あれから1年が経ちました。
「もう1年か」という思いと、「まだ1年か」という思いがあります。
言い過ぎでなく、当時のことが昨日のように鮮明に頭に浮かびます。
地震直後のこと、被害状況を見回ったこと、ライフラインの影響、ガソリンや物資の不足、知人・友人の死、原発問題・・・
人生の中で最悪だと思える状況でした。
でも、自身には逆に良かったことも。
募金やボランティア活動での周囲との協力、家族や仲間との絆、地元愛・・・
自分に今までなかったもの、希薄だったものが芽生え、そして色濃く見えた出来事でした。
また、募金や支援物資については私個人や関わりのある関係団体等へのお気遣いを多分に頂き、「ありがとう」という言葉では表しきれない感謝の気持ちでいっぱいになりました。
他にも情に溢れるご心配やお気遣い、お声がけを頂いて・・・人の温かさを芯で感じる1年でした。
ありがとうございました。
とはいえ、いまだ解決しきれない出来事は山積しています。
地域にみるハードやソフトの復興のみならず、個々人の心身的な痛みは一瞬のうちに元通りになったり、新しく築かれることはありません。
悔しくも今回の震災で命を落とされた方々には引き続きの祈りと鎮魂の想いを。
その家族や友人・知人には哀しみが続かない配慮と思いやりを。
その他私も含めて被災者は・・・頑張れ!(笑)
被害は大なり小なり差があるかと思いますが、他人にしてもらうことだけが復興に繋がるとは思えません。各々のコミュニティで地域で頑張りたいものです。
私は微力ながら動きます。
仕事は出向扱いで4月から立ち上がる復興関連のNPO法人に移ります。
プライベートでは友人たちとボランティア団体を4~5月を目処に立ち上げます。
所属する政治勉強会とフリーランスの団体では東日本大震災に関わらず国内各地の震災について積極的な寄付と募金活動を今後行うことになりました。
大そうなことは考えていません。
やれる人間がやりゃぁいいんです。
今後活動をともにするK君が募金活動を開始する時に軽い調子で言った言葉を思い出します。
「ちょっとやっとく?」・・・みんな笑いました。
でも活動することの想いに熱さがありすぎると、時にはお互いにとって重くなるのかもしれません。
そう思うとあの軽さがあったからこそ今の段階まで進んだんでしょうかね。
偉いぞK君。さすが俺の下僕だね♪(笑)
それから原発問題・・・今日はあまり語る気にもなりませんが。。
でも、どこかで今日やっていたデモや反対活動、そんなことをやる元気があるなら今まさに減っているボランティア活動に参加してくれたらいいのに。
この1年の節目にアピールすることの思いも分からなくないですが、今日やることが相応しいとは到底思えません。
色々書きましたが、何よりも今生きていることが幸せなんだと思いたいですね。
そして、人は1人では生きられない・・・出せる力で支え、協力する人間でありたいものです。
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12日、13日で通夜・葬儀を終えて14日、母の59回目の誕生日になるはずだった日に初七日を迎えた。
そしてようやく一息。
いろんな意味でホッとしている。
1月に胃に癌が見つかり、
2月に胃の全摘手術、
3月の震災後少しして退院し飲み薬での抗がん剤を開始、
ここまでは前にも日記に書いたとおり。
その後、8月に検査で再発が認められて入院。
痛みが激しく、主治医の話は俺だけが聞くことに。
「腸管の周りに腫瘍が広がっていて手の施しようがない」
「何もしなければ2~3ヶ月、抗がん剤をやっても年内持つかどうか」
なんとなくの覚悟はあったものの実際言われると結構効く。
夜遅かった為、その日は帰宅。
次の日、母親と親父の元気がない。元気がないどころか二人とも泣いてる。
「部屋の前で先生と看護師さんが話してたの。『この患者は今月いっぱいもたないから』って。」
昨日の今日でそんなわけない・・・でも否定してもなかなか信じず体調まで崩す始末。
あまりに落ち込む姿を見て決めた。
「癌の状態と手術はできないってことは話すけど、余命の話は最後まで絶対にしない」と。
