ここ最近だいぶ暖かい日があったもので、さすがにコタツを片付けました。
これって早いほう?遅いほう?なんかタイミングって分からんよね(笑)
プラス・・・ちょっと近々スペースが必要になるので若干の家具移動。
で、なんか余りに殺風景だったので違う目的で買った布を壁にかけてみたり。
ホントはウォールステッカーとか貼りたいんだけどね・・・あれキレイに剥がれるのか疑問で買う勇気が出ない(笑)
衣替えもクローゼットの中で自分が分かる程度にやったし・・・
少し服も買ったし・・・
うん、これでOK!!
でもなんか、夏にまた大きな地震とか来て断水やら停電やらしたらエラいことになるな・・・とか考えちゃったり。
あ~、ストレス発散して~っ
3月11日の震災から2ヶ月が経過した。
TV、新聞はもちろん友人のブログなんかも今日までを改めて振り返って、これからも前向きに頑張っていこう!って感じの論調。ま、至極当然だ。
でも、この振り返りってどのくらい続くんだろ・・・半年、1年、3年後・・・自分はどう考えて、何をしているのか。
良いことは思い溜めたり続けたりして、悪いことは租借し正確に理解出来ていて、前進する力に変えられているんだろうか。
少しずつ…前進して…上を向いて…みんな1つ…頑張ろう日本…
この声はいつまでかけられるんだろう。
行方不明者はどんな形であれ見つかって、全員元の場所に帰れるだろうか。
もちろん基本ポジティブに考えているけど、ネガティブな思考が出ないわけもない。
ボランティアとして善意を持ち寄っても、お土産に悪意を持たされる事もある。
いや、最近はそのほうが多いかもしれない。
この日記はだいぶ支援してる人も読んでいるようだから多くは語らないが、物資やマンパワーとしての支援による問題は個人的な感覚から言うと1ヶ月前より何倍も増えている。
簡単に言えば、一部の被災者はわがままになり、一部の支援者・ボランティアは傲慢になっているというところか。
見た人もいるかもだけど…先日、怒るときにはいつも冷ややかな感じの自分が声を荒げてしまうってことがあった。
気持ちが高ぶった言動自体は反省するが、その考えが間違っているとは今でも思っていない。
分かってるよ。分かってる。
十人十色、千差万別。
多種多様な人がいて、それぞれの価値観があって…
う~ん、難しいね。。。
2ヶ月という時間で気持ちが落ち着いてきて生まれる心の光と影を最近すごくよく感じる。。
影響されやすいのか影に覆われると気分もだいぶ沈むね。
それを跳ね除けようとして自分で無理してるのに気づくと更に沈むし。
最近だいぶネガティブかも。
うーん…なんか最初に書こうとしてた内容と違ってきたな^^;
じゃ、違うことを。
最近友人と話すと「命」って重いテーマがよく出てくる。
もちろん震災で考えることが多くなったからだ。
案外、自身に降りかかった被害が軽いだけに地震や津波に恐怖は感じていない。
そして原発もそれほど・・・。
もちろん脅威ではあると思ったし、不安はそれなりにあったけど、避難するほど不安視はしてなかった。
むしろ怖いとすれば、人が死ぬということ。
今までの日常では親族や同級生、先輩、友人・・・と、色々見送ったものの、今回のような怖さは感じなかった。
うん・・・死ぬことっていうか「突然、そして簡単に人が居なくなってしまう」ということをあまりにも身近に感じてしまったことが怖いのかな。
2ヶ月の間に一気に何人も見送り、まだ見つからない人もいる。
慣れもしないし、思い出せば目頭も熱くなる。
人の命がこんなにも尊いものだなんて・・・いや、ホントに無知だったんだなぁ。
きっと今まで特に何も考えてなかったんだ。鈍いのかも。
・・・な~んて話を何人かとした。
別に面白くもなんともないし、決して明るい気持ちにはならないけど、それぞれが自分の心の中にあるモヤモヤを吐き出して、それがどういうモノなのかを確認しているような感じ。
その中で多いのが「命」に関わる話だ。
助かった命にホッと胸をなでおろし、失った命に祈りと想いを・・・。
亡くなった人は何を想い、残された人はどう現実を受け止めるか。
言い方悪いが、誰かに殺されたわけでなく・・・病気でもない・・・
悔しくて振り上げた拳はどこに降ろすこともできない。
形にもならない天災を恨むというのは気持ちとしては難しい。
前を見ようとする一方で、拭いきれない想いがたくさんあるんだよね。
歩は進めるよ。でも・・・気持ちが追いつかなくなってきたってのも正直なところ。
気持ちが行っては戻っての繰り返し。
いつ、どうやったら落ち着くんでしょう。
時間が解決するってやつか?
