今年は野球のメッカ・阪神甲子園球場が誕生して100年となります。その誕生の目的は当時の『全国中等学校優勝野球大会』、現在の『全国高等学校野球選手権大会』の開催にありました。その夏の甲子園の開幕がいよいよ明日に迫ってきています。
ということで、今回はその高校野球の開会式・閉会式に欠かせない大会歌『栄冠は君に輝く』が生まれた経緯や知られざるその作詞者の一生について綴られた『ああ栄冠は君に輝く~加賀大介物語~ 知られざる「全国高校野球大会歌」誕生秘話』(手束仁著・双葉社)について書きます。のちに映画化もされた作品です。
本書の主人公となるのは『栄冠は君に輝く』の作詞者である加賀大介です。しかし1948年、大会化に制定された当初は作詞者として妻・道子の名が記されていたのです。そこには、加賀大介の複雑な事情と心情、葛藤がありました。
加賀は本名を中村義雄といい、石川県根上町(現・能美市)に住む、野球好きで明朗闊達な少年でした。勉強もでき、あらゆるシーンでリーダーシップを取るような文武両道の人物でしたが、家庭の経済的な事情で進学を断念。さらに、大好きな草野球のプレー中のケガがもとで右足を切断することに。日々の生活に支障をきたすばかりではなく、自由に野球を楽しむことすらできなくなってしまいます。
ときは昭和初期、徐々に戦争への準備が進んでいく時代でもあります。不具者であっては兵隊としてお国の役に立てず、働くこともままなりません。当時の男子にとって、これ以上の屈辱はなかったでしょう。田舎町に住む身でもあり、偏見も酷かったはずです。近隣からは陰口も叩かれたことでしょう。結果、家に引きこもって文学に傾倒する日々を送ることに。
小規模な短歌会の主催者として地元の愛好家には多少は名前を知られ、尊敬される存在ではあっても、鬱屈した想いが解消されることはありませんでした。そして、「文学賞を獲って東京に出る」という志だけを心の支えとするようになっていきます。
戦後の1948年。夏の高校野球は新制高校に切り替わり、大会が30回目を迎える節目に大会歌を一新。公募されることとなりました。加賀はこれに応募すると見事当選。しかし、文学者としてまだ何の実績もなかったこともあり、名前を出すのは憚られたため作詞者の名は妻のままにしていたのです。
その後も加賀は物書きとしては思うような結果を残せず、一家の生活は勤め人であった妻の稼ぎに依存していました。そのこともあって、加賀の性格はさらに頑なになっていたようです。大正男らしく家のことや家事、育児に参加することもなく、横暴な君主のように振る舞っていました。ただ、妻にとっては文学者として身を立てようという夫を支えることが生きがいであったようです。
さらに、娘には「これからの女性は大学を出て手に職をつけなければならない。免許も取れ」と厳しく言い付けていたとのこと。口には絶対に出せなかったものの、働く女性であった妻に対する畏敬の念もあり、それが娘へのしつけにつながったのかもしれません。のちに、娘は憧れていた演劇の道を父の反対にあって諦め、教師の道に進むことになります。
1968年、夏の高校野球が50回大会を迎えるにあたり、朝日新聞からの取材で妻の道子はついに実際の作詞者が夫であることをカミングアウト。このときは加賀も反対はしなかったようです。嘘をつかせ続けてきた妻への配慮もあったのでしょう。
そうして高校野球中継の大会歌の作詞者として“加賀大介”の名前が載るようになった5年後、ついに文学者として栄冠に輝くことなく、加賀は生涯の幕を閉じます。
その翌年、加賀の出身地である根上町に誕生したのが“ゴジラ”松井秀喜です。前代未聞の5打席連続敬遠、巨人やMLBでの活躍など数々の伝説を打ち立てますが、誕生の地が同じで小学校の後輩にあたる松井が野球人として栄冠を勝ち取っていく、それも不思議な縁ということができるでしょう。
ちなみに、私が昨年読了した『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』によると、当時の代表的な作曲家・古関裕而、美声と豊かな声量を誇った人気歌手・伊藤久男の黄金コンビで売り出された『栄冠は君に輝く』のレコードは、セールス的に芳しくなく、古関にとって“不遇の曲”だったと記されています。
とはいえ、大会歌は多くの野球少年や指導者たちに夢と希望を与え続けてきました。100回大会の節目にも変更されることはなく、75年以上にわたって開会式で合唱され、閉会式で優勝校・準優勝校の行進時に流され続けています。
この曲は、これからも多くの人々の心を魅了し続けていくことでしょう。そして今年も、健康な少年たちが栄冠を目指して努力することを称える「雲はわき 光あふれて…」で始まる歌が甲子園を彩ります。
このような不世出の名曲を生み出した加賀大介は、例え本意ではなかったとはいえ、表現者としては“栄冠”に輝いた人物である、と思います。
現在も高校野球の現場で最前線で取材を続け、野球を愛し続ける著者によって綴られた渾身の一作です。

