小泉八雲
本名ラフカディオ・ハーンは
怪談(「耳なし芳一」、「雪女」、「むじな」)などの作者として知られている。
小泉八雲が夫人とともに松江から第五高等中学校(現在の熊本大学)の
英語教師として赴任したのが明治24年(1891)11月19日であった。
★第五高等中学校創建当時の正門と赤煉瓦本館
そして最初の一年を過ごした旧居が現在
「鶴屋」デパートの裏にある。
1850年(嘉永3年)6月27日ギリシアのレフカダ島に生まれる。
父は英国人チャールズ・ハーン、当時ギリシア駐在の英国陸軍軍医補
母はギリシア人ローザ・カシマチ。
2才の時、一家は父の郷里ダブリンに帰る。
その後両親は離婚し、ハーンは大叔母に引取られ養育された。
英国の学校に在学中、あやまって左目を失明する。
19才の頃渡米、ニューヨーク、シンシナティ、ニューオーリンズ等を転々とする。
さまざまな仕事を経て新聞記者となり、翻訳や創作を発表して次第に文名が高くなった。
1890年(明治23)4月、ハーンは日本に来た。
同年9月島根県の松江中学校の英語教師となって赴任。
古い日本のよさと日本人の心情に心ひかれ、松江の人小泉セツと結婚
翌1891年(明治24)11月に熊本に引越して来ている。
★旧居内には、八雲の足跡を紹介したパネルや
当時の写真・資料が展示されている。
最初の住居は
手取本町にあった赤星晋策氏(元熊本藩士)の家を借りて住むことになる。
借りるにあたり八雲は特に注文して神棚を設ける。
毎朝この神棚に柏手を打って礼拝し、人力車で学校に通っていたという。
★八雲が特別に頼んで作ってもらった神棚
熊本で最初に書いた作品は「家庭の祭壇」であった。
夕陽がすきだった八雲は、西と南に縁側のある八畳の部屋を書斎にし
机を西向きに置いた。
近眼のため机だけは椅子を使ったが、ほかはすべて日本式で
人との応対もくつろぐのも畳の上だったという。
★書斎にしていた部屋
八雲の日本に関する最初の著書である「知られざる日本の面影」は
ここで執筆されたと云われている。
部屋には彼の代表作が並べられている。
街中にあって周りの喧騒も気にならない。
まさに明治の面影が残る“癒しの空間”だ。
★陽のあたる縁側っていいよね・・・(*^▽^*)
1894年(明治27年)10月、神戸クロニクル社の記者となって転出
このころ日本へ帰化して小泉八雲と名のるようになる。
1896年(明治29年)9月
東京帝国大学の文学講師となり
1903年(明治36年)まで7年間在職した。
1904年(明治37年)4月
早稲田大学文学部講師となるが
同年9月26日、狭心症で亡くなる。
享年54歳。
のちに彼が日本文化につくした功績により従四位が贈られた。
毎年9月26日は八雲の命日。
この旧居では、ろうそくとあんどんの火に囲まれて「怪談」の朗読会が開かれる。
旧居がここに移転されるまで、この場所が墓地だったと聞けば背筋がゾーッ(ノ゚ο゚)ノ
取り囲まれたビルの中、旧居隣には公園が・・・。
古き良きものを日本人以上に愛していた。
今の日本の姿は、八雲の目にどう映るだろうか・・・・。。。
小泉八雲熊本旧居
開館時間:9:30~16:30
休館日:月曜日(祝祭日の場合は翌日)
年末年始
入館料:200円
熊本市安政街2-6
096-354-7842
本日は以上です。