人に寄り添い、安心感を与えてそっと支える。何かを受け入れ、何かを生み出す。そして、夢や希望ビジョンを形にする。そんな使命がある人です。

 

 

それは、私の名前「ようこ」から、名前の何の気なしに受けた名前の言霊セッションで言われたこと。それ聞いた時・・・・正直、めちゃくちゃ嬉しかったですね。今やってることが、天職だーって思ったし。

 

 

そこから3日ほど経った火曜日。心理学を学んだ日本メンタルヘルスでの、プロコースの講義をリアル受講しました。内容は、禅の授業。2回連続講義の2回目。とっても大好きな講座のリピート受講です。

 

 

最初に受けた2年前も、連続講座の1回目である先週のリピートでも、同じことを思ったんですよ。それは、「みんなが禅の教えを受けたら、もうそれでいいんじゃない・・・?」

 

 

それを思ったのは、今回だけではないかもしれない。いろんなところで学べば学ぶほど、大切なことって同じところに行き着く。心理学でも、脳科学でも、スピリチュアルでも。

その「大事なところ」の根っこにある部分は、必ず言うんです。

 

 

葛藤があるから、苦しみがあるから、人は成長する。だから、その人の苦しみを取ってはいけない。それは、大きなお世話だと。

 

その度に、わたしは葛藤する。では、わたしが今やっていることは、何なのだろう?

もうね、数日前の、名前の言霊セッションで喜んだことなんて、吹っ飛んじゃって。なんなら、それで喜んでいた自分が、なんて浅かったのかなんて思って、返って恥ずかしくなったりもして。

 

 

 

次男が不登校になった8年前、本当にたくさん泣いた。長男の子育てに悩んだあの頃も、苦しくて苦しくて、消えてしまいたかった。

あの時のあの涙、あの苦しみを、わたしの後ろで味わっている人や、まさに味わおうとしている人には、味わってほしくない。もっとふわっと軽く、その経験を通過してほしい。そんな思いから活動をしています。

でも、悩み、苦しみ、もがきまくったからこその気付きなのであれば、そのプロセスこそが大事なのであれば、わたしが今やっていることは、まさに余計なお世話なのではないだろうか?

 

 

 

講義では大笑いして、時には泣きそうになるくらい感動して、楽しかったと終わるけれども。ちくっと刺さるその棘は、次第に大きくなってわたしの心の中を刺しまくる。

 

 

 

そもそも、褒められたいからやっているのでは?講義の中で出てきた、昔の逸話のあの人と、実はわたしも同じなのでは?あの時は笑って、わかった風な顔をして頷いていたけれど。結局のところ、わたしも同じなのではないか?禅のお坊さんに一括された、あの子坊さんと同じあがきを、わたしはしているだけではない?

 

 

そこまで思って、どうしてわたしのところに来てくれている人がしんどいのかを、再度考える。そうだ、結局のところ、子どもが苦しんでいるんだ。何よりも大切な、誰よりも幸せになってほしい我が子が苦しんでいるから、それをなんとかしたいと思って、苦しいんだ。もっと大変な人もいるんだよ、確かにそうだ。でも、目の前で苦しんでいる我が子を見ながら、もっと大変な子もいるんだからと言われても・・・・。そうは思えないのが、親であり、人間なのではないだろうか。

 

 

 

とはいえ、子どもの悩みだって、その子自身に任せるしかない。そこで、離別感やら、境界線やらが大事になってくるから・・・・。だからやっぱり、いろんなことを伝えることも、大事なのではないだろうか。

 

 

そこでまた、わたしの中のもう一人が考える。それは、誰かに褒めてもらいたいからじゃないのか?よくやってる、すごいねって言ってほしいからじゃないのか。わたしはこんなことをやっているんです、すごいでしょ、褒めてくださいというアピールなのではないか。

 

実際に、わたしは承認欲求が高い。大好きな人に対して、やっぱりそれは発動する。講義を聞きに言っても、「この人、すごい質問をするな」って思われたい。うならせたい。「素敵な活動をしているな」って思われたい。単にそう言われたいからじゃないのか?

 

 

 

 

もう、やめてしまおうか。わたしなんていなくても、きっとみんな、幸せになれる。わたしよりも、上手にいろんなことを伝える人は、たくさんいる。もしくは、時間がかかっても、それが必要な時間なのかもしれない。わたし一人がジタバタしたところで、ただの余計なことをしているだけなのかもしれない。「不登校の子どもを見守ることが大事」だと、普段から言われているように。不登校の子の母を見守ることが、大事なのかもしれない。

 

 

 

 

やっぱり、やめてしまおうか。

 

 

 

でも、そう思って、最後の一歩を踏み出そうとした時に、自分が救われた時のことを思い出す。やっと辿り着いた本で。やっとの思いで参加した親の会で。必死の思いで検索したブログで。

明るい未来を信じて、もうちょっと頑張ってみよう。そう思ったきっかけは、わたし自身だけから湧き上がったものではなかった。具体的に解決する方法が書いていなくても、ちょっとクスッと笑えるような、全然不登校とは関係ないブログで、一瞬だけでも救われる経験をした。それが、今につながっている。

 

 

そうだ。わたしは、ただ自分がやりたいんだ。自己満足、上等だ。所詮、わたしは立派な人間ではないし、最速の言葉で、誰かを最短の道で幸せに導ける力もない。でも、ほんのちょっとでも、ラクになるような気になれたり、笑えたりする瞬間を提供できれば、それだけでやってよかったなって思えるもの。

結局、やりたいからやっている。そんなことやめな、って言われても、きっとやると思う。いや、やるだろう。笑

それこそ、禅のお坊さんや衛藤先生に言われても、あまのじゃくなわたしだから、「うっせえな」の一言で片付けて、自分が納得するまでやるだろう。だから、それでいい。

 

 

・・・・そういえば、やりたいからやるが大事だって話も、禅の講義で出てきたな。あれはどのお坊さんの言葉だったのか忘れたけど・・・、結局それでいいのかな。そもそも、そこに「いいのか、悪いのか」を見出そうとしていたわたし自身が、正解不正解を単に探していただけで、その方向がちょっと違うんだよってことなのかも。

 

 

うーーーーん。やっぱり難しい。となると、全員が禅寺に行けばいいって話でもないから、やっぱりやりたいように、伝えたいことを伝えていくだけで、いっか。笑

 

 

そんなことを考えながら、講義の後に仕事をしていたら、お客さんからの問い合わせにおざなりになった自分がいました。いかんいかん、今ここを常に大事にすることって聞いたばかりなのに。所詮、わたしはこの程度。だから悟りきれず、今日もジタバタと伝えたいことを更新します。笑

 

 

 

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