私が本格的に読書にのめり込んだのは、遅い方である。十代後半から四十代にかけて、盛んに小説を読んでいた。東京で就職してからは、読書の大半が往復二時間の通勤電車の中だった。
安月給の会社員には、新刊本を買う余裕がなかった。土曜日の半ドン(午前中のみの勤務)を利用して、会社帰りに神田神保町の古本屋へ立ち寄っていた。一九八〇年代当時の神保町は、一四〇軒ほどの古書店がズラリと軒を連ねていた。まだ、ブックオフのない時代である。
新刊本のインクの匂いが好きだという人がいる。私の場合は、古本を開いたときの黴(かび)臭い匂いが、たまらなく胸に沁(し)みるのだ。環境省選定の「かおり風景百選」に、神田古書店街があるのを見つけたとき、密かに安堵した記憶がある。古本の匂いを好むのが、私だけではなかったと知ったからである。
古本を読んでいて、その中にアンダーラインが引かれている箇所を見つけると、妙に嬉しくなる。私自身も赤鉛筆を片手に本を読む習慣がある。自分の思いと重なる箇所に線が引かれていると、嬉しさが増す。
「もういつ本当の春が来てもおかしくはない冬のいちばん最後の、晴れた朝だった」(磯﨑憲一郎「終の住処」)
書けそうで書けない、こんな表現が好きなのだ。
また、なぜここに線を引いたのだろうと、しばし立ち止まることもある。印をつけたのは前の所有者かもしれないし、前の前の人の可能性もある。男だろうか、女か。年齢は……、そんなことに思いを巡らす。
私が三十代、四十代のころは、仕事と子育てで、忙殺される日々を送っていた。だが、通勤電車の中だけは、読書に専念できた。とりわけ朝のラッシュは、人の圧力で両脚が浮き上がるほどの混雑だった。そんな中でも小さな隙間を見つけて文庫本を読み、密かに涙ぐんでいた。
休日の山手線に乗っていた時のこと。剣道の防具を持った青年が乗り込んできたことがあった。私の向かいの座席に座った青年は、電車が動き出すと、反対側のホームにいた仲間に小さく手を振って笑顔を見せた。初夏の日差しがまぶしい午後だった。
青年はジーンズに白のTシャツ姿で、電車に駆け込んできたのだ。呼吸が整わず、まだ胸で大きく息をしている。Tシャツの両方の袖で、交互に額の汗を拭う。いかにも若者若者した青年である。その青年が、ジーンズの後ろポケットからサッと本を取り出した。それが携帯電話ではなく、文庫本であったことに驚いた。しかも、表紙のない古ぼけた岩波文庫だった。私が感心したのは、その本が新潮でも角川でも講談社でもなく、岩波文庫だったことである。
青年はそれまでとはまるで違った表情で、活字を追い始めた。それは映画のワンシーンを観ているような光景だった。印象的な場面として、今も私の中に鮮やかに残っている。
夢中になって本を読んでいた私だったが、五十代になってピタリと読書をしなくなった。異動で室蘭市(北海道)に転居し、徒歩通勤になったためである。会社が近くなった分、帰宅後に落ち着いて読書ができるはずだった。
室蘭にいたのは二年間だった。だがこの時期、私は宅建士の資格取得の勉強と、その後、自身の家系史本の執筆に没頭していた。その間にも、絶え間なくエッセイの通信添削指導を行っていた。
以前なら、何があっても通勤時間帯だけは読書ができた。だから室蘭でも、読書の時間を特別に割くべきだった。いや、実際には時間を作ったのだ。ところが、いざ本を読みだすと睡魔が忍び寄ってくる。無性に眠くなるのだ。それは札幌で生活するようになった現在も同じである。
また、通勤途中で書店に立ち寄ることも、大切なことだった。本棚の前に平積みにされている本や、本棚に並ぶ背表紙を目で追っていくうちに、誰がどんなものを書いているのか、自然と覚えてしまうのだ。そして気に入った作家の本や気になっていたタイトルの本を手にすることになる。だが、電車通勤がなくなって、それもできなくなった。
本を読むということは、書くための不可欠な手段である。書くためには、シャワーを浴びるように読まなければならない。読書は、創作の原動力、燃料補給の役割を担っていた。その補給路が断たれたのだ。
これは由々しき事態と、無理に読むようにはしている。だが、以前のようにはいかない。あれほど夢中になって読んでいたのに……。
加齢という言葉が頭をかすめる。七十代、八十代でも読書を楽しんでいる人はいる。私も見習わねばと思うのだが、もう一方で年齢を感じている自分がいる。
2026年1月 初出 近藤 健 (こんけんどう)
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