人はいつも同じ過ちを繰り返す。
私たちの祖先が、なぜ地球を捨てなければならなかったのか。もう忘れてしまったんだ。
カミが攻めてきたから?
それは言い訳。守れなかったのは自分たちのせい。備えていなかった自分たちが悪い。要らない物を大事にして、全ての決断を損得に置き換えた報い。
だから人類は次のステージに進んだって話も聞くけれど、進んだからって侵略者が消えるわけじゃない。
人類は、銀河で一番「平和な種族」だから大丈夫?
争いが起こると平和を盾に引きこもるくせに。何かあるとすぐに平和。平和。平和。
聞こえは良いけれど、言葉の裏に隠された本当の意味は恐ろしい。
本当の私たちは、銀河で一番「戦えない」種族。
とある物質とその応用理論が発見されると、歴史ある原始的な種を含め、全人類があっという間に賛同し、順応を経て、進化した。今の人類は、フィールドと呼ばれる亜空間内で暮らしている。存在するのかしないのか、生きているのかすら定かじゃない、時の流れの中だと一瞬で観測できなくなるイメージの塊。それが「人類」だ。
実体がないくせに、自分はどこ惑星系だから強いとか、大きいとか、丸いとか、くだらないことで張り合う。お互いに見てるのはイメージなのに。あくまでも見てるつもり。本当にイメージ通りなのかなんて誰も分からない。
それとフィールド内なら、距離も移動時間も関係ない。行きたいときに行きたいところへ、一瞬で移動できる。ただし時間そのものは例外。つまりタイムトラベルなんてものは存在していない。最近のブームは「地球旅行」。壊れた地球へ行って、地球再生を担う古い機械と、その機械が創り出した様々な生き物を観察する。興味のない過去の教訓を学んだつもりになり、最後は弱肉強食ショーを観て野蛮だと悦に浸る。別に地球じゃなくても、人類がいなくなった惑星ならどこでも同じような命の営みを観察できるのに。ちなみに、亜空間から三次元世界へは「観察」くらいしか干渉できない。亜空間を抜け出せば触ったりできるらしいけど、抜け出す方法はもうロストテクノロジーになってしまった。フィールドは安全、快適、無限、さらに永遠だから、人類は余裕をぶっこいていられるわけで、誰も出たいと思わないだろうけど。
でも本当は、無限も永遠も「マヤカシ」だったりする。中にいる人類が、とてつもない速さで、一生ゼロにならない縮小を続けているだけ。それにより相対する亜空間は無限になり、自分を取り巻く時間の概念も消えてしまう。もし亜空間の外から特定の一人を観測したら、コンマ数秒間しか観測できないらしい。という、あくまでも理論上の話。だけど逢いたいと思えば、私より先に縮小し始めた人や何万年も前の人とも、フィールド内なら普通に逢える。フィールドテクノロジーによる「補正効果」の為せる技。
とにかくフィールドにいれば、永遠に続く平和を謳歌できた。
イーターが現れるまでは…
途方もない食欲を持ったその生き物は、グレートインパクトの遺物だ、と誰かが言っていた。イーターは三次元の存在なのにより高い次元だけを食らう。高次元に集積するエネルギーが最高の御馳走なんだと思う。この銀河の高次元帯は、いずれイーターに食い尽くされてしまうだろう。もしかしたら、あってはならない次元帯を消滅させるため、大いなる意思が遣わした使者なのかも知れない。
フィールドにイーター被害が出始めたのはつい最近のこと。遭遇するとなす術もなく、ただ食べられる。イーターにコミュニケーションなんてものはない。ひたすら摂食と増殖を繰り返す。摂取したエネルギーを全て増殖に変換しているかのように。
グレートインパクト以来の絶滅危機から脱するため、人類は今、選択を迫られている。
「これを機にフィールドを捨て、みんなで三次元に戻るべきだ!」十万年以上続く種は、こう主張した。
「三次元空間でイーターを駆逐すれば、フィールドを守れる!」五万年前に栄華を極めた種は、こう主張した。
「フィールドと共に種を終えることが、我々の運命。大いなる意思に従おう。」大多数は、こう主張した。
「そこの君はどう思う?」見知らぬ人からの指名。亜空間全体から見られている、気がする。
「私は数秒前に生まれたばかりだから、もっと生きたい。
生きられるなら、三次元でもフィールドでも、どこでも良い。
でも、どうやって?三次元の身体はどこ?どうやってイーターを駆逐するの?
