火の山の大地へ海を渡る~ 島 原 半 島 の 旅 ④ ~( 雲仙・小浜・国見神代小路) | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

 

夫婦温泉旅2日目は、雲仙温泉をしばし散策。

 

 

まずは 「雲仙ビードロ美術館」へ!

 

 

 

 

長崎ビードロ、ボヘミア、ヴェネツィアなど世界のアンティークガラスや

巨匠・リベンスキーの作品などが展示されている。

 

 

 

オイルランプ展示室

 

 

自分だけの作品を作る ガラスアート手作り体験も出来る。

ミュージアムショップもあり、数多くの商品は見て回るだけでも楽しい!

 

 

 

お次はこちら

 

「おもちゃ博物館」

 

 

 

 

昭和の雰囲気漂っとるなぁ・・・。

 

妻が「入っていいのかしら・・・」ってな感じでそろりと開けている(笑)

 

「ごめんください」

 

「はい、いらっしゃい」 と、おじいさんとおばあさん。

 

 

 

 

お店に一歩入ると、所狭しと並んだ昔なつかしのブリキのおもちゃや

くじ引きつきの駄菓子などがいっぱい。約2000種類あるという。

見ているとなつかしさで目うつりしてしまう。

 

 

そして2階は

 

非売品の「おもちゃ博物館」(有料200円)

約5000点のおもちゃ玩具やセルロイドのお面、雑誌等が展示されており

まるでタイムスリップしたようなノスタルジックな世界が広がっている。

 

 

 

 

展示品の中には、なんでも鑑定団北原氏による鑑定の品も・・・。

今ではめったにお目にかかれない逸品ばかりだ。

 

 

                                 あ、昔こんな靴、履いてたよな・・・

 

 

続いておじゃましたのは雲仙名産「湯せんぺい」の遠江屋本舗さん。

一枚一枚丁寧に焼き上げる“純一枚手焼き”だ。

 

 

 

事前に予約しておけば 手焼き体験もできる。

 

 

湯せんぺいは、小麦粉・砂糖・卵に温泉水を加えて焼き上げる

昔懐かしいお菓子。

とりあえず亀吉、焼きあがったばかりのものを頂く!

 

サクサクとした食感にほんのり甘い、素朴な味わい。

一口食べると止まらない!かるいから何枚でも食べられるのだ。

 

 

 

最後は温泉神社へ行き雲仙温泉をあとに

次は雲仙小浜温泉の方へ向かうことに ・・・車

 

 

車を走らせること20分程で愛野町の国道57号線沿いにある

展望スポットに到着。

眼下に波穏やかな橘湾の美しい景色が一望できる。

 

 

 

 

そして湯けむりに誘われて雲仙小浜温泉 温泉

 

 

 

 

小浜には源泉温度105度にちなんでつくられた

日本一の足湯「ほっとふっと105」がある。

 

 

 

 

目の前に広がる海を眺めながら、ほっと深呼吸~ そんな雰囲気!

温泉蒸し窯もあり、温泉卵や新鮮な海・山の幸を味わうこともできる。

 

 

 

さて、次に向かうのは雲仙市国見町 ・・・車

 

高校サッカー サッカーボール 赤No.11 の名門、国見高校がある町だ。

目的は長崎島原半島になぜ佐賀藩の鍋島邸が?

という疑問から・・・

 

神代小路(こうじろくうじ)の「鍋島邸」。

 

 

 

 

【中世・神代のはじまり】

 

島原半島と佐賀を結ぶ海路の要衝であった神代は

南北朝期に神代貴益(こうじろたかます)に始まると伝えられている。

神代氏は海に接する台地に山城を構え戦国時代末期には島原半島に進出した龍造寺(りゅうぞうじ)氏=〔戦国時代に肥前国の東部の住民から九州の北西部を支配する戦国大名に成長した一族〕に味方するが

沖田畷(おきたなわて)の戦いで島津・有馬軍に龍造寺が敗北すると

神代氏も歴史から姿を消すことに・・・

 

 

[神代小路地区]・・・塀・石垣・笹竹生垣等の歴史的建造物が立ち並び、情調深い。

 

 

[長屋門と石塀]

 

 

【近世・神代鍋島領の誕生】

 

神代氏滅亡(天正12年)後、有馬晴信に治められたが

天正15(1587)年豊臣秀吉の九州平定により

鍋島直茂(佐賀藩祖)に国割りされ佐賀鍋島藩が成立。

さらに数年を経た慶長13(1608)年、直茂は神代領として実兄である

鍋島豊前守信房(なべしまぶぜんのかみのぶふさ)へ与えたため

信房は明治2年の版籍奉還まで続く 初代神代鍋島領主が誕生した。

 

 

[長屋門]・・・長大な門で、門部両側から切石亀甲積みの石垣が表の街道まで伸びている。

 

 

初代から3代までの領主は

佐賀に在って城番を派遣し神代を治めていたが

第4代嵩就(たかなり)の代になってからこの神代に居を構え

旧神代城周りの川や深田を埋築し

散在していた家臣たちの居住地として

神代小路を造ったと考えられている。

 

 

[ 鍋 島 邸  / 国指定重要文化財]・・・慶応元年(1865)に完成した長屋門の北側に鍋島邸主屋が建つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく部屋は数え切れないほど多く、めちゃくちゃ広い家だ!

 

 

 

 

[鍋島邸全景]・・・御北(おきた)と呼ばれる万廷元年(1860)建築の当主の寝所(隠居棟:左奥の2階建て茅葺)と明治・大正期の近代和風の書院座敷が相まって、旧領主の屋敷に相応しい威厳を醸し出している。

 

 

 

 

 

 

というところで今回はこれまで

 

 

飽きもせずつづく!(^_^;)

 

 

 

 

 

 

本日は以上です。