8月が終わりますね。
8月31日といえば子どもの頃は毎年憂鬱だったような(笑)
8月って、子どもの頃は夏休みという特別な思い出づくりの時間だし、原爆や終戦の日があってあれから何年的な事も多く、私個人もなんだか夏には色々忘れられない出来事が重なって毎年色んなことを思い出してる気がします。
昨年は7月末から持病の乳がんの再発騒動により、入院して8月頭に退院、一年前の今日、病理検査で極めて良い結果が出て「祭りじゃーーー!!!」みたいになった日でした。
そして今年の8月は無事に10年の治療が終了。
しかし世の中はコロナ真っ只中で混沌としており。
それでも喜ぼう!人生これからだ!と思ってほどなくして仲間の訃報。
しばらくはその人のことが頭から離れぬ日々。
今年も昨年同様忘れられぬ8月となりました。
良いことと良くないこと、色んな事が極端に入り混じって、なんかまた死生観とかも変わった気がする。
色々なことが起こるんだけど、最近は何が起きても大きく動揺することがなくなったというか、受け容れてしまうようになってしまったというか
良いのか悪いのかはともかく、妙に冷静になってしまう自分がいる。
いや、まだ自分にとって本当に大きな事は何も起きていないくらい生温い人生なのだろうけど。
私はまだ、喪失感に身を裂かれるような悲しみや苦しみを味わった事がない。
結構な歳までなにも失わずに今日まで来れている。
それは幸せな事なんだろうけど、怖いな(笑)
耐えられるのだろうか。
なんて考える。
前に何かの本で読んだ
死んだ人の魂は、生きてた頃の苦しみやしがらみなどが一切なくなり、「愛そのもの」となるらしい。
(怨念、とかは生きてた時の執念がとどまってしまってる状態で魂ではない、とかだったかな?生き霊的な?)
誰かを恨んだり憎んだりとか一切の苦しみもなくなり、男でも女でもなく大人でも子供でもなくなり、純粋な「愛そのもの」の魂になるらしい。
きっと赤ん坊はそうなのかな。
死後の世界は諸説あるから本当かどうかは分からないけど(笑)この説はわりと好きで。
(だから、亡くなった人の魂にお風呂とかトイレとか覗かれたりしないから安心しろ、みたいな事が書いてあった気がする笑)
生きれば生きるほど無垢な魂は削られてすり減って、しがらみや重荷を背負ってしまうけど
本来は誰もが愛そのものであるらしい
玉ねぎの皮を剥くように、と言ってた人がいたなあ
生きてる間に少しずつでも、こびりついた余計な感情など、茶色い皮を剥くように手放せるものは手放せていけたら、と思いますな。
被曝から75年は草木も生えぬ、と言われた時から今年で75年。
今年は良くも悪くも破壊の年のようだ
しかし破壊は再生。
生まれ変わっていくのだと思います。
2020年、残すところあとたったの4ヶ月。
人生はあとどれくらいだろう?
のんびりでもいい。悔いなく生きよう。
ボードに貼ったよ。
あと8枚、キワどいネタのものもあるけど(笑)
大事にとっとくよ。