解決策になってない!いかにもな意見を提示するのは、公平性を保つためのお決まりごと。ただ言ってるだけ。人類は何万年たっても侵略者への備えすら満足にできないじゃん。
運命とか言ってる人達も、最後は逃げ出すに決まってる。地球を捨てた時と同じ。フィールドに逃げた時と同じ。今度もきっと逃げ出す。
それが本能でしょ?自己中で、卑怯で、薄汚れてて、本音と建前が違う。それが人類でしょ?
何万年も機械に地球を再生させて、私達は何もしないで亜空間から高みの見物してる。
フィールドなんかに逃げないで、自分たちの手で地球を再生すれば良かったのに!」
途中から誰も聞いてないって、分かってた。共有意識ってのは、こういう時に便利なようでとても不便だ。
「打開策のない青二才の戯言。」みんながそう思っている。
「戯言で良いよ。私に策なんてない。
だけど、何もしないで滅びるのも、ただ逃げるのも嫌だ!
私は三次元に行く!」
共有意識のせいで、次の言葉を言う前から、みんなが騒つく。
「三次元へ行って、お母様に救いを求める!」
お母様は、数万年前に辺境の星で見つかった、第一世代の女性。存在したままの姿で眠り続ける、奇跡の人。大昔に人類を救った「救世主」。
「三次元に行く術など、遥か昔に失われた!」とみんなが言う。
その常識は誰かが共有したものに過ぎないのに。そうあって欲しいと、誰かが願い、みんなにとって都合が良かったから。全てはフィールドで永遠を過ごすため。
産まれたばかりの私には分かる。ううん。違う。産まれたキッカケがイーターだから分かる。イーターが増殖する際に少しだけ溢れたエネルギーが、私の始まり。
「三次元に行きたいのなら、自分の時を、縮小を止めれば良い!
そう強く願えば!願えばっ!」
そして私の時は止まった。
一人だった。周りにいたみんなは、認識できないほど短い間に行きすぎて、今はどことも知れない。遥か彼方にあると懸念していたフィールドの端は、意外にも手を伸ばせば届くところにあった。最初から私達のすぐ側にあったんだと思う。この端に触れると、私はフィールドにとっての異物と化す。
弾き出された外側から見るフィールドは、両手に乗せられるほど小さな、ただの丸いもの。永遠を過ごすべき場所とはとても思えない。
「早っ!まだ一日も経ってないぜ?
あーあ、賭けはあいつの勝ちかぁ。一週間はいけると思ったんだけどなあ。」
雷鳴のような声に、私は肩を跳ねて振り返る。そこには、見上げるほど大きくて美しい人が立っていた。
賛同者はいなかったはずなのに、フィールドの外に人がいる…。
「俺は第三外郭域防衛隊のビョルド少佐だ。」
右手を差し出されたが、私にはその行為の意味も、なぜ人がいるのかも分からず、ただただその美しい姿を見つめていた。
「まさか言葉が通じねえとか?
出てきたばっかで悪いんだけど、これからこの船は…」
「あの!お母様がどこにおいでかご存知ですか?」
何かを伝えようとしていた美しい人には悪いけど、私の置かれた状況はそんな悠長なものじゃない。左も右も、上下さえも分からない世界ですぐに人と会えたのは、この上ない幸運。大いなる意思の思し召しを感じる。
「お?これはおチビちゃんのテレパシーか?
お母様なあ。そりゃあ、お前の家だろ。」
「違うんです!イーターが!このままだとフィールドが滅ぼされてしまう!
私は助かったから、私がみんなを助けてあげないと!お母様のお力なら、きっとイーターを排除できます!