まどろっこしい・・・ドラえも~ん、なんか道具出してよぉ~
・・・とか言いたい。。。
うーん、まとまらないけどこんなとこで。。
TV、新聞はもちろん友人のブログなんかも今日までを改めて振り返って、これからも前向きに頑張っていこう!って感じの論調。ま、至極当然だ。
でも、この振り返りってどのくらい続くんだろ・・・半年、1年、3年後・・・自分はどう考えて、何をしているのか。
良いことは思い溜めたり続けたりして、悪いことは租借し正確に理解出来ていて、前進する力に変えられているんだろうか。
少しずつ…前進して…上を向いて…みんな1つ…頑張ろう日本…
この声はいつまでかけられるんだろう。
行方不明者はどんな形であれ見つかって、全員元の場所に帰れるだろうか。
もちろん基本ポジティブに考えているけど、ネガティブな思考が出ないわけもない。
ボランティアとして善意を持ち寄っても、お土産に悪意を持たされる事もある。
いや、最近はそのほうが多いかもしれない。
この日記はだいぶ支援してる人も読んでいるようだから多くは語らないが、物資やマンパワーとしての支援による問題は個人的な感覚から言うと1ヶ月前より何倍も増えている。
簡単に言えば、一部の被災者はわがままになり、一部の支援者・ボランティアは傲慢になっているというところか。
見た人もいるかもだけど…先日、怒るときにはいつも冷ややかな感じの自分が声を荒げてしまうってことがあった。
気持ちが高ぶった言動自体は反省するが、その考えが間違っているとは今でも思っていない。
分かってるよ。分かってる。
十人十色、千差万別。
多種多様な人がいて、それぞれの価値観があって…
う~ん、難しいね。。。
2ヶ月という時間で気持ちが落ち着いてきて生まれる心の光と影を最近すごくよく感じる。。
影響されやすいのか影に覆われると気分もだいぶ沈むね。
それを跳ね除けようとして自分で無理してるのに気づくと更に沈むし。
最近だいぶネガティブかも。
うーん…なんか最初に書こうとしてた内容と違ってきたな^^;
じゃ、違うことを。
最近友人と話すと「命」って重いテーマがよく出てくる。
もちろん震災で考えることが多くなったからだ。
案外、自身に降りかかった被害が軽いだけに地震や津波に恐怖は感じていない。
そして原発もそれほど・・・。
もちろん脅威ではあると思ったし、不安はそれなりにあったけど、避難するほど不安視はしてなかった。
むしろ怖いとすれば、人が死ぬということ。
今までの日常では親族や同級生、先輩、友人・・・と、色々見送ったものの、今回のような怖さは感じなかった。
うん・・・死ぬことっていうか「突然、そして簡単に人が居なくなってしまう」ということをあまりにも身近に感じてしまったことが怖いのかな。
2ヶ月の間に一気に何人も見送り、まだ見つからない人もいる。
慣れもしないし、思い出せば目頭も熱くなる。
人の命がこんなにも尊いものだなんて・・・いや、ホントに無知だったんだなぁ。
きっと今まで特に何も考えてなかったんだ。鈍いのかも。
・・・な~んて話を何人かとした。
別に面白くもなんともないし、決して明るい気持ちにはならないけど、それぞれが自分の心の中にあるモヤモヤを吐き出して、それがどういうモノなのかを確認しているような感じ。
その中で多いのが「命」に関わる話だ。
助かった命にホッと胸をなでおろし、失った命に祈りと想いを・・・。
亡くなった人は何を想い、残された人はどう現実を受け止めるか。
言い方悪いが、誰かに殺されたわけでなく・・・病気でもない・・・
悔しくて振り上げた拳はどこに降ろすこともできない。
形にもならない天災を恨むというのは気持ちとしては難しい。
前を見ようとする一方で、拭いきれない想いがたくさんあるんだよね。
歩は進めるよ。でも・・・気持ちが追いつかなくなってきたってのも正直なところ。
気持ちが行っては戻っての繰り返し。
いつ、どうやったら落ち着くんでしょう。
時間が解決するってやつか?
