日曜日は朝の点呼、朝食の後は自由な時間になる。
この間に洗濯(大物)その他縫い物(靴下等)日常の生活、靴の手入れ、
銃、剣の手入れに追われる。
その間にお互いの頭髪を丸刈りにする。
両手に持つ大きなバリカンで刈り上げる。
アット言う間におわるが、その痛い事痛い事。
今はあのバリカンは何処へ行っても見られないだろう。
午後は酒保に行くと飯盒の中子に一杯のお汁粉にありつける。
餅は入っていないから煮小豆と言うべきだろうが、
さらし餡なのでお汁粉かも知れない。
17銭だったと思うが正確に覚えてはいない。
酒保での買い物は歯磨き粉、歯ブラシ、手拭、褌しかない。
煙草(誉)は売ってはいるが少年には用が無いモノだし
もちろん売ってはくれない。
大分の九月は未だ暑い。
或る夜、試胆会が行われる事になった。
錬兵場の先に陸軍墓地がある、そのお堂の前のノートに名前を書いて来る事になっている。
適当な間隔を置いて1人づつ錬兵場を出発して行く。
背の高い順なので4人目に錬兵場を出発して、階段を登りつめ真暗な坂に差掛かると、上の方から白い大きな塊が飛んで来た。
体を交わすと、その白いモノが戻って来る。
ひょいと掴むとぐしゃっとしている。「おい、掴むな放せ。」 聞き馴れた班長殿の声だ。
「お前恐くないか」 「ハイ、別に恐くありません。」
「これは炊事場から借りて来た蒟蒻だ。」 「お前手伝え名前は書かんで良い。」。
「あそこに少し明りの洩れてる処が有るだろう。あそこへ掛ったら水でしめして放つと坂の途中でぶつかる。大声を上げたら減点だ、そのうちヒックリ返る奴もいるかもな。」 これは面白い事に成って来たとホクソ笑んだ。
面白がって夢中でやっていると 「おい、大事に扱え、炊事場に返納せなならんからな。」 と注意された。
白い塊はシーツに蒟蒻を包んだものだ。
「今日中に総ての私物を荷造りする様に」と言われ残して良いのは褌かパンツ丈だ。
着て来たズボンも皆脱ぎ急いで荷造りをし夕方にはリヤカーで本部へ持って行った。
父親は褌だが私共の年齢では皆パンツだ。今で言うトランクスだ。
5枚持って行ったパンツも激しい運動や訓練の汗でビリビリに破れ酒保に行き褌を買って来た。
いわゆる、越中褌である。
体操衣のズボンは少し短く出来ている。
或る日、体操をやっていると、5人班長殿に呼ばれた。
「おい、5人ここに座れ。」 「ハーイ」 円座に座ったと同時に班長殿は出ている褌を纏めて結んでしまった。
誰も褌が出ていると気の付いている者はいなかった。
さぁ結ばれてしまうと解くに解けないものだ。
皆「アハハハ」「アハハハ」と笑い転げている。
隊に返って5人は「おい、どうする」 「外の奴等はどうしてる」聞いて廻っている内に色々な知恵が出る。
「モッコに直す。」 「前後逆にして後を結ぶ。」皆不器用な手つきで針を持ちモッコに直した。
航空胸章が渡され「制服、体操着に付ける様に」と言われた。
馴れない手つきで私物入れの中の針と糸を取出し航空胸章を付けた。
今の航空会社のパイロット、客室乗務員が付けている胸のプロペラマークだ。
鏡が無いので、お互いに見合い「曲がってる、もう少し右を上げろ。」等など言合い出来上った。
何と言っても、この瞬間の嬉しい事。
これで少年飛行兵の卵の出来上りである。
体操衣白で半袖、当時にしては美しいデザインだ。
靴は布の先を鹿皮で丸く包んだ素敵な靴だ。
翌日、名前を呼ばれ前出の軍曹殿も
話をしてくれた中尉殿が同じ中隊へ行く事になった。
出迎えた当直将校に中尉殿は大声で「申告致します。」
「N中尉以下9名、本日第5中隊に着任致しました。申告終。」