ずっと先を見て、モチベーション高く、1日でも長く生きて欲しかったから。
結局、先生と看護師の話は隣の病室の人だったんだけど・・・そんな話誰かに聞こえるようにすんなよって感じ。
その後、少し元気を取り戻し本人の希望もあって抗がん剤を投与。
しかし、弱った身体には厳しかったようでその後1~2週間体調を崩す。
最初は毎日のように会社帰りに見舞いに行っていたが、9月のある日に母親が俺に言う。
「私のことはいいから、普通の生活をしなさい。当たり前の日常を送るのが簡単じゃないのはあなたなら分かるでしょ?自分のことを考えなさい。遠慮しないで色々楽しみなさい。たまに来てそれを楽しく話してくれればいいから。」
やっぱり俺の母親よね。
俺でも絶対そう言うわ。
ってか、震災の時にも散々自分で言ってた・・・「当たり前の日常を」。
バスケだってそれを思って早々に復活させたわけだし。
亡くなった2日後に体育館に顔出ししたのもそんなところから。
その後、ライブに行ったり、旅行に行ったり、買い物したり、仕事ももちろん。。。
母親を笑わせるために当たり前の日常を楽しんで報告した。
とはいえ、病魔は確実に身体を蝕んでいき・・・
俺が病院に呼び出されることも多くなった。
「外出させたいなら早めにしたほうがいい」
10月の末頃主治医に言われた。
でも、本人に聞くと「別に行きたいところはない。病院で静かなのがいい」とか言ってた。
ホントは遠慮してたんだよね・・・酸素ボンベを付けてプラス車椅子じゃないと外出できなかったろうし、何より俺たちの時間を奪っちゃうからって言ってたと後から看護師に聞いた。
外出用に選んで買って来たカーディガンとフリース・・・喜んでくれたけど1回も着れずに無駄になっちゃったね。
忘れもしない11月26日、意識が飛び、呼吸が一時的に止まって連絡が来た。
ホントなら調子がよければ外出しようねって約束していた日。
これが最後のタイミングだと思ってたのに・・・実現できなかった。
ここからは酸素マスクを常にして寝たきりの状態。
喋ることもほとんどできなくなっていた。
日に日に弱る状況・・・12月8日の午前1時に病院から連絡。
「脈が微弱で呼吸がかなり浅いです。付き添われたほうがよろしいかと。」
親父にも連絡をとって病院へ。
着いて数値は安定していると言われたものの、何かいつもと違う感じ。
目を開いて視線はこちらに向けないまでも話をしたそうだった。
俺たちが話かけるとまばたきをして返事をしているかのよう。
手を握ると少し握り返してきた。
落ち着いた様子を確認して、親父が5時ごろ帰宅。
俺は会社を休むことにして引き続き付き添っていた。
7時40分ごろ、布団を押しのけるほどの力で腕を伸ばして「あ"ぁ~」といううめき声をあげた。
呼びかけても目を見開き声をあげるだけ。
その後、呼吸が極端に浅くなり無呼吸が5秒~10秒と長くなる。
看護師が走ってきて状況を確認。
「やばい」と思って即座に親父に電話・・・繋がったと同時くらいに呼吸停止。
蘇生処置は事前の申し合わせでしないようにと言ってあったのであっけなく終わった。
電話口で「分かった」とつぶやく父。
その後こちらに向かっていた弟に電話で報告、「まぢで・・・」と高速運転中にも関わらず号泣。
入院中フォローしてもらった叔母にも連絡、何を喋っているかもわからないほど取り乱していた。
一通り電話を終えて・・・「頑張ったね、お疲れ様」とまずは声をかけた。
思いもかけずというのか、目から大量の汗が・・・まだ温かい母親の手や顔を触りながら、考え付く限りの労いの言葉と、感謝の言葉を続けた。
その後に訪れる家族達。
みんな人目をはばからず号泣していた。
そんな中で、俺は主治医や看護師と話をし、葬儀屋に連絡、死亡診断書を受け取り、病室の片付け・・・
と、粛々と進めていた。
当然心中穏やかではない。が、ここでちゃんとやらないと母が成仏できんと思った。
すったもんだあったものの、葬儀は喪主代理として一切を取り仕切り、行政手続きもほぼ終わった。
1番辛かったのは納棺の時か。人前、しかも親族一同いるところでついに号泣してしまった。
