こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break 別邸 ~ essence of essay ~

2000年、40歳を機にエッセイを書き始めました。2001年からは、北日本石油㈱のHPの片隅 Coffee Break Essay のコーナーで、順次発表させてもらっています。そんなエッセイが200作を超えました。そこで、時系列に並んでいる作品の中からランダムにチョイスし、改めてここに転載することにしました。題して「Coffee Break 別邸」。時間の堆積の中に紛れ込んでしまった作品をつまみ出し、虫干しをかねて少し新しい風を入れてやろうと思います。たあなたの琴線に触れる作品が見つかれば幸いです。

なお、加筆している作品もありますが、本文の内容は基本的に初出の時点です。また、文中の数詞は、縦書き仕様のままとなっています。

テーマ:

 仕事をしていてふと顔を上げると、窓の外に白い浮遊物を目にするようなった。六月に入る数日前からのことである。タンポポよりもよほど大きい。何かの綿毛だ。まるで無重力の中を漂うように、気の向くままに浮遊している。ネットで調べて、それがポプラの綿毛であることがわかった。

 実は、高校時代にこの光景を同じ札幌で見ていた。長い歳月の中ですっかり忘れていたのだ。かつて、大陸からの引揚者が、ハルビンの風物詩として、街中に綿毛が飛ぶという話を何かで読んだことがある。中国の方は、ヤナギの綿毛のようだ。

 浮遊する綿毛を眺めながら、いかにも北海道だなと感じる。ゴールデンウィークに桜と梅が同時に咲いて、そのあとは百花繚乱といった様相を呈する。この時期、特に目立つのがライラックだ。香りを感じて顔を上げると、ライラックが咲いている。東京にいたころ、春まだ浅い季節に、どこからともなく漂ってくる沈丁花の香りがあった。香りが季節の移ろいを知らせてくれる。

「家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きてあるらし」

 とは、歌人吉井勇の歌である。札幌医科大学の医師だった渡辺淳一の「リラ冷えの街」を夢中になって読んだころが懐かしい。リラとはライラックのフランス語名である。

 数日前に、滝川市に菜の花畑を見に行ってきた。青空のもと、地平線の遥か彼方まで広がる黄色い大地は、壮観である。遠い山はどこまでも青く、食塩のように真っ白な雪を冠している。そうか、北海道は桜と梅が終わってから、菜の花なのかと改めて気づく。順番がメチャクチャだ。とにかく準備が整ったものから一気呵成に咲かなければ、すぐにまた冬がやって来る。多少の順番の入り繰りなど、気にしてはいられない。

 紫陽花は、七月下旬から八月にかけて咲く。秋風が吹き始めてもまだ咲いているのもある。十月に咲く紫陽花に、愕然としたものだ。ドライフラワーになってしまった紫陽花は、即身成仏を連想させる。そんな物悲しい光景にも、すっかり慣れてしまった。

 私は学生時代を京都で過ごした。新緑の永観堂を訪ねたことがある。この世のものとは思えない、目にも鮮やかな青色の紫陽花が飛び込んできた。六月の雨に打たれ静かに輝いていた。

「オー、ハイドレンジア」

 という女性の声が背後から聞こえ、振り返るとアメリカ人の老夫婦が足を止め、息を呑むように見入っていた。雨に打たれる紫陽花を見ると、なぜかその時の光景が甦る。永観堂といえば十一月の紅葉だが、六月の紫陽花も忘れがたい。

 落葉樹が一斉に芽吹き、初夏の日差しに輝く六月。長く閉ざされた冬から解き放たれ、すべての生が一気に躍動する。

 北海道が輝く季節を迎えている。

 

   平成三十年六月

 

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 先日、近所の床屋へ行ったときのことである。そこは従業員が四、五名いるスーパーに併設された床屋なのだが、その日は、初めて見る年配の男性が私を担当した。散髪が終わり、レジで会計をしようとしたとき、

「お客さん、カードありますか」

 その男が人の良さそうな笑顔で訊ねてきた。

(カード?)

