制服が変った。
上級生と一年生では全て変り上級生は、小倉の詰襟。
一年生は国防色いわゆるカーキー色の軍服に似たデザイン。
何より情無いのは背嚢式の鞄が皮や布の不足で、
ファイバー(紙を圧縮し樹脂で固めたもの)のランドセルの
化物に変った事である。
歩く度に中の物が当って大きな音を立てる。
駆け足にでもなると、騒音としか言い様の無い音を出す。
女学生の制服も変り、スカートが消えセーラー服にモンペ姿に
なってしまった。こちらは全校一斉だ。
初めは何か奇妙な思いも、何時の間にか慣れた。
併設されている商業科は、落第は無く、
3年に昇級出来ない生徒の大半が商業科に流れて行く。
出来ると出来ない成績の差が大きく、
2校に数名、士官学校。海軍兵学校には、
毎年各2.3名づつ合格する、世にも不思議な学校である。
先生のアダ名が実に面白い、良くあるメガネ、猿、豚、
と言った様なのは一つも無い。
化学の先生は「サンドロ」つまり鼻の穴が大きいので酸素ドロボー。
教務主任は、白髪で色白だが「烏」7人の子持ちで、
烏は山に可愛い7つの子があるからよ。
音楽の先生は、これは一寸ひどいが「殺人マーラー」
嫁運に恵まれず奥さん2人が亡くなっている。
「本日○○方面軍司政長官を命ぜられた。
皆勉学に励むように。」と
当たりさわりの無い挨拶をして出て行かれた。
つまり、朝令の話を配属特校に告げ口され、
憲兵隊に引張られたのだろう。
憲兵隊も惜しい人物なので司政長官(知事と同格、少、特待遇で
軍に協力させられたものと思われる。)
戦後一期だけ、代議士になった只野直三郎先生だ。
面白い学校で平気で落第させる。高等科2年の後に入った生徒で
2年生の時に、招集延期の届け出をした生徒もいた。
入学時は3組だが、3年は2組しか無い。
つまり、それだけ落第等が激しいと言うか普通なのだ。
中学校への試験を受ける。
当時は、公立も私立も中学は5年あり試験を受ける。
国民学校高等科へは、試験は無い。
義務教育は6年生迄だが、高等科2年は準義務とされ、
卒業180名中6年で小僧さんになったのは1名のみだ。
公立の中学を滑って私立を受けた。
色々な事で名を知られた野球のダルビッシュの学校である。
2次試験は私立のみだが大勢が受けに来ていた。
2次は1次の数倍合格と聞かされ何やら不思議な気持ちがした。
入った時は割合自由な学風だったが英語廃止の叫び声に
英語の時間は減らされ教練の時間が増えていった。
校長代行は朝礼で「英語廃止などもってのほか。
゛敵を知り己を知れば百戦亦危からず。"と言うでは無いか。
教練も大事だが、それより貴方達に勉強が必要であり
勉強は大事な大事なものだ。」
翌日から、この校長代行は顔を見せず1週間後、
刀を吊り軍服に似た服で、金ピカの襟章を付けて挨拶された。
南町通りにある「ジャパンツーリストビューロー」の
看板が、何時の間にか交通公社に変った。
公社公団と言った化け物の始りである。
切符を買いに行っても親切さが無くなり急に突慳貪になっていった。
何でも行列でしか物が買えず、
中には葬儀の行列に並んだと言う笑えぬ実話もある。
家の白猫は、6年生の香林坊氏より2歳多く、身長も大きく、
化け猫に近いと思う程だ。
可愛がっていたので、鼠を捕えて来ると先づ香林坊氏に見せて
「おお、よしよし。偉いぞ~。」と言ってやると、
獲物を引きずって姿を消す。
或る夜中、頬を叩くのに目覚めた。
目の前に青大将を捕えて来たのには驚き思わず大声をあげ急いで
「あ~よしよし。ご苦労さん。」と言ってやると、
大きな蛇を引きずって出て行った。
