⓪はじめに

 

ご訪問頂き、ありがとうございます。

 

 

 

このブログにたどり着いた

あなたは運が良いラッキーものです。

 

 

 

今から4分だけ

時間を頂けませんか??

 

 

 

読むだけで

あなたの人生に徳をもたらす事でしょう。

 

 

 

我慢して

本音を言わない事が

愛される為には

必要不可欠。

 

 

 

本音を言ってしまったら

みんなに嫌われてしまう。

 

 

 

それが僕の

凝り固まった考えでした。

 

 

 

占いに出会う前の僕なら

本音を言った方が愛される、なんて

絶対に信じなかった。

 

 

 

なんなら

占い師とかヒーリングとか

マジ怪しいしうさんくせえ!

 

 

 

って思ってたぐらい笑

 

 

 

けれども

占いや目に見えない事を学ぶにつれて

世界の見え方や捉え方が180度変わり、

 

 

 

本音も時間も自由も

手に入れる事ができたのです。

 

 

 

どうして

本音が言えなったのか。

 

 

 

どうして

それを解消させる事ができたのか。

 

 

 

僕自身、

もっと早く昔の自分に伝えたかった。

 

 

 

人生は全てが

実験でありネタである。

 

 

 

大学を卒業する時には

まさか自分が占いをやるなんて

全く想像すらしてなかったけど、

 

 

 

占い師で

生計を立てられるなんて

無理ゲーだろ、、、と考えていたけど、

 

 

 

現状に違和感を感じた時

 

 

 

好きな事をやると決めた時

 

 

 

ずっと今の生活を続けていく

イメージができない時

 

 

 

それは

現実を大きく変えていく

チャンスが到来している時!

 

 

まあ

当時の自分に言っても

信じられなかっただろうけどね笑

 

 

 

 

元呉服屋

元公務員

の僕が、

 

 

 

29歳で公務員辞めて
今は本格的に

占い師・ヒーラーをやっています。
 

 

 

現在は

月100名以上の方へ

鑑定・セッションさせて頂いてます。

 

 

 

安定を捨て
全くの未経験で、



特に目指してた訳じゃないのに
占い師になった理由や、



30年生きてきて
本音を言えなかった僕が、
なぜ占いをやってるのか。

 

 


そんな裏話も含めて

綴っていきたいと思います。

 

目次

 

⓪はじめに

①最大のコンプレックス

②興味を持ってもらえない人間

③道楽息子に育てた覚えはない!

④氷河期時代の就活に挫折

⑤売れても怒られる呉服屋時代

⑥もう二度と営業はやりたくねえ!

⑦渡る世間は鬼ばかり

⑧この仕事に君の考えは必要ない

⑨1リットルの缶チューハイ

⑩四柱推命との出会いは突然に

⑪占い師の影響力を知った日

⑫悔しい!が最大のモチベーション

⑬50回以上断念した事

⑭嘘の退職理由

⑮ついに夢にまで見た世界が…

⑯号泣事件

⑰コンプレックスが使命に変わった瞬間

⑱初めて出会えた『やってみたい』

⑲最後に

 

 

 

 

①最大のコンプレックス

 

大阪生まれ

大阪育ち

 

 

 

長男として生まれた僕は、

だいたいいつもマイペース。

 

 

 

磁石と段ボールさえあれば

一日中遊んでいられる。

冗談抜きでw

 

 

 

穏やかなで

育てやすい子供だったと

両親からも言われました。

 

 

 

そんな僕に

ターニングポイントとなる

出来事が起こるのです。

 

 

 

小学校1年生の時、

弟が生まれるのです。

 

 

 

弟は

のほほんとした僕とは

真逆で、

 

 

 

ギャーギャー泣きわめいて

全然寝ないし、

とにかく手が掛かる子だったと。

 

 

 

そうなると必然的に

両親が僕に掛ける時間は

少なくなっていった。

 

 

 

夜も

母親は弟の世話で手一杯。

 

 

 

『ごはん一人で食べといて!』

と言われ、

 

 

 

レンジで温めた

ごはんをいつも

一人で食べていました。

 

 

 

本当は家族で

ご飯食べたかったので、

 

 

 

『一緒に食べたい』

と伝えると、

 

 

 

『お兄ちゃんだから我慢して!』

言われて

とても寂しい思いをしていました。

 

 

 

ご飯の時だけでなく、

母親は弟の世話で忙しいので、

一人でいる事を強いられました。

 

 

 

一人で遊ぶ事は

苦ではなかったけど、

 

 

 