 私は一瞬、何のことかわからず、小さな戸惑いを覚えた。すると、レジのところに立てかけてある案内プレートが目に入った。そこには、「六十五歳以上の方は、シルバーカードをご提示ください」と記されていた。

 現在、私は五十八歳なのだが、ここ五、六年の間に派手に年齢を間違えられる場面に出くわしている。そんなことが重なるうちに、いちいち反応するのも面倒になり、「出たー」と思いながら黙殺している。

 私の服装がいけないのか。メガネが地味なのか。色々と考えたが、やはり顔に問題があるのだと結論付けている。私は二十代の中ごろから、三十二、三歳に勘違いされていた。つまり、七、八歳年上に見られていたのだ。そのころはまだ、私の髪の毛も普通に生えていた。それが、いつの間にか残念なことになっている。だが不思議なことに、ハゲが年齢誤認を増長することもなく、若いころと変わらず七、八歳の年齢差をキープし続けているのだ。それがなぜなのか、大いに首をひねるところである。

 そもそもあからさまな年齢誤認は、室蘭の銭湯が始まりだった。私は銭湯が好きで、平成二十三年に東京から室蘭に転居してからというもの、週に二度は近所の銭湯にかよっていた。銭湯へ行くようになって一年半ほどが過ぎた時だった。番台に座っていたいつものバアさんが、身を乗り出すようにして、

「お客さん、何歳?」

 唐突に私の年齢を訊いてきた。

「オレ? 五十二だよ」

 と言うと、

「あら…… 若いのね」

 と言うなりバアさんは顔を赤らめ、肩をすぼめた。若奥さんとはよく話をするのだが、それまで一度も話しかけてこなかったバアさんだった。風呂に入っている間中、何でババァ、オレの歳を訊いてきたんだ? と考えてみたが、納得のいく答えは見つからなかった。バアさんに面と向かって「なんで歳を訊いてきたの?」と尋ねるのも抵抗があった。悶々としながら銭湯を後にした。玄関を出て何気なく振り返ると、入り口に貼り紙があった。入るときには気づかなかったものである。そこには雄渾な字で「本日、敬老の日。六十五歳以上の方は入浴無料です」と墨書されていた。

 その時の衝撃は大きかった。八十歳を超えたバアさんとはいえ、五十二歳の私が六十五歳以上に間違えられたのだ。言葉を失くした。

 それから二年後、さらなる衝撃が私を待っていた。

 私は二年間の室蘭での生活を終え、札幌に転勤になっていた。三年前に脳梗塞を発症した母がふるさとを引き払い、妹とともに札幌にいた。その後大腿骨を骨折した母は、長時間の歩行が困難になっていた。日曜日は母と妹を車に乗せ、ドライブへと誘い出す。寝たきり防止のためである。当時、母は七十九歳だった。

 ある日、ドライブがてらスキーのジャンプ台がある大倉山シャンツェへ行ったときのことだった。ジャンプ台に上る前に、ふもとのオリンピックミュージアムに入ってみた。札幌オリンピック当時の展示物を見てみたかったのだ。

 受付には四十代と思しききれいな女性がいた。私は母の車椅子を押していたのだが、母を見た女性が、

「年齢証明をお持ちですか。高齢者割引があります」

 と教えてくれた。あいにく何も持ち合わせがなかったのだが、生年月日を言ってもらえればそれでいいという。大腿骨を骨折してから認知症が出始め、耳も遠くなっていた母には、私たちのやり取りが理解できていない。妹が母の耳元で、

「母さん、生年月日、言えるかい」

 と促したところ、母は、

「昭和十年五月……」

 スラリと言ってのけた。幼子を見守るような笑顔でその様子を見ていた女性が、

「はい、いいですよ。では、シルバー二枚と大人一枚ですね」

 朗らかに言った。

(シルバー……)

 そのとき妹が、間髪を入れずに、

「ハイ、それでいいです」

 と言って入場料を払ってしまった。場内に入るやいなや、妹が腹を抱えている。小便を漏らすほどの勢いで笑っていた。年寄りから間違えられたなら笑っていられるが、ちゃんとした大人の女性から正々堂々とヤラレたことに、私は少なからぬ衝撃を受けていた。この一件を境に、私はいかなる誤認に遭遇しても微動だにしない、という体質ができ上ってしまった。

 母はどこからどう見ても年相応の八十代にしか見えない。スーパーの試食コーナーを通りかかると、決まって声をかけられる。

「ご主人もどうぞ」

 イメージチェンジに髪型でも変えてみたいが、肝心の毛がなければどうにもならない。よく行く近所の場末のスナックでも、年配のジイさんから敬語で話しかけられる。何度正しても、信じてもらえない。敵もしたたかに酔っ払っているから、糠に釘なのだ。最近では先輩ズラで、会話を楽しんでいる。

