障害がある子が羨ましかった幼いとき | 40代音大生

40代音大生

40代で音大入学。ピアノを専攻。四苦八苦しながら教職取り中。理系の旦那さんと一緒に育児。小3の長女、23週で出生した元医療的ケア児の長男(5歳・超低体重出生児)

うちの親は多分毒親。

「できないことを認めてもらう」なんてことは

ほとんどなかった。

 

小学校の時障害者学級があった。

そこの先生は優しくて好きだった。

障害があると、お母さんも優しそう。

 

中学の時も隣が障害者学級で

幼稚園生みたいな、体は大きい子がいた。

可愛かった。

 

怒られることはあっても、

なんだかみんなに可愛がられていて

少し羨ましかった。

 

自分にはそういう価値がないと思えた。

できないことを許してもらえる環境が羨ましくて

「普通」で居なければ許してくれない親が嫌いだった。

 

今もたまにその子に会う。

でも中学の時よりは、苦しそうに見える。

社会に出て、あの頃よりも無邪気さが許容されなくなったのかもしれない。

 

誰しもそうなのかな、と悲しくなった。

かわいかったし、羨ましかった。

 

それは妹にも感じた。

幼いながらも感じる「許される度合いの格差」

おさなければ幼いほどこんなにも許されるのかと目の当たりにして

成長にしたがって「普通」を強要する親に息苦しさを感じた。

 

多分私は普通じゃなかった。

風と話し、絵で自分を表現し、

奇抜な服も選んで、ピアノもかきならした。

 

どこかで自分らしくありたいと息苦しさに死ぬ前に

もがいていたんだとおもう。

それでも暴力的な言葉で抑えつけられるたび

この世のすべてを呪っていた。

 

生まれたことさえ呪っていた。

 

今は「できないこと」を「許されてる」気がする。

できないこともわかったし

できないことを許されることも大体理解した。

 

そうなって思うのは

「できないこと」を恥じるんじゃなくて

「できること」を褒めそやすのでもない。

「できないこと」を許すことが大切で、

「できないこと」を個々が支えることが大事なんだ。

 

「できないこと」が「多い」のは能力が低いわけじゃ多分ない。

それは「凹凸」何だと思う。

「精神論」で「気合」で「努力」で

「むりやりできるようにすること」は、息苦しいだけだ。

 

「できないことを支えてもらう」

「その安心感の中でできることを最大限する」

それでいいんだと思う。

 

今コロナで、子供だちが預け先がないなか

あっても預けていいのか迷う情勢のなか

「私は育児が長時間できない」

そう、できないんだ。

 

「鬱」とか「ノイローゼ」とか、診断さえまだついてない。

でもわかる。多分無理だ。

 

私は周りに協力してもらわないと

みんなができそこないだと後ろ指を刺すような母親になってしまう。

沢山の人に助けてもらわないと、

多分正常な育児はできない。

 

それが今回良くわかった。

「できないことを支えてもらう」

「その安心感の中でできることを最大限する」

それでいく。

 

ほかのことと違って

育児は…数年単位で、10年単位で…継続して取り掛かる事業だ。

十数年かかるプロジェクトの、初期段階でつまずくわけにはいかない。

 

そんな仕事があったら、おお仕事だ。

数ヶ月納期の仕事じゃないんだ、これは。

 

だから、体調不良や、緊急事態、

今のようにコロナで「できないこと」を支える力が少ないとき

「できないこと」をきちんと自分で把握すること。

 

「普通」にとらわれないこと。

「助力を得るための相談を諦めないこと」

「自分の状態を常に誰かと共有すること」が

 

多分、子どもたちを守る最大限の行いになるんだと思う。

羨ましいとおもったあの子達と、同じように許されている。

それが、今嬉しい。