宴以外では、なかなか飲むことのできない薬なのだが。
2026年5月 初出 近藤 健 (こんけんどう)
ランキングに参加しています。
ぜひ、クリックを!
↓
■ 近藤 健(こんけんどう) HP https://konkendoh.com
■『肥後藩参百石 米良家』- 堀部弥兵衛の介錯人米良市右衛門とその族譜 -
http://karansha.com/merake.html
□ 随筆春秋HP http://zuishun.net

