熊本市中心市街地から南西に位置する古町
、加藤清正が碁盤の目状に整備した一町一寺の町割。
米屋町や大工町などその当時の職業がわかる町名が現代まで受け継がれ
多くの寺院や町屋が残っています。
かつて栄えた街であり、現在は衰退したというイメージが強い地区です。
実は亀吉、当時の職場が近かったこともあり
この米屋町に20代前半の4年間近く住んでおり
淡い想い出多きところなのです。(;^_^A
▲ 当時住んでいたアパート。今では大きなビルに挟まれて・・・
しかし、今回はこの町内ではなく
そこからほんの2、300メートルほどしか離れていない
同じ古町地区の東端にある河原町(かわらまち)。
北側に市電(路面電車)の河原町電停があり
その電車通りから入った路地に古めかしい廃墟のようなコンクリート造りの建物があります。
昔の国際繊維市場です。
▼ 北側(路面電車通り)から
そこは昭和30年代の風景を残したレトロな雰囲気が漂っています。
河原町繊維問屋街に現存する国際繊維市場は
昭和33年に建設され補強コンクリートブロック構造の建物。
第二世界大戦の末期の昭和20年の熊本大空襲により、ここ河原町も焼失し終戦をむかえます。
そして、戦後混乱のなかで熊本市内のあちらこちらにヤミ市が発生。
ここ河原町問屋街も寺院の焼け跡にヤミ市として発生して
現在の河原町繊維問屋街は形づくられることとなります。
▼ 国際繊維市場の東側は昭和30年代に建設された木造建築が密集しています。
▼ 西側は道路を挟んで国際繊維市場とほぼ同時期に建設されたという
長屋形式の棟があります。
この棟の西側には延寿寺と妙乗寺の2つのお寺があります。
▼ 国際繊維市場の建物内は東西方向に5本
南北方向に2本の共用通路があり7つのブロックに分かれています。
1区画間口約3.6m×奥行2.75mの約3坪が標準。
アーケード付きの路地があちらこちらと広がっています。
当時は、品揃えの豊富さと品物の安さで客が多く大変な賑わいだったといわれています。
そのようななかで、昭和33年に大きな転機を迎えることとなります。
当時約200店舗ほどのバラックがこの河原町周辺には存在していましたが
大火にみまわれ約90%が焼失。
それを契機に河原町繊維卸商業ビルが建設され、今日の姿に近い街が出来上がります。
しかし、その後自家用車の普及はめざましく、道路網の整備、都市周辺部のベッドタウンの広がり
通勤・通学の拡大等、モータリゼーションが急速に進行。
そのような状況下で、昭和38年をピークに、市電路線は縮小の道をたどり
河原町に電停があった熊本川尻線が昭和40年2月に廃止され、人の流れは急激に減少。
流通業界の大きな変化のなかで、市街地、郊外ともに大型商業施設が建設されるようになり
ここ河原町は商業上の活力が低下し、店のシャッターは下り、空家が目立つようになっていきます。
その後も減少し続け、昭和40年ごろ100店舗あった繊維商業組合ビル内の営業者は
わずか3店舗となったのです。
そうでないと暗く物寂しい雰囲気でちょっと不気味な感じさえします。
そのようななかで河原町は現在、若手起業家やクリエーターを斡旋誘致し
街の活性化をはかる河原町プロジェクトが発足し、個性的な街づくりの手法が評価され
全国都市モデル調査に選定されるまでになっているのです。
毎月第2日曜日は河原町アートの日!!!♪
が開催されています。
クリエイターが集まり、個性豊かな店やアトリエ隠れてます。ヘ(゚∀゚*)ノ
機会があれば出掛けて実際の雰囲気を味わってみてください♪
☆彡 河原町文化開発研究所
本日は以上です。
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