小学校から帰って

母親に聞いて欲しかった話とか

たくさんあるのに、

聴いてもらえず。

 

 

 

話そうと思っても

『後にして!』

と言われてました。

 

 

 

涙が出てきたのを

今でも覚えています。

 

 

 

とても寂しくて

悲しかった。

 

 

 

この時の経験は

後々までかなり引きずっていきます。

 

 

 

自分の話をすると

誰かに迷惑を掛けてしまう。

 

 

 

本音を言えない人間

愛されない人間

 

 

 

という意識が根強くなっていきます。

 

 

 

②興味を持ってもらえない人間

 

 

中学三年の時、

母親は自分に全く興味が無いんだな。

 

 

 

と強く意識してしまう

出来事がおこりました。

 

 

 

その日学校で

めちゃめちゃ嬉しい出来事が

起こったのです。

 

 

 

なんと

社会のテストで100点を取ったのです。

 

 

 

もちろん

100点を取った事なんか

初めてだし、しかも学年で一人だけ!

 

 

 

部活終わり、

意気揚々と母親に

テストを見せて、伝えたのですが、

 

 

 

『へえーーー、どういう風邪の吹き回し??

明日嵐でもくるんじゃない。』

 

 

 

傷付きました。。

もう少し褒めてくれると思ったのに。。

 

 

 

全く

褒めてもらえず、

あしらわれた気がして。

 

 

 

ああ、

母親は僕に全く興味を

持ってないんだな。

 

 

 

やっぱり

弟ばっかりなんだな。

 

 

 

傷付くくらいなら

もう何も話さないでおこう。

 

 

 

ますます

本音が言えない人間が

できあがっていくのです。

 

 

 

③道楽息子に育てた覚えはない!

 

その後

高校・大学と進学し、

20歳の時にある出来事が起こるのです。

 

 

 

以前から

着物を着たいと思っていた僕。

 

 

 

成人式に

袴で行きたいと母親に伝えたら、

バッサリ却下され。

ヤンキーみたいになるやん、との事w

 

 

 

まあ仕方ないか。

とその時は諦めたのですが、

 

 

 

着物を着たい!

自分の着物が欲しい!

という思いがやっぱり強くて、

 

 

 

ある日

友達に付き添ってもらい、

着物を購入するのです。

 

 

 

大阪の

着物問屋が多い場所を

教えてもらい、

 

 

 

バイト代

約4か月分を使って

即決で購入するのです。

 

 

 

この時、

事前に着物買いたい!

って両親に行っても

理解してもらえないだろう、、、

 

 

 

まあけど

自分のお金で買うのだから

何も文句はないだろう。

 

 

 

って思ってたので

何も言わずに出掛け、

事後報告で伝えたのです。

 

 

 

そしたら

 

 

 

『なんで着物なんか買ってんの?!』

『そんな道楽息子に育てた覚えはない!』

 

 

 

いや、でも、

道楽息子って、、、

自分が働いて買ったのに。

 

 

 

なんでそんな事言われなきゃ

いけないんだろ??

 

 

 

そうして

本音を言う事が

ホントに嫌になって、

 

 

 

母親との溝がさらに

深まっていったのでした。

 

 

 

④氷河期時代の就活に挫折

 

大学時代、

挫折した事がありました。

 

 

 

それは

就職氷河期

真っただ中だった

就活です。

 

 

 

100社近く

応募したけれど、

ことごとく不採用( ;∀;)

 

 

 

そして

就活に疲れ切って

社会人のイメージも湧かず、

 

 

 

自分は社会に

必要とされてないんだなあ。

とすごく悲しかった。

 

 

 

途方に暮れて

これからどうしたらいいんだろ。

 

 

 

って思った時、

着物を購入した

呉服屋さんの担当の方が、

 

 

 

『もし何も決まらないなら、ウチで働いたらいいよ』

 

 

 

そう言ってくれました。

 

 

 

正直

食品メーカに勤めたい

と思っていた僕には、

 

 

 

呉服屋の営業は

全く考えてなかった

仕事なんだけども、

 

 

 

あまりに

就活に嫌気がさしていたので、

とにかくそこで決める事にしました笑

 

 

 

今考えると

逃げていたな、と思います。

 

 

 

けど

自分の不甲斐なさと

自分だけが内定が出ない焦りで、

 

 

 

ホントーーーーーに

精神的に参っていたので、

 

 

 

そこの

呉服屋さんに

お世話になる事となりました。

 

 

 

⑤売れても怒られる呉服屋時代

 

その後

呉服屋の営業として

働いていた22歳。

 

 

 

僕に課せられた

営業ノルマは

月160万円以上

着物を売るという事。

 

 

 

えええ、こんなの

達成できるもんなの?!?