動物の餌も十分に与えられ無く必死で食糧を調達していたに違いない。
いつもは、三月中頃には卒業式になるはずだが、
非常時とかで三月末まで学校がある事になった。
仙台でも早い島は囀りを始めた。
悪童の1人が霞網を借り出して来た。
その頃から霞網は禁止されていたが、学校の近くの籔の中に仕掛けた。
掛かったわ、掛かった大猟だ。
目白、鶸(ひわ)、雀、等がいっぱい掛かり、
同級生総出で小鳥を獲った。
夢中で外している内に一時間目が20分程過ぎた事に気付き
皆慌てて教室へ向った。餓鬼大将に呼び止められた。
「オイ、今行くのは叱られに行く様なもんだ。一寸待てよ。
二時間目の始りに知らぬ顔で入れば上手く行くかも。」
残りの時間を隠れて二時間目に戻って行くと案の定、
半数位が捕まって校長室で正座させられていた。
男女組では直ぐチクられて、なおひどい目に合うところだが、
男子組なので、チクられなかったし餓鬼大将を見直した。
悪童達は、毎日、三角ベースに夢中になっていた。
あのボールがゴムの不足で買えなくなって久しい。
皆、家からボロ布を少しずつ持ち寄り、
ボールを縫い上げては始めるが糸もスフ(※)になって、
手打一発で壊れてしまう。
シンガポール(昭南市)を占領しゴムが輸入され、
学童に一人一個配ってくれるとの事で楽しみにしていたが、
卒業となり、ゴムマリは手にする事が出来なかった。
この頃から、英語禁止とかで三角ベースは三角塁と言わなければいけないらしい。
バッターは打者、ピッチャーは投手、キャッチャーは捕手、
ファーストは一塁、セカンドは二塁、サードは三塁、ホームは本塁、
ショートは遊撃、センターは中堅、ああ面倒臭い、バットは、ミットは、
グローブは、ヨシに、ダメ、成績板とくりゃもうベースボールではない。
野球は、ノダマと読む事にしよう。
※注 ) スフ=ステーブルファイバーつまり人工糸の事。
物資が不足し始め屑屋さんが頻繁に来るようになった
今から思うと、こんな見事なリサイクルは無い。
金物、ビン(どんな物でも、割れていても)、
女の髪の毛、縄の切れ端まで幾銭にもならないが、 持って行ってくれる。
女の髪は「かもじ」に使い、縄の切れ端は、
これを腐らせて壁土に入れるスサにする。
今考えると素晴らしいリサイクルシステムだ。
数回、駆け込み注進している内に不思議な情報ルートが出来上り
学校にいても八木山橋からの投身自殺の情報が入る様になった。
吊橋はかなり高く、悪童共が吊橋から小便をすると、
終って二、三秒後に到達の音がする位の高さである。
どこからか、そのニュースを聞きつけると、悪童仲間は早弁、
つまり、三時間目の休みに弁当を食べてしまい、
昼のカランカランと「礼」で同時に飛出し山路を蔦にすがり手を取り合い
助け合いながらアッと言う間に川底まで降りる。
頭を砕かれた無残な姿を恐い物見たさに恐る恐る覗く。
顔なじみの駐在さんが「また」と言う顔で一人で番をしている。
外の、おまわりが来ると一発で「コラー。」と逃げ出さなければならない。
もっとも休み時間中なので「ソレー」と忙しく帰らなければならない。
お巡りさんは「オイ、君等一緒に手伝え。」
補縄を取出し体を引張りながら「オイ、木登りの上手い奴は、あの縄をほどいてくれ。」
「ハーイ」と、頭をぶつけられたノッポ君が猿の様に木に登り縄をほどいた。
首吊りが新聞に載ったらしく、その1ヶ月の内に三人程続けて有った。
料亭では困ってその松の木を切ってしまった。
悪童達は家から鋸を持って来て二ノ宮尊徳と称し
背負って各家の風呂の燃料に忽ち無くなってしまった。