お願いします!お母様の居場所を教えてください!お願いします!お願いします!」
映像を取り込む器官から体液が流れ出てきたせいで、きちんと伝えられたのか分からない。
「ちょっと何をテレパシってるのか分からんな…。
詳しいやつを呼んでやるから、ちょっと待ってろ。」
一刻も早くお母様を見つけなければ、と駆け出そうとしたの察してか、美しい人は大きな手で私を抱きかかえると独り言を始めた。
「おう!俺だ。賭けはお前の勝ちだったわ!そんでよ、中からおチビちゃんが出てきたんだが、テレパシることがよく分からねえんだわ。お前、こっち系得意だったよな?来てくれねえ?
…あ?なんつうか、板をぶっ壊せる母ちゃんを探してるらしい。案外お前のことだったりしてな!
は?俺が?無理に決まってんだろ。もうすぐ出撃だぜ?
…後にしろって…、お姫の要請を後回しにしたら軍法会議もん!逆になんでお前は作戦知らねえの?
そう!お姫のエリアから応援要請が来たんだって!
そういうわけだから、頼んだぜ!それじゃあ!」
幸運なのか不運なのか、分からなくなってきた。今こうしている間にもイーターの被害は拡大を続けているはず。独り言に付き合っているヒマなど、微塵もないと言うのに!
「もうすぐアリタリアって名前の、白い髪のおっかね…、キレイなお姉さんが来てくれっから、母ちゃ…、お母様のことはそいつに相談すると良いぜ。
大人しく待ってろよ。くれぐれも余計なもんは触らずに!じゃあな、おチビちゃん。」
大きな手が、ふかふかで柔らかい場所に私を運ぶ。
それから美しい人は少し離れた空間の端を縦に切り開き、向こう側へ行ってしまった。よほど修復性に優れた空間なのだろう。開いた亀裂はまたすぐに閉じた。
私も倣って端に行ってみたけれど、触っても叩いても、空間が開くことはなかった。開かないと分かっていても、この場で待つ以外の策があるわけもなく、私は半ば諦めの境地で、美しい人が切り裂いた空間の端をぼうっと眺める。すると今度は反対側の端が縦に割れ、亀裂の奥から不思議な香りを放つ、大きいけれど貧相な人が現れた。
「あなたね!迷子のおチビちゃんは!私は軍医のアリタリアよ。」
藁にもすがる思いで駆け寄る私を、貧相な人も軽々と抱きかかえる。
「お願いです!お母様の居場所を教えてください!こうしている間にもみんなはイーターに…!」
「驚いた…。彼女の言った通りテレパシーだわ。
こっちの言葉は分かるのかしら?分かるのなら、この指をつかんでみて。」
私は、藁ならぬ貧相な指を両手でしっかりと握りしめた。
「OK。あなたに伝えたいことがあるのは分かった。だけど、まずは私の説明を聞いて…」
貧相な人、アリタリアによって私は多くのことを知る。
フィールド内に流れる時間のこと。外で瞬き一つする間に、フィールド内では何年もの時が流れる。私が弾き出されてからの経過時間を考えると、おそらくもう手遅れだ。何よりも私を驚かせたのは、私の産まれたフィールドが外の時間だと「たった一日前」に少数派によって作られたものだったこと。アリタリアは、部隊内で定期的に起こる一種の反戦行為だと言った。そして、この新しいフィールドの監視者に選ばれたのが、先ほどの美しい人とこの貧相な人。
私自身のこと。今の私は、純亜空間産の人類が三次元体に変化し、実体を持った姿だと言う。外見は、大銀河第七地区に広く分布する小型生物、ピノスケスの幼体に似ている、と平らな像を見せながら説明してくれた。やたらもふもふしたこのピノスケスも、人類種に含まれるらしい。進化か退化かは、私自身の捉え方による、とも言った。私は進化だと思いたい。
「それでね、あなたの言うお母様は、私達の価値観だと、始まりの人でしかないの。
実体の重要性を教えてくれた、尊い存在であることは認めるわ。だけど彼女に高次元や亜空間を救う力があるなんて、考えられないわ。」
「実体の重要性…。」
「あなたがフィールド内でどんな銀河を見ていたのか分からないけれど、銀河にはピノスケスだけでなく、多くの人類が暮しているわ。もちろん人類以外の色々な生き物と一緒に。とにかく銀河は、たくさんの命で溢れているの!」
「…フィールドから見る銀河には、誰も…。誰もいませんでした。」
「そうだったの…。なんだか悲しいわね…。
そうだ!本当の銀河を見せてあげる!さっきの彼女も元気に飛び回ってるはずよ。」
そう言ってアリタリアは私を持ち上げると、胸の前でぎゅっと抱きしめ、美しい人が消えた空間の端を縦に割った。頭に顔を擦り付けるのは、こちらの世界の挨拶なんだろうか?だとしたら、同じサイズの場合はどうやって?
