薩 摩 路 の 旅 ♪ ~ 鹿 児 島 市 内 へ ~ | ✿ 日々是好日 ~ 降っても晴れても ~ ✿

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勤労学生時代から30年“喜怒哀楽”のサラリーマン人生を経て独立。数十店舗の外食企業が上場し全国700店超になるまでを経験。飲食業で育てられた男が、今度は “厳しくも愉しいホテル経営” に挑戦!「無常迅速、時人を待たず」を我が肝に銘じ。

1泊2日の温泉旅行

月をまたいでのアップ!

 

ちんたら申し訳ない!

これが最後でごわす(;^_^A

 

霧島の宿から九州自動車道を利用して車で約1時間

 

鹿児島市内へと入り、まず最初に訪れたのが

 

甲突川河畔にある「維新ふるさと館」

 

 

駐車場から出たら目の前が

 

西郷隆盛誕生地!

 

 

既にご存じの方も多いだろうが

 

来年、平成30年のNHK大河ドラマは

 

「西郷(せご)どん」

 

である。

 

 

 

この「維新ふるさと館」がある加治屋町界隈は

 

幕末から明治維新にかけて活躍した西郷隆盛や大久保利通など

 

多くの偉人を生んだゆかりの地。

 

 

 

幕末の薩摩と明治維新の全てがひと目で分かるようになっている歴史観光施設で、多彩な演出がされており、見応え十分!2、3時間は必要だ。

 

 

 

 

目玉は、地下にある維新体験ホールで上映される2つのドラマ。

ちょうどのタイミングで始まった「維新への道」(約25分間)を見た。

西郷隆盛や大久保利通などのそっくりな等身大ロボットやマルチスクリーンにより臨場感あふれるダイナミックなドラマが展開される。

 

 

 

こちらは篤姫コーナー

 

女優、堀北真希さん、宮崎あおいさんなどの衣装も展示されている。

 

 

亀吉夫婦 恥ずかしげもなく写真を撮ったところで

 

小雨降る中ではあったが、外に出て甲突川沿いを少し歩いてみた。

 

施設のすぐ隣には、「大久保利通生い立ちの地」

 

 

3歳上の幼なじみ、西郷隆盛と同じ郷中(ごじゅう=薩摩藩独特な青少年教育で、町内会単位の自治組織での勉強会のようなもの?)で育った所。

 

無二の友を敵としても

そこには近代国家建設に命をかけた大久保の苦悩が・・・

 

さらにその少し先の甲突川沿いの高見橋にフロックコートをひるがえしている大久保利通の銅像が建っている。

 

 

「大久保利通銅像」

大久保利通没後100周年の1979(昭和54)年に建てられた銅像。

修学旅行とみられる生徒達の姿も・・・

 

向かって左へ行けば交通の中心鹿児島中央駅、右へいけば繁華街の天文館という場所だが、決して目立つ場所でもなく、落ち着いて眺めやすい場所でもないのは市民の複雑な感情を示しているのか・・・。

 

明治政府で国のかじ取りを担い、卓越した政治能力を発揮し、幕末の薩摩藩、維新後の日本国を導いた偉人であり、同じ「維新の三傑」といわれる盟友・西郷隆盛とともに薩摩を代表する政治家であるが、せごどん(西郷)が圧倒的な人気を誇る地元にあっては、西南戦争で故郷を攻め、西郷の仇となった大久保利通は不人気なようである。

 

 

 

一方、市の中心部城山を背に、堂々たる存在感を放っている

 

「西郷隆盛銅像」

 

この銅像は1937年(昭和12年)に完成している。

 

そこから少し上った城山にある

 

西郷隆盛洞窟・・・「おはんらにやった命」

西南戦争の末期に総攻撃を受け政府軍の城山包囲網の中、1877(明治10)年9月19日から同24日未明に至る最後の6日間を西郷隆盛が桐野利秋をはじめ、私学校の幹部たちとともに銃弾に倒れるまで過ごした洞窟。

 


2018年大河ドラマ「西郷(せご)どん」

 

知ってるつもりの「西郷隆盛」像をぶち壊し、

誰も知らなかった愛すべき "人間西郷 ″を描く!

 

大河ファンは乞うご期待! というところやねラブ

 

 

さてさて、次向かったのは

 

島津のお殿様の別邸「仙巌園」 

 

 

1658(万治元)年、島津家19代光久がこの地に築造した。

 

 

桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な庭園で、鹿児島を代表する観光地である。

 

 

28代斉彬はこの地を愛し、篤姫、勝海舟、グラバー、ロシア皇帝ニコライ2世など、多くの人がここを訪れたという。

 

着いた時には雨も上がり、桜島がくっきりと見えてラッキー!カメラ

 

 

 

江戸時代には島津家当主の別邸として

明治期には本邸として使われた御殿。

 

せっかくなので、当時の暮らしぶりが分かる内部を

専属ガイドさんに案内してもらった。

 

 

見学最後は、お抹茶と島津家ゆかりのお菓子を頂いた (^_^)v

 

 

 

 

その後は隣の「尚古集成館」を見学

 

 

 

幕末、28代島津斉彬(なりあきら)は日本を強く豊かな国にするため、工場群(集成館)を作った。1863年の薩英戦争で向上群は消失するが、その後29代忠義とその実父久光により再建される。

 

この時建てられた機械工場は、のちに博物館へと・・・

それが、尚古集成館本館である。

 

館内には島津家の歴史や海洋国家薩摩、そして斉彬のはじめた近代化事業についてわかりやく展示されている。

 

 

 

そすて最後は帰りに城山展望所によって、今一度!

 

 

「 わが胸の 燃ゆる思いにくらぶれば 煙はうすし 桜島山 

 

 

 

ということで

 

薩摩路の旅 ♪

 

いよいよこっで、しみゃ~ 

 

おつきあいいただいた方、ありがともした(-o-)/

 

 

 

 

本日は以上です。