最近「ちょっと遅かったかな?」「もっと早くに動いていれば良かったかな?」と思った事。
Naassom AzevedoによるPixabayからの画像
それは友達。
正確には仲間づくり。
ただの仲良しではなく、多少気が合わないところがあったとしても同じ志を持っている人。
子どもが幼い時は数少ないママ友に色々助けてもらったり、こちらも微力ながら多少協力することはできた。
人により定義は色々だが、ママ友とは自分の場合は子育てを楽しく真面目に共に頑張っていける仲間で相手からも学びがある事だった。
子育て一点集中型で猪突猛進してきた私は今これで苦労している。
仲間はそう簡単に短時間に見つからない、学生でなければ更に見込みダウン。
子育ても大変だったが、それと並行して40から50代の子育て一段落フェーズに入るとき、何をやるのかわかっていたら地道に仲間を増やしておきたかったな〜、と思うのである。
20年前の自分はまさか今のような生き方をするなんて想像も考えようともしなかったけれど、それを模索するだけでも違っていたと思う。
今やっていることは個人プレイばかりなので一人で完結出来てしまう。
しかしお山の大将では成長できないし、自己満足で終わってしまう。もっと生徒のために成長したい。
できることと言えば、独学をしてみたり良い師を探し求めることだが仲間は難しい。
年を重ねれば重ねるほど難易度は上がる。
学生時代の続きを専門としてやるならまだその時のつながりなど昔のクラスメイトをあたったりできるけれど、そうでない場合、ゼロスタートはなかなか厳しいのだ。
でも簡単に諦めてはいけない。やっていれば可能性はゼロではないのだ。
下手くそなりに大勢が集まるピティナに参加してみたり、
勉強会に出席してみたり、
グループ型の催しに出てみたり、
フェイスブックでいろんなグループに入ってみたりした。
大半が楽しかったが仲間に至るのはプチプチの♡型を見つけるよりも難しいものだ。
その時もその時でただ出席、参加することで頭が一杯だったな。
目の前の事を一生懸命やることも大事だが、ずっと先の事を考えそれを目の前の事に落とし込んで行動する。
どんなに小さく時には一時停止になってしまってもやらないのとやるのは・・・、いやいや考えるだけでも全然違うと思う。
なんせアンテナが1本新たにできたのだから。
一瞬後悔はしたが、後悔は仲間を連れてこない。
こんな事を書きつつ思うのは、20年前にこれを自分が読んでもやはり同じような行動をしていただろう。
私は私で、自分らしい生き方だな、と愛おしくさえ感じているのに気づく。
以前は人生をやりなおすなら〇〇才に戻って〇〇を頑張って・・・。とニタニタ妄想した事があった。
今思うとなんてエゴイスティックでヒステリックだったんだろう・・・と思う。
むしろ感謝。
気の遠くなるような歴史の流れに地球人一員として参加できていること。
そして後悔したらそこから学べばいい。今からずっと先の事を考えて生きることもできる。