2020年10月24日(土)、韮山山木にある香山寺にて、「香山寺文書」の特別公開がありましたので、そのレポになります。

 

江川邸から徒歩5分ほどの場所にある臨済宗建長寺派の寺院・香山寺。

 

平安時代後期の久寿元年(1154年)、山木判官兼隆公によって草創されたお寺で、鎌倉時代に足利家時公(足利尊氏の祖父)が開基しました。

当時は塔頭(※)寺院を5院も抱える大規模なお寺だったと伝わっています。

 

その後何度か衰退しますが、伊勢宗瑞(北条早雲)公や内藤信成公の支援を受け、そのたびに再興を遂げます。

 

江戸時代初期の元禄5年(1692年)、鎌倉の建長寺の指名を受けて末寺となり、現在に至ります。

 

 

 

※塔頭(たっちゅう)…主に禅宗寺院でみられる、大きな寺などの徳を慕って建てられた小さな寺のこと。

※内藤信成…徳川家康の家臣で、早くから徳川家に仕えた人物。家康の異母弟という説がある。

 

香山寺本堂

 

平成10年に建て直されたという本堂はとてもきれい。

 

文書は、本堂の中でこのようなかたちで公開されました。

 

虫干しを兼ねての特別公開だったので、明るい場所でしっかり観覧。

 

ご住職のごあいさつと、市文化財課の学芸員さんによる解説があり、その後は自由見学でした。

 

 

なんと、撮影OKということで(フラッシュ厳禁!)撮らせていただきました。

すべて鎌倉時代の文書です。約800年前に書かれたもの。

 

 

 

これらの簡単な内容を言うと、写真左から、

 

『北条家朱印状』

「永明庵(香山寺の塔頭)の後を引き継いだ徳寿軒(香山寺の塔頭)に、土地の支配を認めます。禁止事項はこれです。1562年8月21日」

 

『北条氏政判物』

「永明庵の役職を徳寿軒が引き継いだ件、北条氏政が確認しました。1578年2月12日」

 

『北条氏規朱印状』

「永明庵内での禁止事項の件、北条氏規が確認しました。1580年3月5日」

 

という感じです。

 

 

※北条氏政…後北条氏四代目当主。伊勢宗瑞の曽孫。小田原城を拠点とし、勢力を拡大した。

※北条氏規…四代当主・氏政の弟。韮山城城主。

 

 

これらの何がすごいかというと、4代当主の氏政やその弟氏規の「花押」や「朱印」が押されているということ。

朱印は、北条家の直系に近しい人物しか持つことができない印で、

特に、『北条家朱印状』にみられる虎の朱印は、北条家当主しか持つことができないもの。

(印の上に虎が座っているようなデザイン)

 

つまり、氏政・氏規本人が実際に確認した書類なのです。

 

 

 

 

では、現在の香山寺はどんなお寺なのか、写真で見ていきましょう。

 

香山寺の特徴はこの山門。

 

これは旧韮山県庁で使われていた門を移築したもの。

石のアーチが美しいです。

 

※韮山県庁…明治時代の廃藩置県の際、設置された「韮山県」の役場。江川邸の近くにあった。韮山県の範囲は広く、現在で言うと伊豆半島・神奈川・埼玉・東京と山梨の一部が含まれた広大な土地だった。

 

山門をくぐって緩やかな坂を上がると、右手に薬師堂、左手に寺務所があります。

 

境内には、香山寺を創建した山木兼隆公の供養塔が静かに佇んでいます。

 

本堂。「景雲山」(山号)と大書された扁額がかかっています。

 

本堂からの眺めはこんな感じ。

高台なのでいい景色です。

 

 

 

この日は天気も良く、大勢の歴史ファンが貴重な文書を見学していました。

 

文書はこの日だけの特別公開でしたので、いつも見ることはできませんが、また機会がありましたらぜひご覧になってみて下さい!

 

香山寺さんでは座禅体験もできますので、訪れてみてはいかがでしょうか。