 

 

 

度肝を抜かれる程

ビックリした事を今も覚えています。

 

 

 

あまりに休みが無く、

いつも不機嫌で

すぐにブチ切れる上司。

 

 

 

特に月1回

開催していた

着物売出しの催事の前後は、

 

 

 

ガチで

空気がピリピリし過ぎて

いつにも増して

上司の怒号が飛び交っていました。

 

 

 

社会人ってこんなもの。

上司や会社の言う事は絶対。

 

 

 

そうして僕はまたしても

自分の本音を言う

という事に頑丈な蓋をしていました。

 

 

 

売れない人は

何も産み出さない

会社のお荷物。

 

 

 

その人の内面なんて

二の次三の次で、

 

 

 

あらゆる価値のものさしが

売れているかどうか。

 

 

 

といった会社の

価値観に洗脳されかけていた頃、

 

 

 

退職の決定打となる

出来事が起こるのです。

 

 

 

それは僕が初めて

大口のお客さんの成約ができた時です。

 

 

 

その方は

一着250万円ほどする着物の

購入を決めて下さり、

 

 

 

僕もかなり嬉しくて

ウハウハ良かった~~

って思っていたのです。

 

 

 

で、

お客さんを店の外まで

お見送りし、

嬉しさMAXになっていた時、

 

 

 

またしても上司が不機嫌。

 

 

 

え、高単価の着物売れたのに

なんで不機嫌??

 

 

 

と、

僕が疑問に思ってたら

 

 

 

なんやその、全然気配りできてない接客

 

ちゃんと先を考えて動けや

 

もっと単価を上乗せできたやろ

 

 

 

僕の顔すら見ずに

上司が独り言のように

吐き捨ててきたのです。

 

 

 

もちろん

上司なりの愛情はあったと思います。

 

 

 

けれども

売れても怒られるって

こんなしんどくて理不尽な事ある??

 

 

 

それじゃあ

これからも怒られ続けるのかな。

 

 

 

今までは

大学の時から

お世話になっている所だし、

恩返ししなきゃ。

 

 

 

と思っていたのですが、

そんな気持ちすら

一瞬で吹き飛んでしまったのです。

 

 

 

そう考えた時

僕はさんざん迷った挙句、

退職を決意し、上司に退職を伝えたのです。

 

 

 

入社から4か月経った時でした。

 

 

 

ちなみに

その時の同期が12人いましたが、

 

 

 

2年程で全員退職して

転職しています。

みんな転職できてよかった☆

 

 

 

⑥もう二度と営業はやりたくねえ!

 

なんか人生上手く行かないなあ。

 

 

 

特にやりたい事が

ある訳でもない僕は、

 

 

 

周りの友達は

なんだかんだ言いながらも

楽しそうに仕事をしていて、

 

 

 

正直

まぶし過ぎて直視できなかったです。

 

 

 

これから先は

ノープランでしたが、

 

 

 

ただ一つだけ

決めていた事がありました。

 

 

 

もう営業はやりたくない!!

絶対事務の仕事がいい!!

という事。

 

 

 

完全に営業アレルギーに

なってしまった為、

これだけは譲れなかったです。

 

 

 

その時に

公務員なら営業しなくていい!

公務員になろう!

 

 

 

と安易に考えました。

 

 

 

それから

ほぼ毎日

1日10時間以上、

試験勉強をしたのです。

 

 

 

寝る・食べる以外は

ほとんで全てを

勉強の時間に費やしました。

 

 

 

人生を掛けて

ここまで真剣になったのは、

初めてです。

 

 

 

学生時代の就活も

ここまで真剣にはなってませんでした。

 

 

 

それくらいに

追い込まれ、人生を掛けていました。

 

 

 

 

そして、、、、

 

 

 

 

およそ1年後

受かったのです!