大叔母に「ジョウ君は看護頑張ったね。レイコさんも嬉しかったよね」と声をかけられた時だった。
実際はかなり親不孝してきたところがあるから、まだまだ孝行足りなかった。
それが悔しくてくやしくて・・・
でも今となっては、これからを楽しんで幸せになることが孝行なんかなぁと思う。
今、具体的にどうのとは思い浮かばないけど、まずは「普通の日常」を過ごせるように。
葬儀で分かった親戚、友人・知人の母の印象。
「気遣いしすぎるくらいの優しい人」、「目立つのが苦手な控えめな人」、「歌がうまい人」、「美人な人」、「料理上手な人」、「我慢強い人」
故人を悪く言う人はいないだろうけど、あまりの褒められっぷりに鼻が高かったよ。
加えて「ジョウ君はよく似てるね」って言われるのが誇らしく思えた。
2011年は悲しいことが多すぎたね。
東日本大震災、震災による友人・知人の死、病気による友人の死、母の死・・・
人の命ってものがこんなにも身近で儚いものなのかと思い知らされた1年だった。
あと1週間残ってるけど、
2012年は嬉しいこと、楽しいことがたくさんありますように。
さて、久々に書きましょかね。
思い出すと小さなことから大きなことまで色々と・・・
まずは俺が復職して1週間ちょっとで母親が再入院しました。
これはまた別に日記書きますがね。
なんか、案外大変よね。
仕事で疲れて&そんなこともあるとなんか甘いものが食べたくなってしまったり・・・
ラムレーズン大好きです。
9月中とかはストレスもあってイライラすることも多かったのでカルシウムを・・・
灰干し焼き鯖定食は最高です。
え?はい、美味いもの食べたいだけですがなにか?(笑)
でも、大変なことが多いからこそプライベートには充実さを求めたいといいますか。
疲れを取るために家にじーっとしてってのは嫌なわけで。
震災のこともあるけど、「当たり前の日常を」というのが自分の中で目標になってるというか・・・それもおかしな話なんだけどね。
自粛ムードや周囲に気遣いされるくらいなら自分で主導してしまえ!・・・みたいな(笑)
だから外に出るきっかけを作るためにとりあえずデジカメを新しく購入。
FUJIFILM F550、1個前の型だけど改善点少なかったし安いし買いかと。
しかも動画も撮るだろうというなんとなくで16GBのSDメモリを購入。
海外向け製品の白芝(class10)が2,700円くらい。安くなりましたなぁ。
そんなカメラが活躍するのはやっぱり遠出。
光学15倍ってこともあって無駄に遠いところが撮れる。
笑えるくらい被写体に寄ります(笑)
で、今年も行って来ました仲間内での恒例になった旅行。
基本的に前年のメンバーを召集するんだけど、初めて2年連続全員同じメンバーってことで、なんかいつにも増して楽でよかったわ。
理由は色々あれど・・・今年は近場で過去2回行ってる栃木。
日光・湯西川エリアで楽しみました。
ガラス工芸体験、雨の中の大迷路、東照宮、紅葉染まる山々・・・
みんな負けじと食べた夕食、川沿いの露天風呂、各種ゲームに罰ゲーム・・・
天候が心配だったけど、雨が1日だけでなにより。
非常にリラックスできたし、楽しい旅行でした。
ホント、みんなが行けるなら年4回くらい行きたいわ。え、飽きる?(笑)
そして、去年の12月に続いて今年も行きましたLUNA SEAライブ。
今回は東日本大震災復興支援チャリティーライブってことでの開催です。
1dayだったけど結構募金集まったみたいね。
こういうのはファンとしても被災者としてもうれしい限りです。
ニュースでもとりあげられてたけど、ライブ途中で1分間の黙祷。
2万4千人が同じ空間でシーンとする空気ってのはなんともすごい。
こういう時間はやっぱり思い出すことが多くて頬伝うものがありました。
黙祷明けはこれまたチャリティーソングとして震災後に作られたPROMISEの演奏。
前のほうで「東北魂」って書いたSIAM SHADE仙台ライブのTシャツを着てる人がいて、またその人が号泣してて・・・俺も次の曲まで引きずったし(笑)
今回は派手な演出もなくて、真矢のとき火薬なかったし、Jもマイク放り投げなかったし・・・あ、RYUICHIの服も落ち着いてた気がする(笑)
