日頃から、出征を華々しく送る事は無くなっていた。
つまり軍事機密に属する事で敵に知られては具合が悪いとの考えの様だ。
先生方も何人か朝礼で送った。
学校に行く途中のひと山は料亭の庭の山で、食糧は配給となり営業が出来なくなって、そのままになっている。
つまり、悪童達の通学路になっている。
坂有り、松有り、池有りで楽しみながら学校へ行ける。
冬の朝は未だ薄明り。
悪童の中で、一番背の高い奴が「オイ、何で頭を叩くんだ。」
「いや誰も。」「いや叩いた。」上を見上げると足が見えた。
「ヒャ~~~」「ク、ク、首吊り~~」
いつもは、遊びながら行くのに、皆一目散に学校の入口近くに有る駐在所に駆け込んだ。
駆け込んだので、始業迄の時間は、十分に有る。
「駐在さん、早く、早く」と皆で、林の中へ引き返して行った。
最初の坂の丁度上に有る松の木にぶら下がって居る。
よくよく見ると、40歳位の男性で鼻水は出て、脱糞、脱尿。
いい男もこれでは台無しだ。
山火事騒ぎの二.三日後に早朝からラジオが軍歌を流し
「JOAK大本営陸海軍部発表。
本日未明帝国陸海軍は米国及び英国と交戦状態と成れり。」
と繰返し繰返し放送した。
第2次世界大戦の始まりである。
「お母さん、アメリカと戦争して勝てるの。」
「バカ、二度とそんな事は口に出すな。分かったか。」
と恐い顔で睨まれた。
そのころ子供らの間に流行した替え歌がある。
「パーマネントを掛けすぎてみるみるうちに禿頭 はげた頭にけが3本
ああ恥ずかしい恥ずかしいパーマネントはやめましょう」
元歌は知りませんが、覚えている方は口ずさんで見てください。
もう一つ高峰三枝子の「湖畔の宿」の替えたもので
「昨日生まれたブタの子がハチに刺されて名誉の戦死
ブタの母さん悲しんで泣いてまたなく戦死では」
大声で歌っていたがこれは反戦の歌で憲兵隊ではだいぶ神経を
立てたらしいが子供たちが皆歌うのでもう諦めたそうだ。
覚えている方は口ずさんでください。
仙台で小学5年生11歳の娘が3/16から行方不明になっています


(捜索もとブログで写真を取り下げてましたのでこちらでも取り下げます)

《娘を捜しています》
小学5年生11歳の娘が3/16から行方不明になっています。
平成17年3月16日水曜日、夕方、仙台駅前LOFT近くで友人と別れたあと、自宅に戻っていません。
このとき、家出をしたいと言っていたそうです。
警察や学校の先生なども気にして探してくれていますがまだ見つかりません。
立ち寄り先もなく、行方が大変心配です。

名前は羽田つぐみ。当て字で亜魅と書くこともあります。
身長150センチ弱、体重40kgくらい 色白でどちらかというと痩せ形、黒髪で短めなストレートヘアで多分お化粧をしています。
小学5年生にしては大人びて見えるかもしれません。
当日の服装は、ベージュのコート、チェックのミニスカート、焦げ茶のロングブーツ、ペンダントやイヤリングなどのアクセサリーを身につけていました。
額から左眉にかけて縦に子供の頃怪我をした傷跡が薄く残っています。

捜索元ブログ つぐみ、どこにいるの?
冬のある日午後の授業が始まろうとするとき「山火事だあー!」
の声に一瞬ドキッとして悪童仲間を見渡したが欠けた奴はいない。
先生は一瞬瞑目したが「6年生全員消火救助に向かえ。竹箒、
杉板を持って出動」と決断された。
芒の燃え移っているのが今のうちなら消し止められる。
ちかくの逓信教習所の生徒も出動していた。
箒、杉の板くらいでは広がる火に間に合わない、服を脱いで
たたき消す。夢中になって消し終え家に帰り焼けこげた服に
母親から大目玉を食らった。
火をおこして串焼きにして食べると淡白でなかなかに美味しい。
火をおこすのにマッチは厳禁されており配給で貴重品になっている。
囲いの板を1枚失敬して山中の隠してある。板は防虫のために
焼かれている檜板だ。2枚に割って十文字にこすると外側の
炭化したところが赤くなる。そこに枯れ草を当て一吹きすると
原始人の火は得られる。
つまり育ち盛りの蛋白を補っていたことになる。6年生にもなると
半分大人で、山火事の怖いことを十分知っており、火の広がらない
ところで昼休みの間に2匹くらいずつ蛋白補給の犠牲にして
何食わぬ顔して午後の授業に加わる。
風の強い火などは教室から一歩も出ない。
このころから食糧不足が始まったが1日の配給米の量が決められ
外米もはいっているが遅れることはなかった。衣料切符が発行され
何もかも配給となっていった。

小学校は山の中腹にある。片側によった弁当をあっという間に平らげ
裏山に入っていくと芒の間を流れている小さな渓流に出会う。
足首までもない流れを上流と下流からバチャバチャと攻めていくと
小さな山椒魚が5.6匹は行き場が無くなり右往左往しているところを
捕まえる。