誤審。 | 南の島から来た男アゲイン

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生きてるって、素晴らしい。

東京でたぶん一番多い立ち食いソバ屋さんは富士そばさんだと思うんだけど、その中で数軒のみ乱切りっていう蕎麦を提供してくれていて、要は不揃いの蕎麦で歯ごたえに変化があって美味しいんだよね。詳しいことは知らないけど、たぶん都心の大型店舗だとお客さんが多すぎて対応できない(?)のではないかと、勝手な推測ね。割と微妙な街にあったりするんだけど、その乱切りが会社から歩いて10分の隣駅にありまして、たまに食べに行くのが楽しみなんだよな。

今日は長崎に原爆が落とされた日なのでそういう関連のことを書くつもりでいたんだけど、先日広島の日に書いたし、もうすぐ終戦の日だったりするので、またの機会にしようと思います。黙とう。

で、ちょっと俺なりの意見というかものの考え方というか、そういうことを書きますがいろんなご意見があるということは重々わかってるしもちろん反対意見の方々もいらっしゃるでしょう。

今回の五輪見てて、セーヌ川で泳がせたということが俺としては一番の失点と思ってるんだけど、誤審っていうことも問題になってるよね。日本に関わることで言えば柔道の「待て」問題だったりバスケのファールだったり、サッカーでもあったよね。一昨日の高校野球でも勝敗に大きく影響する誤審があったみたいだけど、スポーツに於ける誤審っていうのは仕方ないことなんだと、人間のやることには必ずミスは付き物なんだという人たちがいるけど、それは違いますとはっきり申しておきましょう。どんなスポーツであってもルールというものがあって、そのルールの範囲で勝負するというのがスポーツの醍醐味である以上、誤審は仕方ないということになってしまった瞬間スポーツのスポーツとしての意味というか地位というか、或いは尊厳というか、そういうものは一気に地に落ちてしまうんだよな。信用と言い換えてもいいかもしれないね。そういう意味で俺はサッカーのイエローカードっていうルールには以前から問題意識を持っていて、なんていうか許されるファウルがあるかのような、足掛けても軽くならセーフみたいな、選手だけでなくみんながそういう意識になってしまうよね。実際小学生なんかのチームでもファウルを受けた真似をするようなプレーがあったりして、ファウルされてないのに倒れたりするんだよね。これってどうなの?と俺は思います。誤審に戻すと、誤審が許されることになったら誤審のおかげで勝った負けたって話になる訳で、そんなものはスポーツではないと俺は考えているということね。でも実際には今回のように誤審によって大きく結果が変わるなんてことが起きてる訳で、それも一度や二度ではなく何度もってことになると、これ選手だけでなく観てる方もシラケてしまうよね。自国びいきなんじゃないか?裏でお金が動いてるんじゃないか?なんてことを考えながらスポーツ観てて楽しいですか?ってことなのよ。どうやって誤審を防ぐかということについては、今やAIという便利なものやものすごく精度の高いビデオ判定もある訳で、そういうものを駆使していくしかないんだろうね。みんなが必死で命を賭けてやってる以上微妙な瞬間っていうのは必ずある訳だから、予めその瞬間のための準備をしておくっていうことが大切ではないかと俺は思います。いろんな部門で科学が発達してるんだから、そういう人類の知恵をフル活用していいと俺は思うんだよな。

何故そこまでする必要があるのかというと、ミスによって不幸になる人が出てしまう可能性がある限りその可能性を限りなくなくす努力をすることが必要だと思うからなんだよな。これ審判だけでなく世の中には他人の運命に大きく関わってる人たちがたくさんいて、もちろん十分に自覚されてその役割を果たされている方々がほとんどだとは思うけど、一方で少し軽く考えてやしませんか?と思われるような方もいらっしゃるというのが現実と思うのね。例えば学校の先生は児童や生徒の将来に大きく関わるよね、警察官なんかも判断ひとつ間違ったら他人の運命変わる可能性大きいよね。俺も会社やってるので面接に立ち会うことがあったりして、そういう時にはこの人の運命の分かれ道に立ち会っているんだと思ってね、当たり前だけど必ずスーツ着用ですよ。俺が間違えたらこの人を不幸にしてしまうかもしれないという自覚っていうのかな、そういうことに尽きるね。