ま、とにかく楽しめて少し貢献できて、気分転換も出来たからホント良かった。
あとは・・・
あ、なぜか同僚のお姉さまからこんなものを頂きまして。
正直ホントにいらないんだけど、「絶対目立つとこに飾りなさい」っていう無茶な命令が。
結局素直な俺はテレビのとこに飾りましたよ。しかしなぜにひかりカエサル・・・
他はなんかあるかなぁ~。
ん~・・・ま、こんなとこにしますか。
今後は・・・
ちょいちょい買い物が増えてるってのはいつも通りだけど・・・今はクリスマスに向けて当然ながら自分のものを物色中。
あ、最近映画に行けてないから行きたいなぁ。
観たいのは結構あるのよね。
ってわけで、時間も時間なので今日はこの辺で~♪
前に雨で流れていた友達とのショートライドに行ってきました。
出発は昨日の早朝5時半。やっぱり涼しい時間帯じゃないとね。
が、睡眠サイクルが合わずに寝ないで行く羽目に。。
俺のアパート集合。
平~新舞子方面へ。
時間帯もそうだけど、川沿いを走ってたから涼しかったわ~。
思ったよりいいコースだったからたまーに行こうっと。
新舞子の海岸線を走る。
まったくそういうつもりはなかったけど、ここからしばらくは震災の影響を思い知ることに。
広範囲に進入禁止になってはいたが、歩行者を多数見かけたこともあって入った。
いやぁ、ひどいひどい・・・写真はあえて撮らなかったけど結局引き返すほどの状況。
~薄磯・塩屋崎灯台~
主要道路から内側に入ったのは始めて。
やっぱり自分の知った景色でなく、基礎だけが残された原っぱってとこか。
豊間中の瓦礫の山もすごいもんだね。
塩屋崎灯台の下、美空ひばりのみだれ髪碑の前でちょっと休憩。
俺としてはこの辺で引き返して・・・8時頃まで近場を走って帰る予定だったんだけど・・・
「マリンタワーとか行っちゃう?
という赤い自転車乗りの悪魔の囁き。
売り言葉に買い言葉と言いますか・・・
「全然俺は大丈夫だけど!」
なんて言ってしまい・・・
いざ小名浜へ。
まぁ、10km程度なんですけどね、ただこの時間帯からお天道様が・・・そしてちょいと長めの坂が・・・
豊間~江名~
震災すぐはこの辺もすごかったけど、多少なりとも落ち着いた感じが見れてよかった。
自転車だと細道も通れてホントに良いね。
で、江名にはうちのチームのS木家があるんだけど、また赤い悪魔の囁き。
「ちょっと行っちゃう?」
え・・・結構な高台なんですけど・・・
で、結局行きました。
7時過ぎという早朝だったんで、起きてるかどうかのメールをしたけど反応なし。
仕方ないので、S木家の前で赤い悪魔を撮って「ばいばーい」って送っておきました(笑)
坂を登った疲れと会えなくて残念な感じで。。
永崎~小名浜・マリンタワー
結構サーフィンしてる人いるのね。
そしてお墓参りの人たちも・・・俺たちはお盆に何やってんだ(笑)
自転車で走ると車からは気づかないことがたくさん。
道路の状況はかなり悪いし、歩道も通れる状況にない。
マリンタワーまで1kmの標識。
これさ・・・全部坂じゃね?
結構な暑さになってきたけど、ここを登れば水分補給に良い景色!
・・・と思って地味~に頑張りました。
後方で「膝痛い、尻痛い」と騒ぐ人がいましたが、無視です(笑)
ここで水分補給+アイスで休憩。
汗が滴り落ちるってこういうことを言うのねってくらい流れましたよ。
バスケじゃこんなに汗かかないんだけどなぁ。。。
~小名浜~
こないだの花火の話なんかしながら、海岸線を気持ちよく走る。
やっぱり広い道路はいいよね~。
が、俺も赤い悪魔も尻が痛すぎ&暑さでぐったり・・・これはちゃんと休憩しよう!
ってことでガスト小名浜店へ。朝食も食べてなかったし。
いやぁ、開店してすぐのファミレスとか初めて行ったよ。。
ここで前半戦と今後について会議。
そもそもこの道路状況で練習もしてない俺たちが平~小名浜はやりすぎ。
今後は小規模遠征も含めて環境の良い場所を検討するってことで。
そして、この尻の状態じゃ帰りに起伏が激しいところは無理・・・よし、車多いけど鹿島街道で!
ってわけで40~50分のたっぷり休憩を終えて、いざ自宅へ!!
