買い物が終わってまだ時間があったので、

近くのペットショップに立ち寄ってみた。

 

店内に入るとすぐに

元気に鳴いてるセキセイインコのヒナの声が聞こえてきたので

吸い込まれるように近づくと

11月下旬に生まれたばかりという5~6羽が入荷してた。

 

立ち寄った時間帯がちょうどおなかの空く時間帯だったようで

よーく見ようと近づけてた顔の私に鳥たちが一斉に反応、近寄って来て、

けたたましくピィピィと騒音レベルに鳴き始めた。

 

すると我先に前に出ようとしてた最も前にいた二羽が喧嘩しだして

取っ組み合いのように重なったりつつきあったりした末に

喧嘩に勝った子が最も前にきてピィピィとアピールしてよってきた。

 

(もしかしたら本当はアピールじゃなくて単にエサが貰えると勘違いして

必死なだけだと思うけど、勝手にアピールと思いこむ私)

 

思わず、

『もう!この子、そんなに連れ帰ってほしい?!か、可愛すぎる!』

とキュンとしたものの、

この子くださいの一言が出ない。

 

運命みたいな直感を大事にする方なので

今までの私だったら

この子って決めたら見た目とか関係なく

元気かどうかの一点だけをみて即買いしてた。

 

なのに初めて思いとどまった。

 

喧嘩に勝つぐらい勝気な子だし

これだけ元気だったら私の勘ではものすごく気が強く健康で

元気なのはきっと間違いなさそうなのに。

 

 

そこはもうオスだろうとメスだろうと

キレイな羽の色だろうと好きじゃない羽の色だろうと

言葉を覚える天才だろうとおしゃべり苦手だろうとおバカだろうと

とにかく元気な子だったらどんな子でもいい。

 

だけど・・

やっぱりまた寿命を全う出来ずに

病気になってしまったらどうしよう?

助けてあげられなかったらどうしよう?

という不安が一瞬で脳裏をよぎり

喉まで言おうとした一言が引っ込んだ。

 

今でもまだ悔いている。

ピピちゃんの写真を見て瞬時に笑顔がほころんで和む一方で

そのすぐ後に、助けてあげられなかった後悔が湧き上がって苦しくなる。

 

写真っていい面と悪い面があるね。

もう動かないっていう現実を突きつけられる。

 

 

 

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これまで

寿命を全うして平均寿命を2倍近く超えて長寿で亡くなった子、

数時間前までいつもと変わらず元気だったのが急激に体調が急変して

わずか1歳ちょっとで亡くなった子、

どちらも動かなくなった亡骸を見て

別れを受け入れられず大泣きしたけれど、

それでも

寿命を全うした子は、そろそろ寿命を終えるよ?という

独特のお別れの挨拶を

亡くなる数週間前から毎日その行動を繰り返してくれたので

鈍感な私でも気づくことができて

悲しみから立ち直る時、

時間がたてば、楽しかった思い出に変える事ができた。

(それでも次の子を迎えるまで8か月を要した)

 

次の子が急に亡くなった時は

ある日の午後

急にいつもと違う異変に気づいて慌てて病院に連れて行こうと

思うものの日曜日で病院がやってないため

ネットで調べようとしてた矢先の事だった。

死ぬ瞬間を初めて見てしまった。

 

寿命以外で亡くす経験が初めてだったのと、

息を引き取る瞬間を見てしまった事も初めてだったのと、

今思えば苦しくて動き回ってたかもしれないし、

何度止まり木に止まらせようとしても

すぐ止まり木から降りて私の手を追いかけて籠の扉に走ってくる。

 

外でれないよ?

病院探すからちょっとおとなしくしててねって

言いながらまた止まり木に止まらせては手に乗ってくるのをまた

止まらせて・・と数回繰り返してたんだけど最後

止まり木から降りて私の手の方へ駆け寄って

ピィ!と羽を広げ、一言大きな声で鳴いて息を引き取ってしまった。

 

こんな短時間に死ぬなんて思わなかったし

動いたら悪化するって思ったので

大人しく鳥かごにいれようと思った事が

最後になってしまった。

 

そこまでして手に乗ろうとする行動はやっぱり異常だったし

それが最後のお別れになると気づいてあげられていたら無理に抑止せず

手のひらの上でそのまま看取ってあげたらよかったと悔やまれた。

 

やっぱり亡くなる瞬間を見てしまったショックはことのほか大きく

もう一度インコを迎えようと

ピピちゃんと出会うまで4年かかった。

 