 この先、私はどうなってしまうのだろう。電車の席で向かい合わせになった人、病院の待合室、街を行きかう人、そういう人々から水増し年齢の目で見られ続けるのだろう。悲しみを突き抜け、もはや滑稽である。そういうことを楽しんで生きるのも悪くはないな、となかば諦念(ていねん)の境地である。

 先日、たいした買い物もしていないのに、スーパーのレジの女性が買い物カゴをレジ横のサッカー台(袋詰めをする台)まで運んでくれた。そんなことが続けてあった。

 近々、またなにか起こりそうな予感がする。

 

   平成三十年五月

 

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 昨年末に田中クンからりんごが届いた。田中クンは、高校からの四十年来の友達である。

 五年ほど前から、岩手県花巻市の農園経由でりんごが届くようになった。だが、私の住所の番地が間違っているので、毎回宅配便のドライバーから確認の電話が来ていた。

 最初の年は、そのままにした。親友とはいえ、もらい物をして、誤りを指摘するのがはばかられたのだ。だが、翌年も間違っていた。言おう言おうと思いながら、ついつい機会を逸し、さらに二年が過ぎた。

 一昨年、田中クンと飲んでいる最中、突然、住所のことを思い出した。そしてついに誤りを伝えた。だが翌年、またドライバーから電話がかかってきた。田中クンも酔っ払っていたので、住所変更を忘れたのだ。私の住所は農園に登録されているのだという。

 その日、私はたまたま留め置きしていた荷物をヤマト運輸の営業所で受け取っていた。それから一時間もしないうちの電話だった。私は外出していたので、帰りに営業所に立ち寄ることをドライバーに伝えた。

 帰り。小さな営業所で一人留守番していたおばちゃんにその旨を告げた。するとおばちゃんがあちらこちらを探し始めた。事務所の棚には荷物がなく、バックヤードを出たり入ったりしながら、首をひねっている。そして、ドライバーにも電話をかけ始めた。だが、荷物の所在はわからなかった。外は雪なのに、おばちゃんの額には大粒の汗が浮かんでいた。見ていて気の毒になってきた。私も約束が控えていたので、次第に気が急()いてきていた。

 そのうちにおばちゃんが、閃(ひらめ)いたとでも言いたげな顔で、

「お客様のスマホに着信、ありますよね。電話番号、教えていただけますか」

 と言った。電話番号簿をしばらく睨んでいたおばちゃんの顔が、パーッと明るくなった。そして、うちのドライバーではないと断言した。その瞬間、おばちゃんと私の形勢が、逆転した。送り状の番号を確認してみますからと言って、私は慌てて田中クンに電話した。

「田中、オマエ、オレに何を送った?」

 と訊くと、意外な答えが返ってきた。りんごだというのだ。私はのけぞった。りんごは、毎年佐川急便が運んできていた。ヤマト運輸を出たばかりで電話を受け取ったので、私はヤマトだと思い込んでしまったのだ。しかも、田中クンのご母堂が最近亡くなっていた。私は田中クンが香典返しを送ってよこしたのだと思い込んでいた。りんごは頭になかった。

 私は潔く敗北を認め、平謝りに謝って、営業所を後にした。後味の悪さが残った。

 佐川の営業所は近所にあった。荷物を受け取った私は、その足でヤマトへと向かった。何事かと怯(ひる)むおばちゃんにりんごを押し付け、足早に車に乗り込んだ。玄関先に立つおばちゃんの姿がミラーにあった。よく見ると涙を拭っていた。手元にあったりんごを齧(かじ)ると、口の中一杯に甘味が広がった。冬の味がした。

 

  平成三十年四月

 

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 三十年も前の話だが、母が千歳空港の駐車場でマフラーを拾ってきたことがあった。入れ違いで出て行ったベンツが落としていったもので、気づいて追いかけたのだが、そのまま行ってしまったという。

 妹が調べたところ、それはエルメスのマフラーで、定価が十五万円だというのだ。そのマフラーは私がもらい受け、いまだに愛用している。とはいえ、私はブランド物には、まったくといっていいほど頓着がない。

 昨年の十一月下旬、母と妹を車に乗せて、ドラッグストアに立ち寄った。札幌に大雪が降った日のことである。

 買い物を終えて車に戻ると、妹が雪の中から小銭入れを拾い上げ、

「拾っちゃった。ここに落ちてた」

 といいながら雪を払っていた。お店に届けてくるから待ってて、という妹を押し留めた。ドラッグストアで買ったものを一旦自宅に持って行き、今度はスーパーで買い物をしなければならない。いきなり積もった三十センチの雪と近づく夕暮れに私の気が急いていた。しかも、小銭入れは古びており、中には一二〇円ほどの小銭しか入っていなかった。そんなわけで、いいだろうと判断したのだ。