これであの軍曹殿も一緒に第5中隊に着任する事になった。
それぞれの班に分れ「寝台に名前が書かれているから其の前に並ぶ事。」
私物入れの蓋に上手な字で書かれている。
寝台の上には軍服、夏シャツ、ズボン、体操着が置かれている。
軍隊では、制服、夏衣、軍袴、体操衣と言うそうだ下着でズボン下を袴下と言う。
翌日も昼食にお赤飯が出た。
つまり一度では旅館輸送が間に合わないので、二日に分けたのだろう。
香林坊達が乗った列車は約 500名と思われるから
今日で 1000名位入隊した事になる。
4月に入った生徒が約半数、合計で 2000名位がこの学校にいるのだろう。
夜になって中尉殿が、何となく物慣れず沈んでいる皆に、
面白いお話をしてくれた。
そして最後に「俺も今日着いたばかりで何処に配属されるか全く分からない、君たちも明日それぞれの隊が決定するだろう。又一緒になる奴も、別になる奴もいるだろうが、俺も君達の様に何となく落着かない。今日は当直をいきなり食わされたが又会えればそれも運。会えなくても運。何事も運が物事を運ぶ良く覚えて置く様に。」と結ばれた。
私を引率してくれた軍曹殿は少年戦車兵学校出身で19歳だそうだ。
それぞれ決められた中隊に仮に落着いた。
再び、体格検査があり昼食となった。
食器に山盛のお赤飯が用意されて我々を祝ってくれた。
夕食にも又、赤いご飯が並んでいたので
「ホ~夕食もお赤飯だ」と思ったら、高粱飯だった。
高圧蒸気で炊いたのでシャバの高粱飯とは違って大変美味しい。
列車は南大分に午後到着した。
それぞれ旅館の番頭さんが出迎えに来て、
番号順にそれぞれの旅館に向った。
持参の3合の米を旅館に渡し、早い夕食に有りついた。
3合にしては少ない、丼に軽く一杯の飯だが車内の疲れと、
極度の餓鬼には、丁度良かったのかもしれない。
風呂を浴びサッパリした一同は、未だ明るいうちから
床に就いて泥沼の様に眠りこけた。
次の朝、多くの下士官が旅館に来て名前を読み上げ、
1人、20人位を引率し、あこがれの少年飛行兵学校の門をくぐった。
衛兵がのらくろの漫画にある様な小さな小屋の前に
着釖した銃を立てていた。
お握り2個と味噌汁の熱いのを用意して配ってくれた。
地獄に仏とはこの事だ。婦人会の人達が皆美人に見えた。
中には、涙ぐんで配ってくれた人も居た。
丁度同じ位の子供を持っているのだろう。
引率の将校が見兼ねて救助してくれたものと思う。
一生の内で一番美味かった物は何かと聞かれれば、
何時でもこのお握りと味噌汁と答えられる。
列車は平から盤越西線に入り、朝食となった。
もう臭いは普通では食えない状態だが一気に食った。
後の2食分は、窓から捨てた。
他の皆も一斉に弁当を窓から投げ出した。
腰掛けの外の3人に話掛けた 「俺は後、パンで6食分有るが弁当以外に
皆何を持っている。」 「うん勝要と飴」 「うん凍餅」
と少しは食える物を持っている。
「では皆で出し合って少しづつ後7食を何とか食い継ごう。」
皆、賛成するしか無かったのだろう、集めて網棚の下に風呂敷をぶら下げた。
朝食さえも食え無かった者も多数いたようだ。
列車は北陸線に入り九州を目指した。
「ああ、腹が減った。」 3合づつ持参する様に言われた生米を齧る者も居た。
途中、列車は20分とか30分位づつ停車するので、
其の間ホームに出て休める又トイレに行く者も居る。
もう会話は 「腹が減った死にそうだ。」 としか出て来ない。
夜中2時頃磐見大田に到着。
そこに、国防婦人会、大日本婦人会の襷を掛けた婦人が大勢並んでいた。