芝居「娘に」《「劇団翔龍」(座長・春川ふじお)〈平成21年1月公演・川越三光ホテル〉》 | 大衆演劇の名舞台

大衆演劇の名舞台

全国に150ほどある「大衆演劇」の名舞台を紹介します。

    芝居の外題は「娘に」。春川ふじお座長「自作自演(主演)」の現代劇、吉幾三作詞・作曲の「娘に・・・」をヒントに、ある夫婦(夫・春川ふじお、妻・大月瑠也)が、一人娘(人形・子役・澤村うさぎ)を「嫁がせるまで」のエポックを「家庭劇」「人生劇」風に辿った長丁場、なんとなんと二時間を超える「大作」となった。いわば座長「渾身の自信作」で、舞台に掛けたのは、今日が4回目(3回目の小岩公演も私は見聞している)だということである。筋書きも、眼目も、いたって単純明快、若き日の「武田鉄矢」然とした夫が父親になり、「猫っかわいがり」に育てた「つけ」がまわって、徹底的に「反抗される」。その娘を「改心」させたのが、先輩(中村英次郎)の息子(藤川雷矢)、かつては娘を「いじめた」こともある幼友達だったというお話。やがて、娘は先輩の息子と結婚、父親の「やるせない」「寂しさ」を懸命に描出しようとする座長・春川ふじおの努力は評価できるが、所詮は、吉幾三の「演歌」が原作、底は割れている。ちなみに、その歌詞とは以下のとおりである。〈幸せになるんだよ、二人できっと、涙拭き笑い顔たやさずいいな、母さんと話したか、女ゆえ努め甘えたか、ありがとうさようなら言ったか、寒い北のはずれ町、体こわさず達者でな、みんな思い出持っていけ、写真一枚あればいい。晩酌に注がれた別れの盃、染みてきたその酒にこぼれし想い、父親とは情けなく意地っ張り者よ、おまえにもわかるだろう、子供を持ち老いたら、月の明かりに庭に出て、二人の幸せ願っておいたよ、みんな思い出持っていけ、写真一枚あればいい〉。わかったような、わからないような・・・、「みんな思い出持っていけ、写真一枚あればいい」というフレーズが繰り返されているところを見ると、どうやらそのあたりが眼目らしく、芝居の上でも、真新しい自転車を買ってもらったときの記念写真にこだわっていたのだが、肝腎の写真が観客には(小さすぎて)見えない。手間をかけた割には舞台効果は薄かったように感じる。
それにしても、暴走族から娘を救い出してくれた青年(しかも、幼友達)のところに嫁ぐのが、どうしてそんなに「寂しいのか」、まして澤村うさぎ演じる「娘」の風情は、「純情可憐な新妻」とはほど遠い。長丁場の割には(吉幾三原作の「演歌」と同様に)「大味な」出来映えであったように思う。ただ一点、妻を演じた大月瑠也の「実力」は半端ではなかった。乳飲み子を抱えた「新妻」、小学生の母となった「中年」、新婦の母となった「初老」の姿を、その「姿勢」「所作」で鮮やかに演じわけられたからこそ、観客の視線を最後まで舞台に惹きつけることができたのだ、と私は思う。「年のとり方」においては、やはり兄・大月瑠也の方に「一日の長」があったことを、改めて思い知らされた次第である。

 

 


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