「これソメスサドルだよ。落とした人、ショックだろうな、高いから」

(何だ? その自転車の椅子みたいな名前は)と思いながら小銭入れを見ると「SOMES」という小さな刻印があった。後ろめたい、という妹の言葉を振り払うようにして、私は車を出した。

 スーパーでの買い物を終え、三人で夕食を摂った。会計をしようとレジで財布を出したのだが、小銭入れが手に触れない。改めてリュックの中を確かめながら探したのだが、どこにもない。背中に会計待ちのお客の視線を感じ、あせり始めたときだった。アッ! と思った。「あの小銭入れは、オレのか?」という思いがよぎった。

 そばにいた妹に小銭入れを見せろと言って手に取ると、小銭入れの小さなポケットに古びた十円玉が一枚入っていた。

「これ、オレのだ!」

 そう言ったときの妹の顔は、これ以上はムリと言わんばかりの最大級のあきれ顔だった。私は自分の財布がわからなかったのだ。あのとき、ドラッグストアに届けなかったのは、結果として正解だった。もう少しで自分の小銭入れを拾って、それを落し物だといって届けるところだった。

 この小銭入れ、どこで買ったのかも覚えていない。ただ、小銭入れのくせに生意気な値段だなと思ったのだった。飛び抜けて高かったわけでもなく、ほかの小銭入れとたいして変わらない値段だった。

 ちなみに古びた十円玉は、私が生まれた昭和三十五年の十円玉である。たまたま目にし、別にしておいたのだ。それがなかったら、最後まで気づかなかったかもしれない。

 

   平成三十年三月

 

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 私が敬愛する作家には、料理作りに傑出した人が何人かいる。立原正秋や檀一雄がその代表選手だ。

 檀一雄は、女優檀ふみの父親である。最後の無頼派と呼ばれた作家で、太宰治や坂口安吾、織田作之助らと親交があった。それゆえ、生活は破天荒(はてんこう)だった。

 独身のころ、檀一雄の代表作である「夕日と拳銃」が読みたくて、神田神保町の古本屋街を歩き回ったが、とうとう見つけることができなかった。ほかの著作を何作か見つけたが、いずれも一万円以上の値がついており、買えなかった。

 そのうちに全集を扱う店で、檀一雄全集を見つけた。本棚の最上段に整然と並んだ本は、全八冊で七六〇〇〇円という値札が下がっていた。何ヵ月もその全集を見上げていたが、とうとうボーナスで買ったという経緯がある。次にその店を訪ねたら、新たな檀一雄全集が並べられており、八四〇〇〇円の値札が付いていた。

 会社の社宅が空いたので、上司から入居を打診された。社宅といっても、プレハブ住宅に毛の生えたような、古くて汚い二世帯の住宅である。当時、私は杉並区和泉のボロアパートに住んでいた。むかし、ドリフターズの「八時だよ、全員集合」に出ていた長屋のようなアパートだった。だがそこは、京王線の明大前駅に近く、都心へのアクセスは抜群によかった。それゆえ、練馬には大きな抵抗があった。

 練馬の社宅周辺を調べていると、檀一雄宅の近くであることがわかった。もうそれだけで、二つ返事で承諾した。檀一雄はすでに亡くなっていたが、それでもよかった。檀一雄に高じていた私は、娘がもの心ついたころから、私のことを「チチ」と呼ばせていた。それは、檀一雄がふみら子供たちに呼ばせていたことに倣(なら)ったものだった。

 やがて、周りの子が「パパ、パパ」というようになる。娘も私のことを「チチ、チチ」と呼んでいたが、長じると人前では「チチ」と言わなくなった。他人と違うけったいな呼称が、恥ずかしくて言えなくなったのだ。悪いことをしたと悔いたが、あとの祭りだった。

 檀一雄のエッセイに触発されて、何度か料理を作ったことがある。男の料理ながら、その繊細さに憧憬(どうけい)にも似た思いを抱いていた。なかでも簡単に作れるイカ料理は、今でも思い出したように作っている。

 料理は得手(えて)ではない。二十七歳で会社の独身寮を出、一人暮らしを始めた。外食に飽きて自炊を始めたのだが、料理というにはほど遠い代物を作っていた。深刻な野菜の摂取不足を憂い、電話で実家の母にほうれん草のおひたしの作り方を訊いたことがあった。

