何故敗戦ではなく終戦だったのか?(「東京プリズン」 赤坂真理) | 「天に月、地に山」 愛知・豊橋で日本酒なら

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東京プリズン 赤坂真理

皆さんこんばんは。


今夜も初めてのお客さんが来店して頂き感謝です。


コツコツですが日々頑張ります。


そして物凄い考えさせられる本を読みました。


「東京プリズン」 赤坂真理


帯にこうあります(16歳のマリが裁く、現代の東京裁判)


おいおい!ややこしい所に手を出したなという気持ちがありましたが読んでみました。


帯にあるように主人公は16歳のマリという少女。


1年間アメリカに留学していた時期の物語。


現在の自分と、時系列が章によって前後するので非常に読みにくく難解なイメージ。


簡単に物語を説明すると、単位を貰うためにディベートの授業をするのですが、教師から(天皇ヒロヒトの戦争責任)というテーマを押し付けられます。


大人でさえ避けてきたこの問題を、16歳のマリが果敢に挑む内容。


選んだテーマ、難しい問題に果敢に取り組む姿勢、そして最後の章の理論的内容、この辺りは絶賛しても良いと思いました。


ただ前半というか、最後の章までの物語が、読みにくい上に面白くない。


ドキュメンタリーでなく、小説というスタイルをとった以上は、その部分にも一工夫欲しかった気がします。


それでは感銘した部分(総て最後の章のディベートの内容)について述べます。


先ず主人公は神という存在をこう言います。


(神は全部偽者じゃないですか?フィクションでしょう、もともと?天皇だろうとキリストだろうと、違いは神として語られた歴史が長いか短いかだけ)


その上でこう言います。


(人は神を必要とする。人は神を利用する。でなければ人など大量に殺せない(中略)神の名のもとに戦争をするのは最悪だ。人が、人を殺そうという事に対して持ちうる歯止めを、なくしてしまう。しかし戦争の規模が大きくなるほど、人は人以上の何かを持ち出さなければ、まとまれないことを知っている)


結局人は自分の行いを正当化するために神という存在を作り出したに過ぎない。


自分が信じる神ではない神を持つ民族には攻撃をしても痛みを感じない。


でも作者は神の子であるある前に、皆人の子であるから、それは間違っていると断言する。


そして日本の過ちをこう述べます。


(負けるのならそれは仕方がない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私達の本当の負けでした。もちろん、私の同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分達の過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私達の負けだったと、今は思います)


日本は敗戦ではなく終戦で先の大戦を終えた。


つまりちゃんと負けててないんです。


勿論そのお陰、他のアジア諸国より復興も早く経済大国となり得た。


でも経済優先できた戦後は、大きなミスを残してきた。


それは自分達の過ちを認めない代わりに、アメリカの原爆投下という重罪にも目を瞑ってきた。


経済こそ復興した日本ですが、戦争の尻拭いは全く手付かずの状況なんです、


最後に作者はこう私達に問いかけます。


(自分達の過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです)


日本がこの問題にちゃんと向き合ってこそ、本当の敗戦になるんでしょう。


小説としてはあまり面白くなかったけど、誰もが言いたがらない事を言った姿勢には脱帽します。


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