随分以前のことですが
ある本の中で心理学者(大学教授)の方の話を取り上げ話題にされていたものがありました。
それは恩義というものの質が日本人とアメリカ人ではずいぶん違うということ。
鈴木さん(仮称)は仕事のことで頼みごとができました。
Aさんにお願いしたら、自分の仕事を犠牲にしてまで一生懸命やってくれたのですが
結果ははかばかしくありませんでした。
次にMさんに頼むと電話一本で鈴木さんの望んだ通りの結果を
出してくれました。
このことを考えるにあたっては一つの前提があって
それは恩義をコストと利益の和としてあらわすのです。
Aさんは10のコストをかけて1の利益しか鈴木さんにはあげられませんでした。
Mさんは1のコストで10の結果をもたらしてくれました。
どちらも恩義の和は11になるのですが
これがもしあなたならどっちにより多くの恩義を感じますか?
というものです。
その方によれば、アメリカ人はMさんにより強い恩義を感じ
日本人はAさんのほうに傾くというものです。
アメリカ人は結果を重視する。いかにもプラグマティズム(実用主義?)のお国柄。
それに対して日本人はその人が自分のために支払ったコストに重きを置く。
結果のいかんよりプロセスを大切にするのです。
はて、自分はどうだろうか?とそのとき考え込んでしまった。
やはり日本型に傾く気がしました。
こういう問題は感性の領域ですから、どっちが正しいというものではありませんが
しかし、それからビジネスの世界で長く揉まれて来て
その世界に限って言えばアメリカ型の感じ方が大切と思うに至っています。
日本特有の義理というのは、この恩義の感じ方から出てきているのではないでしょうか。
ですから自分も日本人として義理とか恩義というのはこれからも大切にして行きたいと考えています。
ただ、誠意とか努力とか自己犠牲といったものを過大評価すると
お互いにレベルアップどころかレベルダウンしてしまうことになりかねません
。「努力だけは人一倍したつもりです。それを認めてください」と
日本的プロセスを重視している人は、結果がゼロならやはりゼロなのです。
努力を認めるのは頼んだり、または命令した側であって
努力した側は結果がでないときはそれを口にすべきではないとおもうのです。
本日は以上です。