「あんた……」

 母は、そんなものも作れないのか、という驚きと不憫(ふびん)さの入り混じったため息をついた後、その声は涙声に変わった。以来、二度と母に料理のことは訊いていない。

 私は、料理が苦手である。だが、娘が小学二年生のとき妻が精神疾患に陥って、家事の一切を引き受けることになった。当然、料理も作らなければならない。妻が入院している間、娘と二人だけの食事が始まった。そのとき、私はとんでもない料理を数多く作った。見た目がひどく、味も悪い。しょっぱすぎる。甘すぎる。味がない。全体的に焦げ臭い。万事、こんな調子だった。これまで料理をしてこなかったので、当然、失敗する。料理のセンスがなかった。

 電車と地下鉄を乗り継ぐこと三本、片道一時間の通勤であった。大急ぎで会社から帰ってきて、慌てて夕飯を作る。疲れ果てた青白い顔で、無我夢中で台所に立っていた。

「ゴメン、また、失敗しちゃった」

 といって見た目の悪い料理をテーブルに並べる。そんな夕食を、娘は嬉しそうな顔で食べる。

「チチの料理、おいしいね」

 娘のそんな声を聞きながら、私は自然体を装うようにして天井を仰ぐ。あふれる涙をぬぐっていた。気を抜くと嗚咽(おえつ)しそうになった。

 長い闘病生活の中で、高校生になった娘の弁当まで作っていた。娘は朝が苦手だった。十二年半の病気との生活の中で、なんとかそれなりの料理はできるようになった。結果的に妻と別れるのだが、料理に困ることはなくなった。苦手なことには変わりはないが。

 やがて娘も結婚し、会うのは年に一度になってしまった。久しぶりに娘と過ごすことがあると、

「ねえ、おにぎり作ってよ。あれ、おいしいんだよね」

 甘えた声で夜食をねだってくる。

「太るぞ」

 といいながら、重い腰を上げ台所に立つ。濡れた掌(てのひら)にサッと塩を塗り付ける。久しぶりだが、手がその感触を覚えている。小さめのおにぎりを握りながら、そっと涙をぬぐう。

 立原正秋や檀一雄に傾倒することがなかったら、ここまで頑張れなかっただろう。七六〇〇〇円の全集は、私の持っているどんな本より高価ではあったが、優れたテキストでもあった。そういう意味では、いい買い物だったのかもしれない。

 

   平成三十年一月

 

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 札幌から一四〇キロ、小樽へ出て日本海沿いに函館方面へと南下したところに、寿都はある。「すっつ」と読む。同じ後志(しりべし)管内に留寿都村という類似の地名があるが、こちらは「るすつ」だ。北海道の地名は一筋縄ではいかない。

 今年(平成二十九年)の二月、エミから、

「今度の土曜日、寿都へいくんだけど、行ってみる?」

 と訊かれ、二つ返事でOKした。寿都は行ったことのない土地だった。冬の日本海が見たかった。それと、これまでに何度もエミから聞いていた、ビヤを実際に見てみたかった。

「え? ビワ? ビア? ビアー?」

 何度も訊き返したビヤとは、「美谷」である。正式には、「北海道寿都郡寿都町(すっつちょう)歌棄町(うたすつちょう)美谷」だ。住所の中に「町」が二度登場するが、誤表記ではない。北海道の住所は、そういうことになっている。エミの生まれ育ったふるさとだ。エミとは昨年の九月に、友達の紹介で出会っている。

 この美谷に、エミの幼なじみの吉野夫婦が営む「かき小屋」がある。この「かき小屋」もエミの話の中で何度か出ていた。私のふるさと様似(さまに)は、日高昆布の生産地である。昆布漁師は収穫した昆布を保管する昆布小屋を持っている。美谷も牡蠣(かき)が採れる地域なので、採った牡蠣を剥(む)いたりする作業場が牡蠣小屋なのだろうと勝手に思っていた。だが、「かき小屋」は牡蠣を食べさせてくれるお店だった。お店といっても、造りは小屋である。

 この「かき小屋」で、昼ご飯を食べた。一度にこれほど大量の牡蠣を食べたのは、初めてのことだった。食べ過ぎて、腹が破裂した。牡蠣が豪快だった。いや、豪快な牡蠣だった。肉厚な牡蠣がスルリと食道をすり抜け、胃袋に落ちていく。スルスルと際限なく入っていった。