インコを飼うのはもう最後にしようと出会ったのがピピちゃんだったから

まさかこんなに別れが早いとも思わなかったし

インコ以外のペットも考えたけど、

やっぱり一度飼ってしまうと

あのインコの愛くるしさのとりこになってしまうんだね。

 

言葉は通じ合わない(互いに何言ってんの?と思う言語)

なのに、なぜか気持ちが通じあえた時。

私もうれしいけどインコも精いっぱい喜びを表現する。

生物として相容れない鳥と人間なのに、

あの通じ合うという感覚を

また味わいと思ってしまう中毒のよう。

 

だけどまだ、やっぱりまだ少し難しい・・

 

 

 

 

 

朝晩が一気に涼しくなってきた今日この頃。

うるさいぐらいのセミの声は気づけば一切なくなってるし、すっかり秋を感じます。

 

気づけばピピちゃんが旅立ってもう3か月が経つ。

時々ちょっと前まで、この指に止まってたのに・・と思い出して

タイムマシンを激しく切望する日々は変わりませんが

亡くなる予兆(妙に甘えてくる)が出てきた頃に

たくさん写真に収めておいて良かったと心底思うほど

その写真たちに支えられています。

 

ピピちゃんが亡くなる前も

亡くなってからも変わらない日常。

朝起きた時、

夜仕事から帰宅した後は

部屋に飾ってる写真に声掛けして、

通勤時、休憩時にスマホを手にしたら

カメラ目線でジッとこちらを見てるピピちゃんの写真を目にするので

本当にいつも目の前に存在しているような感覚がある。

心がポッとあったかくなる。

 

それでも時々、写真に話しかけてる時に

色んな事を思い出してグッとこみ上げてきて

涙がこぼれてしまう時もあるんだけども

そのたびにふと気になってる事がある。

 

最後の2か月ほどは

遊んだりおしゃべりもしなくなってたし

食欲もなくなってて

かごの下で過ごすことが多くなってたけど

それでも時々、外にでて指に飛んできてた。

 

膨らんで体調の悪そうなピピちゃんに話しかけてると

ふいに涙がこぼれたりしたんだけど

その時ばかりは急に元気になるというと変だけど

身を乗り出し

顔を近づけてきて一生懸命

こぼれ落ちたほほの涙をくちばしでついばんで来た。

 

そんな興奮するほど涙って美味しい?って最初はびっくりしたけど

エサも水もほとんど飲んでない日々が続いていたので

あたしとしては少しでも水分とって欲しいという思いと

涙に少しでも栄養あればいいなと願いながら

なすがままについばませていたが

それ以降も亡くなるまでずっと

涙がこぼれるたびに急に元気(?)になって

涙をついばんでた。

鳥は本当に不思議な生物だなとしみじみ思う。

 

ある日を境にいつもと違う行動をしてくる。

うざったいぐらいにまとわりついてくるし

異常な甘えの仕草というか。

 

別れが近いことを教えようとする行動なのか不明だけど

鈍感な私にでも気づくことができた変化なので

今振り返るとピピちゃんを亡くした事は

心の準備のない突然の別れではなく

そういう意味では

2か月ほどの本当の別れに対する心の猶予を与えてくれてた。

 

これは言葉が通じ合わない人間と動物にだけ与えられた

特殊能力的なものなのか

だけど感情表現が豊かな鳥ならではの行動なのか。

 

ただ一方で

2か月ほどの猶予があったにも関わらず

病気を早く発見して救えなかった悔いだけが日々募る。

もっと小鳥の病気に詳しい動物病院に連れていけてたら

おそらく死なせずに済んだかもしれない。

そしたら今頃も一緒に楽しく過ごせていたのかもしれない。

落とす必要のない命を落とさせてしまった、

平均寿命さえも生きることができなかったなんて、と

その悔いだけがずっと消えない。

 

なんで今も時折泣いちゃうんだと思ってたけれど

悲しいとかそんなのではなかった。

自分の無能さがあまりに情けなく

涙がこぼれてただけだった。

 

早いものでピピがなくなってから明日でもう3週間。

日常生活もだいぶ普通に戻ってきて

帰り道の自転車での不気味な号泣もなくなったし、

やっぱりあの不思議な夢を見てからは、すごく落ち着いている。

 

