台風が過ぎて、また暑さが戻ってきました。
後頭部から、暑さを感じます。
いつの間にか、電力不足が言われなくなっていますよねぇ…
いろいろと改善しているんでしょう。
ふと感じたのですが…
日本の緯度ってかわっていたりして。
そんなことはない?
わかりませんよねぇ。
台風が過ぎて、また暑さが戻ってきました。
後頭部から、暑さを感じます。
いつの間にか、電力不足が言われなくなっていますよねぇ…
いろいろと改善しているんでしょう。
ふと感じたのですが…
日本の緯度ってかわっていたりして。
そんなことはない?
わかりませんよねぇ。
からだを生かすことって、難しいのかもしれませんね。
「わかっているけど」
さて、どうしたものかと。
何をするにも、からだがつきまとう。
喜怒哀楽もからだがあってだし。
人間である以上、このからだを最大限に生かすことになるはず。
しかし…
からだのことよりも、それ以外のことに執心しているかもしれないのが、現代に生きる私たち。
考え過ぎたり、悩んだりするのもからだのせいだったりして。
各部位の不満が、自分の不満だったりして。
生かすも殺すも、自分次第。
「でも生かす方法がわからない」
誰もわからないのかもしれません。
それでも、
「こんな感じでいいのかな?」
めくらめっぽうやってみるのもありですよ。
やれば、何かしら、からだが訴えてくるはず。
それを観察していけば、ちょっと方向性は出てくるかもしれない。
ではでは。
2017年も漂うことができました。
2018年も漂流し続けたいと思っています。
自分が思っている、考えている以上のことが実現することを継続していきます。
私ができることって限られているけれど。
誰かと、
「こんなことやっちょおうか」
と、取り組んでみると、
「えー!こんなことに」
って。
そうなってもいいし、ならなくてもいい。
わざわざ自分で自分のことを狭いところに押し込んだり、設定することは、
「辞めていいなぁ」
と、考えています。
出たとこ勝負。
求められることにいつでも応じることができるように、日々準備は怠らないだけです。
食環境について、いろいろと調べています。
各時代の人間の生活を研究していると、
「太古の人たちの方が、食生活は充実していたんじゃないか?」
と、感じます。
そうなると、
「現代に生きる私たちよりも長生きでもおかしくない」
と、考えてしまいます。
現代とは異なるリスクもあったとは思います。
それでも私たちよりも長寿だっただろうと考えずにはいられない。
個人的な推測ですが…
長寿の民族もいただろうし、短命の種族もいた。
そして、短命の人々のデータだけが取り上げられているのではないかと。
私たちは、偏った情報や履歴ばかり提示されているのかもしれませんね。
世界各地で、
「200歳以上生きていた」
とか、言われることがあります。
そうすると、
「数え方が間違っていたのではないか?」
なんて、言われたりします。
確かに、そういう面もあるかもしれないですが。
逆に数え方の間違えで、
「少なく計算されている人々もいるかもしれない」
などと、考えてしまったり。
2018年は、隠された人類の事実が明るみになったりする予感もあります。
このところ、下半身の使い方を模索しています。
様々なスポーツの、
「投げる打つ突く」
を、分析しています。
選手や指導者の方々は、自分の動きと言葉が同一ではないところがあります。
していることと話している、書いていることが違うように感じます。
そのため、動作を自分なりに解釈する必要が出てきます。
また、話したり、書く際に、癖があることを読み解けると、
「なるほどねぇ」
と、解明しやすくなるかもしれません。
下半身を生かすために、どのように上半身を介在していくか。
相互の介在度合いを模索していると言えるかもしれません。
この仕事をしてどのくらい経つんだろう…
人との出会いによって成り立つ仕事だと思っています。
このところ、
「お久しぶりです」
と、ご連絡をいただく機会が増えています。
「前回のセッションから、どのくらい空いてました?」
一緒に数えてみて…
「もうそんなに経ちました?」
みなさん、人生の岐路に立っている。
様々な変化の真っ只中にいる。
「一歩を踏み出したい」
「更なる変化を望んでいる」
人生の岐路に立つと、望んでいることが顔を出してきます。
「内なる欲求を知る」
チャンスなのかもしれません。
これまでの歳月を振り返っていただいてと。
こらから目指す人生を一緒に覗いてみています。
2017年もあと数日。
今年もぼちぼちがんばりました。
出会いもあれば別れもあり。
人間関係は難しい。
難しい中で、
「あ~、こういうことを望んでいないんだ」
と、知ることができます。
日々生活する中で、自分が望んでいないことを知るって大切なんですなぁ。
魂の欲求を満たすためにも、
「私はこれを望んでいない」
と、明確にする。
情って、時に、邪魔するところがあります。
「人間だもの」
と、思うこともあるけれど。
もしかすると、人間らしさを感じることの中には、
「らしくないこと」
が多々あるのかもしれませんね。
などと移動中に考えていました。
一見、同じように感じる容姿。
しかし、実際はかなり違います。
親子、兄弟であってもしかり。
まったく同じという誰かは存在しない。
食べ物もは何がいいか?
これも個人差がありますよね。
これを食べたらいい。
と言われても…
それがそのひとに合うかは、わからない。
あくまでも一般論として。
自分のからだで試行錯誤していくしかないんでしょうね。