2013.8.30の事。

 

 

 

希望してた

市役所はダメだったけど、

国家公務員に内定。

 

 

 

国立病院の事務員

といった仕事内容。

 

 

 

受かった時、

嬉しいというよりかは

もう勉強しなくて良いんだ。。。

 

 

 

やっと不安感から抜け出せる。

安心感を手に入れられる。

 

 

 

僕の人生が

ようやくまた動き出す。

 

 

 

そんな気持ちで

ホッとして過ごしていました。

 

 

 

⑦渡る世間は鬼ばかり

 

しかし

現実はホントに

経験してみないと分からない。

 

 

 

初めて

配属先の病院を

訪れた際、驚愕するのです。

 

 

 

めっちゃ殺伐としてる、、、

すごい空気悪いな、、、

 

 

 

これが

第一印象でした。

 

 

 

僕の場合

無計画なのが短所ですが、

直感の鋭さが長所です。

 

 

 

その直感は

バッチリ当たっていたのでした。

 

 

 

前例踏襲

醜い部署間争い

仕事の押し付け合い

 

 

 

毎日が

その連続でした。

 

 

 

⑧この仕事に君の考えは必要ない

 

最初僕は、

病院の購買・契約を担当する

部門に配属されたのですが

 

 

 

総額1億円の

契約を担当する事に。

 

 

 

えっ!

まだ半年も経ってない

新人がそんな規模の契約を?!

 

 

 

戸惑いましたが

上司に言われたら

やるしか無くて。。。

 

 

 

その仕事内容が、

 

 

 

病院内のお掃除を

外注する契約を締結する。

といった内容。

 

 

 

この資料を作るには

病院のあらゆる部門と

話し合いをする必要がありました。

 

 

 

看護部(看護師さんの属する部門)

の偉い人から

○○を掃除の範囲に追加して欲しい。

 

 

 

と言われたので、

分かりました!

と追加していたのです。

 

 

 

そうして

追加して資料を作った時に、

 

 

 

なぜ資料が変更に

なっているのか上司に聞かれました。

 

 

 

要望があって

加えた方がいいかなと思ったので、

僕の考えで追加しました。

 

 

 

と答えたところ、

 

 

 

 

この仕事に

君の考えとか

必要ないから!

 

 

 

前例の通りに

やってくれればそれでいい!

 

 

上司にガツンと言われたのです。

 

 

 

僕ら事務員の仕事は

病院の経費を抑える事。

 

 

 

他部門の要望を

むやみに取り入れると、

 

 

 

費用が上がってしまう為

勝手な事をするな、という事でした。

 

 

 

この仕事では

自分の個性とか

一ミリも関係ないんやな…

 

 

 

個性を埋没させるのが

この組織で仕事ができる人。

 

 

 

またしても

自分の本音を表現する事が

求められない環境に

愕然とするのです。

 

 

 

しかも

他部門の要望も

安易に取り入れてはいけない。

 

 

 

何のために

この仕事してるんだろ??

と疑問がどんどん生まれました。

 

 

 

この仕事に君の考えは必要ない

 

 

 

この言葉が

ずっとのしかかりながらも、

僕は約6年間勤めます。

 

 

 

さらに

最後の約2年間は

係長という役職で

仕事をする事になります。

 

 

 

⑨1リットルの缶チューハイ

 

100円の物品を買う時も

部長までの承認が必要で、

却下される事もあり、

 

 

 

けれども

購入できないと

他部門から苦情がくる。

 

 

 

そんな

板挟みの状況下にいました。

 

 

 

とにかく

自分の考えや意見を

入れる事はご法度。

 

 

 

そんなこんなで

昇任試験に合格し、係長になった時、

 

 

 

僕は総務・人事を担当する

部門にいました。

 

 

 

その時は

もう本当に仕事量が多くて。

 

 

 

異臭がするからなんとかして欲しい

 

蛍光灯が切れたから変えて欲しい

 

トイレが汚れているから清掃して欲しい

 

 

 

といった

取るに足らない連絡も

毎日やってくるし、

 

 

 

休日も

採用イベントで出勤だったり

 

 

 

部下や後輩を

フォローする時間を確保しながら

自分の仕事もこなしていくのは、

かなりハードでした。

 

 

 

役職が上がったけど

仕事量が増えただけ…。

 

 

 

その時の僕は

通勤電車で片道2時間かかっており、

 

 

 

帰りの電車では

毎日缶チューハイ500ml×2本を

飲まないとやってられない!

という状態でした。

アル中w

 

 

完全に

感覚を麻痺させてました。

 

 

 

けれども

蓋をしていたものが

溢れ出してきて、

 

 

 

限界が近づいていたんです。

 

 

 

営業も事務も

向いていない自分

 

 

 

一体何ができるんだろうか。

と、絶望しながらも。

 

 

 

自分らしく生きたい!

何にも縛られずに自由でいたい!

 

 

 

決断するなら

30歳までに決断しよう、

と前々から決めていたので、

 

 

 

そろそろ

決断の時期が迫ってきているな。

 

 

 

そう思い始めていました。

2018.4 28歳の事です。

 

 

 

遂に四柱推命と出会う

後半へ続く↓