そこで先日、定期的に楽しみに見ていたネット動画のインコちゃんを

久々に見ようと開いたら、今年の1月に亡くなってる事を知りました。

 

たまたま開いたのが

おしゃべりしたり遊んでる元気な時の思い出のシーンから

亡くなったインコ(モザイク有)を手に

最後のお別れの言葉を伝えながら撫でてる動画だったので

つい3週間前の、自分とピピちゃんとの最期の出来事がフラッシュバックしてしまい

久々に大泣きしてしまった。

 

飼った人なら誰しも同じ感情を抱くと思われるけど

セキセイインコという生き物は

早送り再生かと見まがうほど元気によく動き回り、

うるさいぐらいにおしゃべり上手の賢さや

意思表示をはっきり示す愛嬌ある姿に

その小さい体からは想像もつかない程の

大きな大きな存在感を飼い主に深く刻み付けてきます。

 

それがある日突然、硬くなって動かない。

おもちゃのようにぴくりともしない。

つい昨日までは動いてたものが動かなくなるっていう現実を

受け入れなければいけない。

この感情の辛さの原因がどこにあるのかと探り

最終的に自分が体調の悪さなりを気づいてあげれなかった事を責める。

 

今でも時々悲しみに襲われるのはさみしいからではない。

もしかしたら死ななくてもよかった命だったのかもしれないと頭によぎると

自責の念に駆られてしまって苦しくなる。泣き叫んで発狂したくなる。

悔いは無くせないと思う。

 

以前、14年の老衰で亡くした時の子とはまた違う。

平均寿命を過ぎ倍近く生きたのだ、よく頑張ったと。

いつか別れが来るだろうと7~8年ぐらいから日々思ってた事も大きい。

 

だけどまだ幼いうちに失う事は人間の過失の可能性もゼロではないので

どうにもできなかった事なのに

もっと生きれたのではないかという『たられば』ばかりを繰り返す。

 

 

 

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話はそれるけど、職場には同じようにセキセイインコを飼ってる人がいる。

彼女の家は単体飼いのうちと違い、数匹を飼ってる多頭飼いなんだけど

数日~数週間、数か月に1回のペースでケガか突然死とかで死んだとか

脱走していなくなったとか聞くのだけど、翌日には

「新しい子を飼ったよ、

今回はこの子。かわいいでしょう~?」と写真を送ってくる。

 

びっくりして「え?!次の日にもう新しい子を飼ったの??」

と聞き返すが「うん!(にっこり)」と返事。

あたしのそういう質問が変なのか

どうして?と不思議そうに聞いてくる。

 

とても複雑な気持ちになる。

新しい子を迎え入れた喜びはわかるけど、昨日亡くして今日もう別の子?

最初は驚いたけど、

こういうのが何度か続いた今ではさすがに驚くことはなくなった。

 

しかしこれは多頭飼いのメリットなるものなのか?

単体飼いだと思い入れが強すぎるのかな。

もちろんあたしも小学生時代からセキセイインコの魅力に取りつかれているので

もう二度と飼うまい!とは思わないが

昨日や今日で、そういう気持ちに切り替えれそうにはない。

 

その姿は無くなっても

今でも部屋の至る所々にピピちゃんのお気に入りポイントや物があり

これで遊んでたな、と

生きてた頃の元気な姿が脳内で再生される。

その鮮明な記憶がまだまだある限り、ほかの子がこの心には入り込めない。

 

ただ、写真や動画をもっともっと撮っておけばよかったなぁと後悔がある。

小さい頃はよく写真も動画も撮らせてくれたし

むしろカメラ目線だったのに、後半はカメラを向けた瞬間

あたしの手に飛んできてフレームアウト。

おもちゃに夢中になっている今のうちに!とカメラをそっと向けても

頭の後ろに目がある?と思うほどすぐさま察知してフレームアウト。

 

あれはなんだろね?不思議だけど、

動画撮影はブレるので後半は失敗に終わった。

結局亡くなる1か月前ぐらいから

体調が悪くなって動きが鈍くなってから

ようやくカメラに収めることに成功した皮肉さ。

元気に生きた証をもっともっと残せなかった事も悔やまれる。

 

そういえば若い時は「過去は振り返らない」という言葉が好きだったし

いつ死んでもいいやと自分の生き方に後悔ひとつもなしと生きてたけど

気づけば年を取るごとに

後悔や悔いが残り、蓄積される事ばかりが増えた。

やり直せない事だからなのかもしれないけど。