音楽履歴書その11(第一部、完) | 生涯、キリギリス 〜チャーモの部屋〜

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ミュージシャン(他色々)チャーモのブログです。

だいぶ長い間更新をサボってしまいました(笑)

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最初に注意書き?ですが、きれいにまとめる気が一切ないようなぶわーーーーーっと書き並べる感じの内容になるので、拾えるとこだけテキトーに拾ってください笑

 

 

 

 

 

 

そうして日本のジャズフュージョン系のプレイヤー達の演奏にどハマりしてライブに足繁く通っていたわけですが。



もっともっと幅広く深く音楽を知りたい!と思って、そのミュージシャン達のインタビュー記事を参考にルーツを探っていったりもしました。

 

 


例えば、DIMENSIONの増崎さんが

「影響を受けたアルバム5選」

みたいな記事を見て、そのアルバム5枚とも全部聴いて。


(確か、ジェフ・ベック、リッキーリー・ジョーンズ、ジョニ・ミッチェル、トニーニョ・オルタ、パット・メセニーあたりだったかな?)

 



その調子で「好きなミュージシャンの好きなミュージシャン」を聴いたり、オムニバスのフュージョンのアルバムを聴いたりして、良いなと思った曲があればそのミュージシャンのアルバムを聴いたり。




ライブを観に行った先でかかってた音楽が気になったらお店の人に聞いたり、天気予報で流れてた音楽が気になってテレビ局に電話で問い合わせたりもしたな…

(そうして好きになったのがUS3とギタリストの萩谷清さん)

 


 

ちなみに当時はフュージョンは大好きだったけど、ジャズ、というジャズまではあまり行きませんでした。

 

一度新宿ピットインにピアニストの山下洋輔さんを見に行ったんだけど、19の私には大人すぎたらしく…

ジャズの良さが分かるようになるには文字通り10年早かったようで、「もっと歪んだギターや派手なアレンジが聴きたい」みたいに思った記憶があります。

若さか…😅

(今はジャズ好きになったので今山下洋輔さん見たいなあ)

 

 

 

 

海外のプレイヤーで特にハマったのはデヴィッド・サンボーン、ラリー・カールトン、リー・リトナー、デヴィッド・ベノワ、ジョーサンプル…他たくさん(笑)

 

 

サンボーンとカールトンは特にCDも何枚も集めたかも。

カールトンとリトナーが好きなんで当然Fourplayも大好きで、リトナーからカールトンへ、という嘘みたいなメンバーチェンジ(笑)があった後の来日公演に観に行きました。

 

カールトンは数年前もブルーノートで観たけど、その2回だけかな。また観たい✨

 

 

 

 

ちなみに、パットメセニーはCD聴いてた時にイマイチピンと来てなかったのに、ミーハー心?で中野サンプラザにパットメセニーグループライブを見に行ったら、最初の一発目の音でいきなりみぞおちに重いパンチくらって一発KOみたいになりまして。

 

身体中の体液が全部一瞬で入れ替わってしまったようなあの感覚は今も忘れられないですね。

衝撃でした。いや、もう衝撃波、でしたね。音って凄いと思った。

 

それ以来パットメセニー大好きです。

ギターをコピーするというより曲というか、音楽全体がもうね。

 

 

 

 

あとは、露崎春女さんのゲストで観てから佐藤竹善さんも好きになったんですが、シングライクトーキングよりもソロアルバム「CORNERSTONES」シリーズや塩谷哲さんとのユニット「SOLT&SUGAR」ばかり偏って聴いてたせいもあり、どちらもカバーアルバムだったのでそこからまた広げてエリック・タッグやpagesのファンになったり。

 

 

SOLT&SUGARでカバーしてた曲もどれもツボだったので、その影響で私が聴いた唯一のQueenのアルバムは「オペラ座の夜」だったり。

 

 

今、弾き語りのライブでもうずっと長年カバーして来てるクリス・イートンの「Wonderful world」もSOLT&SUGARで知った曲だったり。

 

