こんにちは。東京事務所の紅の豚です。

 

昨日、西部邁先生を偲ぶ会が都内のホテルで開催されました。出席者は300人近くに及び、西部先生が主宰されていた発言者塾・表現者塾の関係者の方々を中心に、

文芸評論家の富岡幸一郎先生、漫画家の黒鉄ヒロシ先生、元衆議院議長の伊吹文明先生、元参議院議員の脇雅史先生、参議院議員の中山恭子先生、佐藤正久先生、丸川珠代先生、ジャーナリストの田原総一朗先生、東谷暁先生、上島嘉郎先生、評論家の佐高信先生、京都造形芸術大学教授の寺脇研先生、映画監督の荒井晴彦監督、阪本順治監督、日本文化チャンネル桜の水島総社長、京都大学大学院教授の藤井聡先生、京都大学大学院准教授の柴山桂太先生など、錚々たる顔触れが一堂に会しました。

司会は生前、西部先生とのご親交が深く、「西部邁ゼミナール」の前身番組である「談志・陳平の言いたい放だい」で共演されていた立川談志師匠の愛弟子である、立川談四楼師匠が務めました。故人への献杯が終わると、ご出席いただきました皆様が順番に登壇され、西部先生への想いをお話になりました。

長年にわたり朝まで生テレビの司会を務めた田原総一朗先生は、開始当初はほとんどのコメンテーターがリベラル系で、西部先生にはその敵役として出演していただいたと当時を振り返りました。

西田先生はその朝まで生テレビに出演された西部先生が、戦後日本の常識、歴史観、価値観を全否定する姿に雷に打たれたような衝撃を受けて以来、その本を読み漁り、先生の弟子になることを決意し、西部邁が政治家になったつもりで政治活動をしてきたと、政治家として多大な影響を受けたことを披瀝されました。

西部先生が自裁されたことについては、以前から予告されていたので驚きはなかったが、自裁の方法で騒動が巻き起こり、残念な思いであるとし、今回の事件が無ければ、西部先生は神のような存在であったが、事件があったことで西部先生も哲人ではなく、人間であったことが分かった。西部先生も親しかった人間が罪を被ることは望むところではないと思うとその心中をお話になられました。

西部先生はこれまでずっと戦後日本は独立国ではなく、それは今も変わっていないとご発言されてきた。そうした西部先生の想いを次の世代に伝えていきたいと、改めて日本の自主独立に向けて政治家として取り組んでいくことを強調されました。

「人間は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、人々から忘れ去られた時に」と言います。西部先生の広範囲にわたる絶大な影響力を鑑みれば、肉体が滅びたとしても、その影響を受けた人々にとっては忘れ難い存在であり、膨大かつ多方面にわたる業績を鑑みれば、その命脈は歴史的存在として永続するかもしれません。

簡単に挙げるだけでも、西部先生には日本で初めて保守思想を体系化した戦後最大の思想家、平衡感覚・総合性・言葉を重視することであらゆる問題を探求し続けた知の巨人、多様な分野の人々が交流する一大文化サロンのオーナーという一面がありますが、決して一言では語りえぬ多面的で重層的な存在であります。影響を受けた人々はそれぞれの西部邁像を持っており、それぞれがその精神を受け継いでいるように思えます。

表現者criterion最新号において、西田先生のご友人でもある京都大学名誉教授の佐伯啓思先生は、西部先生とは異なった形で「生と死の哲学」を模索することでその精神を引き継ぐと仰られています。

これに対して、勝ち負けの計算と価値規範を維持する問題は別次元であり、勝っても負けても、やるべきことはやるべきだという西部先生の敢闘精神を受け継ぎ、政界において体現しているのが西田昌司先生であると思えてなりません。

 

表現者criterion最新号には、西田先生が「「義」の人」と題して、第一次安倍政権退陣後に安倍総理を激励し、先の大戦に対する戦後日本人の振る舞いに強烈な抗議を行う西部先生について寄稿されております。是非、お読みください。

 

 

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