不登校のおかげなんて思えない。そう言う声ってわりとよく聞きます。それに対して、私は別に、そう思わなくていいと思うって答えているし、実際そう思っています。

 

 

でもね。私自身も、不登校のおかげで出会えた人もいるし、自分がラクになった部分もたくさんある。少しフクザツな気持ちもあります。おそらく私の中の、「不登校のおかげって思えない気持ち」は、不登校に感謝しなさいよっていう、外部の圧を勝手に感じているからだと思います。誰もそんなこと、私に直接言ってないのに。笑

 

 

でもね。不登校のおかげって声を高らかに言う人は、それなりの努力をしてきたのも事実。それは素晴らしいところなんだと思っています。

 

 

先日、日本メンタルヘルス教会プロコースのリピート受講の中で、「おかげさま」という言葉が出てきました。講師の丸山先生がおっしゃったんですけどね。「おかげさまというか、おかげさまになるように、私は努力してきた」というような言葉でした。

 

 

これだ、と思うんです。

 

 

ある一つの出来事に対して、そのままにするか、おかげさまになるように努力をし続けるか。

 

 

「不登校のおかげ」って言っている人たちは、おかげさまになるように沢山の努力をしてきた。これはもう、間違いない。もしかしたら、それまでの環境などで、自然とそう思っていた人もいたかもしれないけれど。でもね、そんな人ってほんの一部。だって、みなさんと生きてきた時代は一緒だから。

また、その一部の人だって、そんな価値観で生きてきたなら、どこかしら生きづらさを感じてきた可能性だってあるわけです。

 

 

私たちは、人間の一部やその時の姿を見て、判断しがちです。でも、今はノーテンキに見えているかもしれないその人も、周りには見えていないところで、沢山傷いて、泣いて、努力をしてきたんじゃないかな。

 

 

そして、私が思うのは、「おかげさま」って思えるのは、そのことが過ぎ去り、乗り越えたあとのことだと思う。苦しみの渦中にいる人に、「不登校のおかげで、学んだことが沢山あるでしょ?」と言ったところで、それは無理。

 

 

 

不登校のおかげ。そう心から思えるのは、素晴らしいことだと思う。その人が、不登校という出来事に対して、取り組んできた結晶だと思う。

でも、今そう思えない人は、その結晶をまさに育てている最中。現在進行形だからこそ、その結晶は綺麗に作れるのかな、自分にはできないんじゃないのかなって思うのも自然なこと。ましてや、「なんで私ばっかり、こんなことしなきゃいけないの?」ってやさぐれる気持ちになるのも当然かと。

 

 

でもね、その結晶ができると信じて、取り組んでみようよ。心からは思えないかもしれないけれど、「できればやりたくなかったけれど、それでも、その経験をしないと得られないものだって、あったよなあ」って思えるようには、きっとなるから。

 

 

もしかしたら、不登校のおかげって言っている人たちも、心の中は、できれば避けたかったけれどって思っているかもしれないよ。でも自分には、それくらいの出来事がないと、変われなかったなあって気持ちもあって、ひっくるめての「不登校のおかげ」かもしれない。人の心の中なんて、分からないんだから。

 


だけど、渦中の人は、どうか1人にならないで。孤立しないで。

一緒に共感しながら頑張れる、メンターなり友達なり、カウンセラーなりを見つけて欲しい。


そして、いままさに、おかげさまと思えてる人もね。それを思うのは素晴らしいことだし、自由なんだけど。それを無理やり人に押しつけるのも、違うよね。


 

ちなみに私は、うつ病になったおかげで、とは心から思えます。うつ病のおかげで、不登校でうつ状態になった次男や長男の気持ちを、よりリアルに想像できるようになったと思うから。自分の生き方の見直しにもなったと思うから。

ああでも、寛解したとはいえ、うつ病になる前のパフォーマンスからは7割くらいになっているから、やっぱり避けて通れるものなら、避けたかったかも。笑

 

 

人間の心って、すっぱりと一言で言い切れるようには、できていないからね。

 

 

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