 

 

あとねー、ジャニスやキャロルキング、ベッドミドラーは坪倉唯子さんのライブアルバムで知って聴くようになりました。

ローズの映画もそれをきっかけに借りて見た。



あと、DIMENSIONがTOTOのカバーをやってて、ライブのゲストにマイクポーカロ氏が来たこともありTOTOも大好きになった。

(あの日のライブは今でも私の生涯でナンバーワン。最前列だったし)

 



 

まだまだ果てしなく色々あったな…キリがないな笑

 

 

 

ひとつ言えるのは、私に海外の音楽を教えてくれたのは日本のアーティストだった、という感じですね。

 


 

ドラゴンボール好きすぎてサントラ集めたり劇場版の兵士1の声優さんの名前まで言えるようになる、みたいな変な気質(笑)は音楽では大いに役立ったようです

 

(音楽履歴書その2参照)


 

 

 

 

で、18〜20歳とかの期間がそんな感じだったので、当時流行っていたスピッツやELT、ブリグリとかは見事にすっ飛ばしてしまって疎いのがちょっと今となっては残念ですね…世代のはずなのに…

 

 

ちなみに私が今でも一番好きな栗林誠一郎さんは、多分私が21歳くらいに出したアルバムを最後にもう活動をしなくなってしまったようで、そのあたりからもうJ-popにどハマりしてアルバム全部揃える!みたいな事は今に至るまでしなくなってしまったかもなあ、なんて思う。

 

 


なので、その時その時で好きになるミュージシャンはいても、ついつい今でもあの頃好きだったアーティストのあの頃のアルバムばかり聴いてしまったりします。

  


 

栗林さんやドラゴンボールのサントラなんかも今でも聴くなあ。


何枚も集めたアーティストのは今でもずっと聴き続けてるって感じかなー。

 

 

 


 

で、特にバンドもやらずとにかくリスナーだったんですが、素晴らしい音楽を聴くだけではなく自分もあの世界に行きたい!という気持ちは募っていきまして。

 

 

 

ただ、いかんせん引っ込み思案で人が苦手、という性分だったので初めて意を決して外の世界に一歩踏み出すのに何年もかかってしまい、それまでは高校生から通ってるギター教室のみがギターを人前で弾く場所、という感じ。

(リスナーは先生のみ笑)

 

 

 

 

 

でも、突然意を決して親に頭を下げて音楽の専門学校に行かせてもらうことに。


 

それと同時に、当時読んでた音楽雑誌の「バンドメンバー募集」のコーナーからハガキを出して、社会人の音楽サークルに参加する、というのをほぼ同時にしたのが21歳になりたての春。

 

 

 

右も左も自分の力量もよく分からないまま、絶対プロのスタジオミュージシャンになって、DIMENSIONみたいなバンドでメジャーデビューする!と、意気込んでの新生活が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、こんな感じで第一部、リスナー時代終了って感じですかね。


 

「どんな音楽に影響を受けたか」を説明するブログなんで、ここまでの時期が一番濃いかなーなんて思います。

 

 

 

 

ちなみにコレはただの履歴書であってサクセスストーリーではないので、その後DIMENSIONのようになれたかというと見ての通りなんですが(笑)

 

 

 

 

 

次からは自分が音楽をやる側編、に行きます。

 

 

いきなり地獄の洗礼を浴びます。

おそらく、こんな地獄を見たミュージシャンは自分の周りでもそうそう居ないと思う、みたいな事がいきなり起こります(恐)


 

 

 

まあ、人がたくさん絡んでくるので、誰の迷惑にもならないように慎重にサラッと書いていく感じになりますね。

 

暴露本じゃないのでドス黒い話とかも避けて書きます(笑)

 

 

 

 

そして更新もまた忘れた頃に、となりそうですが…

 

 

 

 

そんなわけで第一部、完。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書き始めたらなかなか果てしなくて自分でもビックリですね(笑)