血の繋がり=愛?への違和感…と思考停止 | 40代音大生

40代音大生

40代で音大入学。ピアノを専攻。四苦八苦しながら教職取り中。理系の旦那さんと一緒に育児。小3の長女、23週で出生した元医療的ケア児の長男(5歳・超低体重出生児)

不妊治療していたとき…

ふと…二人目が欲しくなって

実子がほしいと思っていた。

 

その二人目は、呼吸器に繋がれて生き延びたさなちゃんで

23週で生まれて来た。

 

健康で優良な実子…ではなかった。

でも実子であればよかった。

なんでか分からないけど…。

その時はそう思った。

 

母や父はよく「さすが私の子だ」とか
「うちの血筋がいいのね」とか
「我が家の住人だから」とか言った。
違和感があった。
 
ピアノ、絵、成績、容姿。
恵まれて居たほうだと思うが
親戚も「さすが我が○○」みたいに言う。
 
血統や、遺伝、実子だから特別みたいな褒め方。
喜ぶべきなのか一瞬違和感を感じながら
子供ながら薄氷の上の愛情のようだとも思った。
血がつながらないものに、薄情なのではないかと疑問が出た。
 
ピアノの練習をしたのは私だ。
それと血筋が何か関係ある?
親は、投資し、付添い、面倒を見た。環境を与えた。
多分それは実子だから疑いなく投資したんだと思う。
親が成功しなかった他人の子を揶揄するとき…
血筋への自己愛を感じて違和感があった。

 

 

 

私は多分親の考え方がいまいち好きじゃなかった。
親があまり好きじゃなかった。
だから他の大人になついた。
 
でも親は言う「実子だから。血筋だから」
どんなに私が他人の大人になついても
「実子でなければ、その人からは心底愛されまい」みたいな呪いを言われた。
 

 

多分それが違和感だった。

 

この人は子供を愛しているようで、
実は自分や血筋が好きなんじゃないか。
 
子供が他人の大人にも愛情を求めているなら
それを肯定できるような言葉を向けるのが
本当の愛情な気もする。
 
他の大人になつく私を見て
「私があなたの親なのに…他の人にばっかりなついて。
私を頼りなさい」みたいに言われても
やっぱりピンと来なかった。
 
私とあなたは合わないのだ。
実の親だからという言葉で私を縛るのはやめてほしい。
私は自分の好みの大人に頼りたいと思った。
 
たとえ裏切られても世界中の多くの大人たちから
色々な愛情を真実もらえることを私は信じていた。
 
恒常的ではなくても
刹那でも
確かにそこに無条件の愛がある。
 
条件をつけて愛しているという親から開放されたかった。
条件がなければ愛されないのだという親の言葉も否定したかった。
小さな愛情でも、無償の条件がないものが好きだった。
 
親がくれないなら、他の大人に少しづつ見出していった。
学んだし、社会に育てられたとも思う。
 
 
でも私も実子を求めた。
でも生まれた子は呼吸が弱かった。
必死で呼吸する子を見て
看護師さんに「お母さん頑張りましたね」と言われたが
ピンとこなかった。
 
私はただのこの子の母親というだけだ。
望んで産んだだけ。
彼の努力になにも私は関与してない。
一人、必死に保育器の中で生き延びたのはさなちゃんだ。
 
その功績をほんの少しでも私は奪いたくない。
すごい人だ。
そう思った。
 
おそらく実子でなくても素直に尊敬したと思う。
血のつながりがどこまで思い入れに関与しているのか。
産んだということに責任を感じているのか。
疑問に思った。
 
どちらかというと社会に強制的に植え付けられる覚悟を欲してるのだと思う。
社会通念上産んだらきちんと育てろという圧力は強い。
実子であればその強迫観念に押しされて
およそ責任を放棄しようとは思わないだろうという
思考停止状態がほしかったのかもしれない。
それだけ自信がなかったのだと思う。
 
この子が実子でなかったら
社会の圧力がなかったら
そこまでの覚悟を自分の力だけで持てただろうかと思うと
自信はない。
 
自分の頭でずっと「実子=愛」ではないという感情があったのに
その感情があったのに
責任や覚悟という意味では、思考せず
ずっと”当たり前にある価値観”の上でのんびり思考を停止していた
それだけだったのだなと気づけた。
 
なんだか罪深いなと思った。