火の山の大地へ海を渡る ~ 島 原 半 島 の 旅 ① ~( 島原城 ・ 武家屋敷他 ) | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

恒例の結婚記念、夫婦で1泊温泉旅行 温泉

 

今年は島原半島の旅 ~ !

 

 

熊本と島原(長崎県)は有明海を挟んだ対岸に位置し

いつも互いに眺めているところだが

亀吉、訪れるのは実に数十年ぶりとなる雲仙・島原。

 

 

清々しい青空の下、熊本市西区の熊本港より

高速フェリー「オーシャン・アロー」に初乗船!

 

 

 

 

早い!船 わずか30分で島原外港に到着!

 

 

 

 

とりあえず島原市街地へ!車

 

 

 

 

最初に訪れたのは「島原城」( 別名: 森岳城 ・ 高来城 )

 

 

層塔風総塗り込みの五層の天守閣

 

 

この地は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて

佐賀(肥前)・龍造寺隆信軍を撃破したところ。

 

ここに五条(奈良県)から入封した松倉重政が1618年(元和4年)

から7年の歳月を経てこの「島原城」を完成させた。

同時に島原城下町も整備したとされている。

 

天守閣を据える本丸、北へ二の丸と三の丸を配備。

要所を三層櫓で固め、外郭は4キロにわたり

矢狭間を持つ練塀で取り囲む。

4万石の大名には過分な城だ。

ここに有馬氏時代からの海外貿易の利益と

松倉氏の新興大名としての意気込みが感じられるという。

 

以来、4氏19代の居城として輝いた。

その間、1637年(寛永14年)の島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ

1792年(寛政4年)島原大変時には大地震と大津波にも耐えてきた。

 

明治維新で廃城になり解体されたが

島原市民の夢であるお城復興への取り組みが長年続き

1964年(昭和39年)天守閣が復元されたものだ。

 

 

天守閣には

 

 

1階【キリシタン展】

 

2階【郷土資料展】

 

3階【民族展】

 

 

四階には観光と物産コーナーがあり

 

五階には【天守閣・展望所】があり島原の街並みを360度満喫できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

天守閣から海側に出ると日本彫塑界の巨匠であり、文化勲章の芸術家

北村西望氏の代表作60点が展示された「西望記念館」がある。

西望氏は長崎平和記念像の作者としても親しまれている。

 

 

 

喝!? すこしは反省しろ!

亀吉: えっ!いきなり オレ? (^_^;)

 

 

 

こちらは、三の丸にあったという「御馬見所(おんうまみしょ)」を移築。

 

藩主松平忠和の時代

藩主が藩士の訓練状況を見る視察所として使用。

江戸時代から残る数寄屋造りで国の有形文化財である。

 

 

 

最後は島原城登城記念撮影 カメラ

 

 

 

 

 

お次は松倉重政が島原城を築いた時に

下士をまとめて住まわせたという

武家屋敷街へ!

 

 

 

 

現在、保存されている下の丁(したのちょう)の武家屋敷には

山本邸、篠塚邸、島田邸の3軒が一般に開放されており

当時の武家生活の様子が偲ばれる。

 

 

 

道の中央に流れる水路は

旧藩時代に生活用水として大切に守られてきた

 

 

 

 

武家屋敷を後にし、近くの古い町屋風のレトロな町並みを散策してみた。

 

 

 

 

「青い理髪店」

 

大正12年に建築された洋館造り。現在はリニューアルされカフェ。

1階の部屋には当時の床屋さんの道具がそのまま残っており

その椅子に座り、鏡に姿を見ながら飲むコーヒーは

どことなく大正ロマンの香りが・・・

 

 

 

森岳商店街にある 「猪原金物店」

 

 

 

明治2年に開業した金物店だそうだ。

今ではこういう金物店、すっかり見なくなったなぁ・・・

 

 

 

ご当主はこのあたりの町屋と街並みを保存するため

この家屋も建築当時のようにリニューアル。

店内はレトロでありながらも遊び心のある見所満載だ。

 

中庭の風情ある喫茶コーナーもある。

 

 

 

 

 

 

というところで、今日はこれまで。

 

 

次回へつづく!

 

 

 

 

 

本日は以上です。