 窓の外はすぐに海である。横殴りの雪が降っていた。二月の日本海が波頭を崩しながらしぶきを上げる。いつ高倉健が出てきてもおかしくはないロケーションだ。実際、映画「駅‐STATION」のロケ地、銭函(ぜにばこ)も増毛(ましけ)も雄冬(おふゆ)も、寿都を北上した同じ海岸線沿いにある。

 この「かき小屋」で、両隣にいた客が豪快に牡蠣の食べ放題をやっていた。スコップで運んできた牡蠣を鉄板の上に放り出す。あきれるほど山盛りの牡蠣を蒸して食べるのだ。両隣とも若い客だったので「今、食わなきゃ、いつ食べる」といった勢いで食らいついていた。とてもマネのできるものではない。驚嘆の面持ちで眺めていると、一句浮かんだ。

「隣の客はよくカキ食う客だ」

 一句でもなんでもない、単なる早口言葉だ。後日、この一文をフェイスブックに挙げると、すかさず東京の友達が切り返してきた。

「カキ食えば金がなくなる本州じゃ」

 当意即妙(とういそくみょう)の返歌である。

 

 初めて訪ねる土地は、何もかもが新しい。かつてそこで暮らしていたエピソードなどを聞きながら眺めると、なんの変哲もない風景がにわかに色を帯びてくる。

「私ね、もの心ついたときにはトンガ(鍬(くわ))持って、畑にいたの」

「ここの岩場で、よく岩のり、採ったわ」

 国道から脇にそれ、山に向って急な坂道を登り切ったところに、エミの通っていた小学校がある。車がのけ反るほどの急勾配だ。学校はかろうじて残っていた。すでに廃校となった校舎は、漁師の漁具置場になっていた。

 エミがかよっていた当時は、全校生徒が四十名を切っていたという。一、三、五年生と二、四、六年生がそれぞれ同じ教室の複式学級である。エミの学年は七人。エミは今どき珍しい七人兄弟で、下から二番目だ。兄弟姉妹がこの二教室に何人いたのだろうか。あれから四十数年、この学校に集った子供たちは今、どこでどうしているのか。廃屋同然になってしまったこの校舎もまた、やがてはフェードアウトするように消えていく風景の一つに違いない。

 

 坂道を振り返ると、日本海が眼下に見下ろせる。学校へ上る坂道であるこの通学路は、まさに「登校」というにふさわしい小径(こみち)だ。坂道の下の国道では、一日に数本のバスが走っている。本当にバスが来るのかと心配になるようなバス停が建っている。それは、どこから見ても古びた物置小屋にしか見えない。この小屋の中で寒さに耐えながらバスを待つ老婆の姿が目に浮かんだ。

 せり出した山が海に落ちる、そんな風景が延々と続く。山と海の境界線上を国道が縫って走る。人々は、その際(きわ)にしがみつくようにして暮らしている。海からの風が、容赦なく吹き付ける。寿都はなにもかもが風に晒(さら)されている。

 「かき小屋」の横に、木を組み上げた大きな櫓(やぐら)がある。寒風に晒されたシャケが、まるで歯を食いしばるような形相で何本もぶら下がっていた。そのシャケを毟(むし)って瓶詰にしたものが吉野商店の「鮭寿(けいじゅ)」だ。深い味わいが口の中に広がる。うまみ成分の凝縮は、歯を食いしばって頑張ったシャケと、丹精を込めて作った人との融和のなせる業(わざ)だ。また、干したシャケをスライスした「鮭の風泙(さけのかざなぎ)」は、風泙大明神が鎮めた風によって作られたという謳(うた)いである。風泙大明神とは、歌棄の厳島神社に祀られている風を鎮める神様だ。

 ここは人間が快適に暮らすには程遠い場所である。だが、人々の妙な人懐っこさが懐かしく、心地よかった。美谷に来て、エミのことが少し、わかったような気がした。エミの言っていたことが現実離れしているように思われたが、実際に来てみて納得できた。

 暖かくなったら、もう一度訪ねてみたい。寿都の歌棄の美谷

 

   平成二十九年十二月 

 

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 先日、母と妹を車に乗せて、ドラッグストアに立ち寄りました。札幌にドカンと雪が降った日ですから、11月19日のことです。

 買い物を終えて車に戻ると、妹が雪の中から小銭入れを拾い上げ、

「拾っちゃった。ここに落ちてた」

 といいながら雪を払っています。お店に届けてくるから待ってて、という妹を押し留めました。ドラッグストアで買ったものを一旦自宅に置きに帰って、今度はスーパーで買い物をしなければならなかったのです。いきなり積もった30センチの雪と近づく夕暮れに私の気が急(せ)いていました。しかも、古びた小銭入れで、財布の中には120円ほどの小銭しか入っていなかったので、いいだろうと判断したのです。