まどろっこしい・・・ドラえも~ん、なんか道具出してよぉ~
・・・とか言いたい。。。
うーん、まとまらないけどこんなとこで。。
震災から1ヶ月半が経過して、
落ち着いたもの、落ち着かないもの
戻ったもの、戻らないもの
無くしたもの、得たもの
・・・と、色々あった。
それは誰彼関係なく経験しているものだろうが、どんな状況であれ歩を進めることが大事なんだと思ってる。
それは実際の目に見えるものだけでなく、心の中の歩みもあるだろう。
これは、うちのバスケチームの第一歩に関する話。
チームは他と例外になく活動を休止している。
それは拠点とする体育館はもちろん、市で管轄する運動場の類はすべて休場・休館となっていることが大きい。
もちろん感情部分の理由がまったくないわけじゃない。チームを主導する身からして言えば、メンバーの中にも少なからず今回の震災の影響を受けた人はいるわけで、それが解決もしないうちに・・・というのはあまりにも軽薄かという思いがある。
が、「復興」・・・日常に戻すって言うのはこういう小さいことを始めることなのかもしれないとも思っている。
約12年間当たり前に週末をバスケに費やして、小さかったチームがどんどん大きくなり、女子も補強十分にバランスが取れて力をつけてきた。近年では自分自身が引退をしても大丈夫かなぁと思えるほど落ち着いてきていたんだ。
なのに・・・天災とはいえそれを“邪魔”された。
一言で言えば「悔しい」。
もちろんみんなで作り上げたものではあるけれど、十分な謙虚さを加えても「俺が作ったチーム」って間違いなく言えるもの。
それくらい自信のあるコミュニティ。
その活動が大きく止まっているんだ。
俺の負けず嫌いな性格からすると・・・そんな状況にはとにかく抗いたい。
相手が誰か、どんなものかなんて関係ない。自分の信じるようにやるだけ。
ん~・・・ちょっと言い方うっとぉしいか(笑)
もしかすると「不謹慎」なんて声もあるかもしれない。
再開しても元の形には程遠い状態でのスタートになるんだろう。
でも、歩みを止めて、下を向いて・・・何が変わるんだろうか。
何もすべてを忘れてバスケに興じろと言ってるわけじゃない。
ただ、何かの足がかりや、息抜きに・・・何より、日常を取り戻すために始めたい。
そんな状況じゃないと思ってる人、気持ちはともかく他に障害があって出来ない人、周囲への配慮でやらないって人もいるかもしれない。
でも、いざ「バスケをしたい」と思ったときにその器や環境がなければ戻っても来られない。
そんなの寂しいじゃない。
「やっと参加できる」、「もっと早く参加すれば良かった」、「やっぱりバスケっていいよね」っていう場所であって欲しい。
いっそ参加したらみんなの歩幅が広がったり、一歩どころか何歩も前に進めるような場所でありたい。
もう32歳だし心身ともに枯れそうだけど…こういう熱はまだあるみたい。
あ、これってチーム愛かしら♪
いや、やっぱり負けず嫌いなだけだな(笑)
4月30日(土)18:00 リスタート。
落ち着いたもの、落ち着かないもの
戻ったもの、戻らないもの
無くしたもの、得たもの
・・・と、色々あった。
それは誰彼関係なく経験しているものだろうが、どんな状況であれ歩を進めることが大事なんだと思ってる。
それは実際の目に見えるものだけでなく、心の中の歩みもあるだろう。
これは、うちのバスケチームの第一歩に関する話。
チームは他と例外になく活動を休止している。
それは拠点とする体育館はもちろん、市で管轄する運動場の類はすべて休場・休館となっていることが大きい。
もちろん感情部分の理由がまったくないわけじゃない。チームを主導する身からして言えば、メンバーの中にも少なからず今回の震災の影響を受けた人はいるわけで、それが解決もしないうちに・・・というのはあまりにも軽薄かという思いがある。
が、「復興」・・・日常に戻すって言うのはこういう小さいことを始めることなのかもしれないとも思っている。
約12年間当たり前に週末をバスケに費やして、小さかったチームがどんどん大きくなり、女子も補強十分にバランスが取れて力をつけてきた。近年では自分自身が引退をしても大丈夫かなぁと思えるほど落ち着いてきていたんだ。
なのに・・・天災とはいえそれを“邪魔”された。
一言で言えば「悔しい」。
もちろんみんなで作り上げたものではあるけれど、十分な謙虚さを加えても「俺が作ったチーム」って間違いなく言えるもの。
それくらい自信のあるコミュニティ。
その活動が大きく止まっているんだ。
俺の負けず嫌いな性格からすると・・・そんな状況にはとにかく抗いたい。
相手が誰か、どんなものかなんて関係ない。自分の信じるようにやるだけ。
ん~・・・ちょっと言い方うっとぉしいか(笑)
もしかすると「不謹慎」なんて声もあるかもしれない。
再開しても元の形には程遠い状態でのスタートになるんだろう。
でも、歩みを止めて、下を向いて・・・何が変わるんだろうか。
何もすべてを忘れてバスケに興じろと言ってるわけじゃない。
ただ、何かの足がかりや、息抜きに・・・何より、日常を取り戻すために始めたい。
そんな状況じゃないと思ってる人、気持ちはともかく他に障害があって出来ない人、周囲への配慮でやらないって人もいるかもしれない。
でも、いざ「バスケをしたい」と思ったときにその器や環境がなければ戻っても来られない。
そんなの寂しいじゃない。
「やっと参加できる」、「もっと早く参加すれば良かった」、「やっぱりバスケっていいよね」っていう場所であって欲しい。
いっそ参加したらみんなの歩幅が広がったり、一歩どころか何歩も前に進めるような場所でありたい。
もう32歳だし心身ともに枯れそうだけど…こういう熱はまだあるみたい。
あ、これってチーム愛かしら♪
いや、やっぱり負けず嫌いなだけだな(笑)
4月30日(土)18:00 リスタート。