展望デッキ、という目的地に行くまでの会話の中で、アリタリアは自分と先ほどの美しい人についても教えてくれた。
アリタリアは、ハタ星系種と衝突銀河由来の外来種、リイダスマンとの混血種の女性。美しい人はお母様を基に作り直した人類の末裔、リビルド種の女性。リイダスマンのことも、リビルド種のことも、私は知らなかった。
「着いたわよ!」
いくつもの空間の端を縦に割って進んだ先に、展望デッキはあった。とても大きくて、立つ場所まで透き通る不思議な空間。どこが空間の端なのか分からない。アリタリアの言う通り、この場所には色とりどりの人種がいる。透き通る空間のせいか、彼らはまるで果てしない宇宙空間に浮かんでいるよう。
「ほらみて。あそこを飛んでいるのがビョルドの隊よ。先頭が彼女。」
「三角形がたくさん。」
「そう。あの三角形は戦闘機。戦うための乗物よ。小さく見えるけど、近くで見ると大きいんだから!」
「戦うため…。」
美しい人が操る小さな三角形は、光る尾をたなびかせ、大勢を引き連れて宇宙を切り裂いて行く。途中で回ったり、ジグザグに動いたり、他の三角形と交差したり、よく見ると、三角形よりも少し小さな赤い点を追いかけている。偽りの銀河中を一瞬で移動していた私からすれば野暮ったいはずなのに、なぜか胸が熱い。
「そして、あっちに見えるのが…」
「地球。」
青く光る美しい星。
よく知ってるはずなのに、何度も見たはずなのに、どうしてこんなにも美しいの。
「あ!光った!そろそろお姫様が出てくるわよ。」
在るだけで美しい地球が、加えて金色の神々しい光を放つ。その美しさをどう形容すれば良いのか、私は適切な言葉を知らない。
やがて光が収束すると、地球の向こう側に大きな人が浮かんでいた。真っ白で、金色の髪と金色の翼を持つ、地球より大きな人。
大きな人は両手を広げると、その長大な翼で地球を包み込んだ。愛おしい、愛おしいと、そこはかとなく優しく、それでいて力強く。奇しくも包まれた地球の姿が、自分がアリタリアに抱きしめられた姿と似ていることに気づき、思わず顔を上げる。
「あの人は…?」
照れ隠し、だったと思う。アリタリアの視線が私に向いていなかったから。
「あの人は…
始まりの時からずっと、たった一人で地球を護ってきた人。今は私達も一緒だけどね。
彼女のこと、この部隊はお姫様って呼んでるの。だって、見た目がゴージャスでしょ?」
アリタリアは腰を少し捻り、貧相な両腕で翼を真似てみせる。ゴージャスの意味は分からなかったけど、無数の三角形達が放った閃光に照らされて、貧相な身体が少しだけ華やかに見えた。
「もしかしたら、あの人が本当のお母様なのかも知れないわね。」
「…お母様。」
あの大きな人がお母様なら、私はとても誇らしい。
「私は思うの。例え彼女が何者だったとしても、私達と変わらないって。」
「変わらない…?」
「そう。君と私と同じ。
命をつなぐために戦ってる。
せめて自分の手が届く範囲だけでも護るんだって。
…ちっぽけな私達と同じ。」
私の映像を取り込む器官から、また体液が流れ始めた。今度は拭っても拭っても止まらなくて、アリタリアの貧相な腕に抱きしめられても溢れ続けた。