「これソメスサドルだよ。落とした人、ショックだろうな、高いから」

(何だ? その自転車の椅子みたいな名前は)と思いながら小銭入れを見ると「SOMES」という小さな刻印がありました。後ろめたいな、という妹の言葉を振り払うようにして車を出したのです。

 スーパーでの買い物を終え、3人で夕食を摂りました。いつものレストランです。会計をしようとレジで財布を出したのですが、小銭入れが手に触れないのです。改めてバッグの中を確かめながら探したのですが、どこにもありません。背中に会計待ちのお客さんの視線を感じ、あせり始めたときでした。アッ! と思ったのです。「あの小銭入れ、オレのか?」という思いがよぎったのです。

 そばにいた妹に小銭入れを見せろと言って手に取ると、小銭入れの小さなポケットに古びた10円玉が一枚入っていました。

「これ、オレのだ!」

 そう言ったときの妹の顔は、これ以上はムリと言わんばかりの最大級のあきれ顔でした。私は自分の財布がわからなかったのです。あのとき、ドラッグストアに届けなかったのは、結果として正しい判断でした。もう少しで自分の小銭入れを拾って、それを落し物だといって届けるところでした。

 この小銭入れ、どこで買ったのかも覚えていません。ただ、小銭入れのくせに生意気な値段だなと思ったのでした。ほかの小銭入れとたいして変わらない値段だった、という記憶しかありません。とびぬけて高かったわけでもなかったのです。

 ちなみに古びた10円玉は、私が生まれた昭和35年の10円玉です。たまたま目にし、別にしておいたものでした。それがなかったら、最後まで気づかなかったのかもしれません。ボクって、そういう男なんです。

   将来、大物になれないものだろうか。

 

追伸

  この話を、お友だちのみっちゃんにしたら、

「ケンさん、ソメスサドル、知らないんですか。日本のヘルペスって言われているんですよ」

  と、あきれられた。まったくもって、ブランドには疎いのである。

追記
 何人かの心優しい方からご教示をいただいた。どうやら、「ヘルペス」は「エルメス」らしい。
「似たようなものだろう」と言ったら、
「おまえ……、ミソもクソも一緒だな」と苦い顔をされた。

 

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 北海道に来てから七度目の冬を迎える。

 いつもながらの短い夏は、惜しむ間もなく過ぎ去った。今年(平成二十九年)の八月、札幌は一度も三十度を超えなかった。真夏日がなかったのだ。そのかわり、七月に数日、暑い日があった。だからいいだろうというわけでもないだろうが、季節は容赦なく移ろい、九月が逝き、十月を迎えた。

 十月ともなると冬への臨戦態勢に入る。十月早々に大雪山旭岳は初冠雪を見る。札幌近郊の中山峠に雪が降り、手稲山に雪が積もる。札幌市内での初雪の平年値は十月二十八日だ。この一連の流れが札幌の冬の到来経路であり、テレビは冬タイヤ、暖房器具、除雪機のCMをウンザリするほど流し始める。

 私は北海道生まれだが、学生時代から北海道を離れている。三十二年の歳月は、私の身体から寒冷地仕様をきれいさっぱり消し去ってしまった。

 私の低温生活の再開は、二〇一一年三月一日付の室蘭への異動から始まった。羽田へ向うモノレールから、恨めしい気持ちで東京のビル群を眺めていた。今を盛りと咲き競う梅が、ビルの隙間のあちらこちらに見える。思わずイルカの「なごり雪」が口をつく。東京ともお別れだという気分が胸に満ちたところで、飛行機がふわりと滑走路を離れた。東京の風景がみるみる後ろに遠ざかっていった。

 室蘭は北海道の太平洋岸に面しており、降雪の少ない温暖な地域である。それでも寒さの衝撃は、想像以上だった。手袋をしていても寒さで手が痛んだ。正しくは、手ではなく指の骨が痛むのだ。久しく味わっていなかった寒さである。

 二年後の三月、今度は札幌へと異動になった。一三〇センチの積雪に度肝を抜かれた。室蘭の積雪はゼロだったのだ。三月なのに車道を走る車が見えなかった。

「だいじょうぶですよ、四月までにはこの雪、全部解けますから」

 と言われたが、その「だいじょうぶ」の意味がわからなかった。

 私は、二〇一一年に二度の冬を経験している。北海道の三月は冬であって、その年の十月には再び冬が来るのである。東京の感覚でいうと、十月下旬から四月上旬までの半年間が冬に相当する。だから今回が八度目の冬となる。

