先日、ドラッグストアでのパート中のこと。突然、レジのあたりから、とっても大声で怒鳴る声が聞こえてきました。あまりにも怒鳴っているからなんて言っているかの詳細はわからなかったけれど、どうやら子どもに向かってどなっている様子は伝わってきました。

 

 

私は、レジが見えないところにいたので、びっくりして声のする方移動したのですが、どうやらお会計の後に小さな女の子が、レジ前に吊り下げていたお菓子を掴んで、持って帰ろうとしたみたい。幼稚園くらいの女の子です。もちろん悪気があったわけではなく、欲しいからそのまま取ってしまったのでしょう。怒鳴り声は、そのことに気が付いた、女の子のお母さんでした。

 

 

まだまだ社会のルールが身についていない、本能のままに動いてしまう時期。それを繰り返し教えていくことが、躾なのかなって思うのですが・・・・。

 

 

もうね、誰も怒っていないし、わざとやったわけじゃないこともわかっているから、持ち帰る前に気がついてよかったね、って他の店員も思っていたと思うのですが、お母さんの怒りは収まらない。

 

 

本当にやめて!!みたいなことを怒鳴りながら、その声はお店を出てから、お母さんの姿が見えなくなった後も聞こえていました。

 

 

はっきり言って・・・・私には、あのお母さんが娘さんに向けた怒りが、周りの人へのパフォーマンスにしか見えなかった。「私はこんな風に育てていない」「悪いことをしたらきちんと叱る」「いい母親でしょ?ダメな母親じゃないでしょ?」って。

そういえば、娘さんにはめちゃくちゃ叱りながら退店したけれど、私はあのお母さんが、私たち店員にお詫びをする姿は見なかった。大事なのは、黙って取ってはいけないことを娘さんに教え、その結果、お母さんが店員に謝罪をしなければならなかったところを見せることが、本当の教育であり、躾じゃないのかなと思うのだけれども。

もしかしたら、私が現場に行く前に、レジを担当していた店員に謝ったのかもしれないけれど。

 

 

 

でも、そう思う自分もいたけれど、私自身が、同じことをやっぱりしてきたように思う。

子どもへの躾や教育ではなく、周りの目を気にして、「私は母として、ちゃんと教育していますよ」という視点だけの言葉を、子どもにぶつけるということを。

 

 

 

そんな風にパフォーマンスをしなくても、日々一生懸命子育てをしていること、知っているよ?

でも、立派な人間に育てようとか、ちゃんとしたママになろうとか、そんなことを主体にしなくてもいいから。

完璧じゃなくてもいいから、もっと肩の力を抜いて、世間にはもっと温かい目があることも信じてみたらどうかな。

 

 

 

子どもが不登校になって、自分の子育てを否定された気になったり、世間の目が気になったり、どうしてもしてしまう。そんな時は、「完璧なお母さんにならなくてもいい」ってことを、どうか自分に落とし込んで欲しい。

そうして、誰かわからない世間の目を気にして、パフォーマンスで怒りや不安をぶつけなくていい。

 

 

そんな時は、どうかあなたを認めてくれる誰かを思い出して、そうやって怒りや不安を晴らしてほしい。

私でよければ、個別相談も受け付けています。

 

 

 

 

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