芝居「異本・お蝶供養」《「劇団荒城」(座長・荒城真吾)〈平成26年1月公演・小岩湯宴ランド〉》 | 大衆演劇の名舞台

大衆演劇の名舞台

全国に150ほどある「大衆演劇」の名舞台を紹介します。

   今日は中日(前半)の千秋楽とあって「芝居の日」とやら、昼・夜とも第一部が舞踊・歌謡ショー、第二部が芝居という構成であった。おまけに、芝居の外題も示されていない。そこで、私が勝手に作ると昼の部、芝居の外題は「裏舞台・国定忠治」。要するに、大衆演劇の、ある劇団が「国定忠治」を舞台にかける際に生じた「内輪もめ」の物語である。幕が上がると、そこは楽屋裏、今しも座長(荒城和也?)が今度、舞台にかける公演の話をしている。外題は「国定忠治」、「今回の忠治は(花形?)コージ(座長・荒城真吾)にやってもらう!山形屋は副座長だ」。しかし、それを聞いた副座長(後見・荒城照師)が黙っていない。「忠治は、副座長のオレでしょう。コージなんかじゃ客が呼べない」、しかし座長は聞き入れない。「これは、太夫元(姫川豊)が決めたことだ」。もめているところに太夫元もやってきた。副座長、腹の虫がおさまらず太夫元にも食ってかかったが、「つけあがるな、役者は思い上がってはいけない。今回は、山形屋(仇役)に回って、コージを助けてやれ」とたしなめられた。「わかりました」といえばこの芝居は終わりだが、そうは問屋が卸さない。副座長、夜中に太夫元の部屋に闖入し、扼殺する。それを目撃した若手役者(荒城勘太郎)をなかば恫喝して懐柔する。コージは忠治の大役は荷が重すぎると思ったか、太夫元の部屋にやって来たが、待っていたのは太夫元の亡骸、そばに副座長のライターが落ちていた。以後は「お決まり」の敵討ち、芝居の稽古中に、コージが副座長を刺殺(実は、瀕死の重傷を負わせて)して大詰めへ、といった筋書きであった。見所は二つ、一つは後見・荒城照師の「悪逆非道」の風情・・・。自分が主役をはれない腹いせに太夫元を殺害するなど、常識では考えられない。いわば「人非人」(人でなし)の典型だが、その異常さを「体全体」を使って描出する。とりわけ、タオルに水を浸して太夫元の枕元に忍び寄り、静寂のうちに息の根をとめるまでの「一部始終」はリアリズムの極致といった迫真の演技で、まさに「殺しの美学」とでもいえようか。二つは、スッピンのコージが「国定忠治」に変身するまでの化粧・衣装(着付け)の景色、客はいつもは見られない舞台裏の模様を20分あまりにわたって満喫することができた。(とはいえ、長すぎた・・・)夜の部、芝居の外題は、清水次郎長伝より(再び私の命名によれば)「異本・お蝶供養」。旅先で、次郎長(座長・荒城真吾)の女房・お蝶(芸名不詳・姫乃純子?)は病死、保下田の久六(姫川祐馬)のところに金(お蝶の治療代)を借りに行った森の石松(荒城勘太郎)は、50両調達してもらったのに、「貸してくれなかった」ということにして久六を斬殺する。次郎長は石松を信じて「金毘羅代参」を託したが、久六の子分(芸名不詳・蒼城莉也?)の証言で「事実」が発覚・・・。実を言えば、石松には馴染みの女郎・おみつ(芸名不詳・葉山みな?)がおり、身請けして所帯をもつために100両という大金が必要だったのだ、というお話。石松に裏切られた次郎長は、大政(後見・荒城照師)、小政(荒城和也?)とともに「事実」を解明、(「金毘羅代参」で奉納を頼んだ)お蝶の簪を付けていたおみつ、石松が懇意にしていた小松村七五郎、その女房お民まで次々と斬殺、大詰めは閻魔堂、都鳥一家とともに石松を「騙し討ち」にかけたが、その都鳥一家が「騙し討ち」にしたことにして、一家連中も成敗する。石松が断末魔の中でおみつの亡霊に出会う場面は秀逸であった。最後の舞台に残ったのは、次郎長、大政、小政の三人だけ・・・、次郎長、天を仰いで「お蝶、仇は討ったぞ。成仏してくれ!」と絶叫、聞こえてくれるのは虎造節「次郎長親分、こわい人」のリフレイン、真っ暗な闇の中、大政が「何が街道一の親分だ・・・、俺たちは所詮ヤクザだ」という呟きで終演となった。ごもっとも、お蝶が死んだのは病のため、誰かに殺されたわけではない。にもかかわらず、「仇は討った」だと?次郎長のショックは石松の裏切り、それが(次郎長の)平常心を狂わせたというリアリズムが「異本・お蝶供養」の眼目かもしれない。いずれにせよ、今日の舞台も「脱!大衆演劇}をめざす「劇団荒城」の健在振り(進化)が窺われて、たいそう面白かった。感謝。

 

 


にほんブログ村

アクセスカウンター