 北国の冬は、何もかもが閉ざされる。閉じた世界の中で身を固くして必死に耐える。その先にある春を信じながら。木々は全ての葉を落とし、風景から色が失せる。あらゆるものが、モノトーンの世界と化す。死んだふりをして春を待つのだ。

 雪の上に雪が積もる。さらにその上に雪が積もる。昨日雪が降って、今日もまた雪が降る。そして明日もまた降り続く。降り続く雪の中で昨日が今日に変わり、明日になるのだ。来る日もくる日も雪が降る。

 解けた雪が凍りつき、その上にさらに雪が積もり、また解けて凍りつく。そんなことを何度も繰り返し、ツルハシをも跳ね返す花崗岩のような地面が作られていく。滑る歩道に砂が撒かれる。その気休めの滑り止めに足をすくい取られる。どんなに気をつけて歩いても転ぶときは派手に転ぶ。年寄の姿が街から消える。

 寒いときは寒いと言えばいい。だが、寒い寒いとばかりも言っていられない。だから、歯を食いしばって寒さに耐える。連日氷点下の真冬日が続く。氷点下十度を下回るようになると、寒いという感覚が痛みに変わる。肌を露出して外を歩くことは出来ない。耳を出したまま十分も歩くと、耳が引きちぎられてなくなってしまう。

 吹雪の日は、何もかもが見えなくなる。それでも車を運転して会社に行かねばならない。北向きの信号機に雪が詰まり、信号の色が見えなくなる。かすかに見える対向車の動きで信号の色を推測する。

 朝、会社へ行く前に除雪する。雪の中から車を掘り起こすのだ。会社から帰ってきてまた除雪をする。寝る前にもう一度雪を掻く。そして目覚めて除雪する。一晩で四十センチも五十センチも雪が積もっても、会社へ行かねばならない。みな、平気な顔で会社に来て、何事もなかったように仕事をしている。雪のこと、寒さのことなど話題にも上らない。当たり前のことだから、いちいちそんなことに反応する気も起きないのだろう。最初のころ、そんな彼らを見て「お前らバカか」という思いが私の片隅にあった。だが、いつの間にか「バカなのはオレの方なのか」に変わっている。

 北国の暮らしは、厳しい。そんな環境にも、やがては順応するのだろうが、いまだに適応できていない。十月が近づくたび、必要以上に怯えている自分が情けない。ともすると、東京に逃げ帰りたい、そんな自分が顔を出す。だが、退路は断っている。お前の居場所はここなのだ、そう強く言い聞かせる。黙々と生きろ、五十七歳の自分に覚悟を迫る。

 

  平成二十九年十一月

 

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  北海道の冬は、何もかもが閉ざされる。閉じた世界の中で身を固くして必死に耐える。その先にある春を信じながら。木々は全ての葉を落とし、風景から色が失せる。あらゆるものが、モノトーンの世界と化す。死んだふりをして春を待つのだ。
 雪の上に雪が積もり、さらにその上に雪が積もる。昨日雪が降って、今日もまた雪が降る。そして明日もまた降り続く。降りしきる雪の中で昨日が今日に変わり、明日になるのだ。来る日もくる日も雪が降る。
 解けた雪が凍りつき、その上にさらに雪が積もり、また解けて凍りつく。そんなことを何度も繰り返し、ツルハシをも跳ね返す花崗岩のような盤石な地面が作られていく。滑る歩道に砂が撒かれる。気休めの滑り止めに足をすくい取られる。どんなに気をつけて歩いても転ぶときは派手に転ぶ。年寄の姿が街から消える。
 寒いときは寒いと言えばいい。だが、寒い寒いとばかりも言っていられない。だから、歯を食いしばって寒さに耐える。連日氷点下の真冬日が続く。氷点下も十度を下回るようになると、寒いという感覚が痛みに変わる。肌を露出して外を歩くことはできない。耳を出したまま十分も歩くと、耳が引きちぎられてなくなってしまう。だから、北海道の人の五分の一は、耳がない。女性は髪の毛で耳を隠している。男はどうしようもないのだ。
 なぜ、そんなウソをつくのかって? 寒いとそういうことを言ってみたくなるんだよ。
 さて、雪が降った。
 
<写真は、今年の2月>
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