帰りはホントに静かでしたよ。話すというより「痛い~」って唸りながら走るくらい(笑)
加えて俺のサイクルコンピュータの気温計で39度の表示。簡易計だけど誤差があるにしても2~3度・・・そりゃ死にそうになるわ。
最後の郷ヶ丘までの坂は結構きつかったけど、いつも以上にギアを軽めにして頑張りました。
まったく余裕がなかったので、赤い悪魔を50m以上離して頂上で待ちました。
これは裏切りじゃなくて、自転車スペックと普段の運動度合いの違いってことで(笑)
結果帰宅は11時半。走った距離は45km。
決して長くないんだけど、やっぱり道路の状況が悪すぎる。
気を遣いながらの低速走行は疲労が蓄積しますわ。
ちなみにこの後、赤い悪魔は家まで5~7kmくらいあると思うんだけど、「絶対もう無理!帰れない!!」っていうので車に自転車ごと載せて送りました。
この後、寝ようと思ったんだけど日焼けしたからか身体が火照ってあまり寝られず。
2時間で起床。
心配なのはその後19時からのバスケなわけなんだが・・・
ちゃんと行きました。そしてやりました。
一瞬フラっとしたり、足元がもたつく感じもあったけど(笑)
で、家に帰ってソファーに座ったら頭が重くなって知らぬ間に寝てた。
1時間だけど、だいぶすっきりしたわ~・・・ってわけでその後寝られずに今に至る。。
筋肉痛って感じはないんだけど、体中に張りがあるのは分かるなぁ。
こんな時にマッサージチェアでもあれば・・・あぁ、欲しい。。。
さて、そろそろ頑張って寝てみるかな。
ではでは。。
11時半過ぎという時間帯もあってか外気計がおかしな温度を示す・・・
先日買って気に入ったコンプレッションシャツを2つ買い足す。
普段の夜の運動でも使いたいし。
ホントはReebokのTAIKAN買いたいけど1着1万じゃちょっと・・・今後検討。。
ってどんだけ本気なんだって話だけど、ホントに違うんですから!!
身体に故障箇所ある人は絶対良さが分かるはず。
その他、細々と見たり買ったり・・・今度の働くとこは土足厳禁だから履物も必要なんだけど、これが見つからないんだなぁ。
サンダルだとほとんどの場合28.5~29cmは必要だし。。
やっぱりネットで探すか。。。
次に「夏らしいことしたい」ってことで少し車を走らせる。
で、ここ。
四時川です。
石投げて水切りしたり、膝くらいまで入ってみたり、魚探したり・・・涼んで、そして和みましたわ。
今年は海がダメな分、こういうとこも良いよね~。
で、近くに鮎のヤナ場(ヤナ場自体は9月からだけど)に行って鮎の塩焼き食べました。
あぁ、美味い♪
・・・が、ちょっと寂しいお話。
地元産じゃないんかぃ。。
帰り道、ちょうど被災地10箇所で同時に行われる鎮魂の花火が上がる時間帯だったので、なんとなーく観に行ってみた。
10分程度だって聞いてたし、いつもの規模とは比べ物にならないので今回は行かないつもりだったんだけどね。
場所はいつもより少し手前のら・ら・ミュゥ周辺から上がった。
観客はアクアマリンパーク(?)までは入れず、産業道路まで。
もちろん出店もなく、毎年のような賑わいはない。
それでも結構な人が出てた。競輪場でも中継で観れたんだとか。
FM IWAKIのベティが進行してたけど、これまたいつもの賑やかさとは違ってよかったなぁ。
時間にして25分ほど、音楽が5曲だったかな・・・それに合わせて上がってた。
2曲目、ディズニーリゾート協賛・・・・おぉ~♪
曲はEXILEの「I Wish For You」・・・え!?
曲はディズニーじゃないんかい!って思ったり。
でもでも、ホントになんとなーく、特に何を思うわけでもなく行って観てたんだけど・・・
花火を見てたら、色々なことが思い浮かんで号泣してた
津波にどっぷり浸かったら・ら・ミュゥがバックにあったし、斜めに倒れる街灯、歪む道路がすぐそこにあるし。
何より開催されてる小名浜でずーっと育って来て、毎年当たり前のように開催されてそれを観てきて、今年はこんな形なのかとも思ったし、今年も観れて良かったと思ったし。
鎮魂だと思うと、亡くなっていった友人・知人が思い出されるし・・・
ハンカチびっしょびしょになって自分で引くくらい涙出ましたよ。
熱帯夜に貴重な水分なのに(笑)
言い方悪いけど、思った以上にきちんとした感じ。
今年の夏にふさわしい立派な花火大会でした。
あまり宗教的な感覚は持ち合わせないけど・・・ここはあえて。
この花火がお盆の迎え火となって、亡くなられた方々が迷わず帰って来られますように。。
そして、一層の復興への灯火となりますように。。。