昨日・一昨日の関連ブログです。私が小さかった頃の母のことを考えてみる。

 

 

 

その前に、ちょうど今週の火曜日は、日本メンタルヘルス教会、プロカウンセラーコースのリピート受講に行ってきました。内容は、「家族システム療法」

その中で、ヴァン・デン・ベルクさんという方の、「疑わしき母性愛」という本の一説が紹介されました。

それは、「過剰な虚偽の愛よりも、足りない真実の愛の方が耐えやすい」というもの。

 

 

 

その内容は、「多いように見える愛情でも、世間の常識などから発生したものよりも、ほんの少しだろうと、心から子どものことを思った、真実の愛情の方が、耐えることができる」というようなこと。

2年前に同じ講座を受けた時もとても感銘を受けたけれど、そのまま忘れていた内容。今度こそ、この本を読んでみようかな、と思っていたところでした。

 

そんな次の日に、えみさんのグループセッションで、自分の大きなインナーチャイルドに出会ったわけです。

 

 

沢山の対話が終わったあと、この講座の後だったこともあって、私が満たされなかった原因が、よくわかりました。

 

 

母は、愛情深い人だった。今でもそれは変わらないと思う。

私が小さい頃から過保護で、過干渉。「あなたのために」が行き過ぎて、窮屈に思うこともたびたびあった。それが私の反抗心を煽ってしまっていたのだけれど・・・・。

 

 

ふと思ったのは、あれだけ愛情深く、過保護だった母だけれど、私が本当にやりたいと熱望することよりも、「あなたのために」と、他のことを提示し、ゴリ押しすることが本当に多かった。

以前はそれを、単なる独りよがりだと思っていたけれど。

「疑わしき母性愛」として紹介された内容を思い出し、ものすごく納得したんです。

 

 

母の愛情は、私に向かう途中で、世間などの「目」を意識していたんだと思う。

 

 

例えば私が小食なのは、乳幼児の頃からの検診で常に低体重であることを指摘され、食べさせることに苦労したと話していた。

だから、とにかく私の体重を標準にすることに、気を配っていたらしい。

それが次第に、「人並みに食べるように」と変わっていったんだと思う。

 

 

そろばんのケースにしても、そう。

私が欲しい柄の、安いケースではなく、高いほうのちょっとやぼったいものを注文した。それは、「安いものを買って、みじめな思いをしないように」という想いだった。これは実際に、注文するときに母から諭されたから、よく覚えている。「あなたがみっともない思いをしないために、あなたのために、高い方を買うんだから」と。

だが実際に起こったのは、女子特有の仲間外れだった。その高いほうのケースを購入するのは、クラスで2人か3人くらいだったから。

自分が欲しくてそうなったのなら納得もできたかもしれないけれど、私は安い、チェック柄のケースが欲しかったのに。


でも、母は必死だったんだと思う。私がみっともなくみられないように。世間から。そしておそらく、父方の祖母から。

 

 

母の子育ては、一事が万事、そうだったように思う。

まさに、世間の常識や、視線というものを気にして、それから必死で自分を守るための子育てだったのではないだろうか。

「あなたのため」と言いながら、その本質は、真っ当な子育てをしている、あるべき母親の姿として、世間や姑から見て欲しいという思いがあったのだと思う。


おそらく、小さかった私には、それがわかってしまったんだろう。だからきっと、違和感を感じたんだろう。

だって、「人の為」と書いて、「偽り」だから。

私のためじゃない。お母さん、あなた自身が安心したいためなんだよね?と。

 

 

 

でもねえ、お母さん。私、あまのじゃくだから。世間からどう思われようと、私自身は平気だったんだ。

ただ、お母さんとお父さんさえ、私のことを認めてくれてさえいたら、もっと心強かったと思う。

 

 

 

 

以前は恨んだりもしたけれど、今はもう、ねぎらいの言葉しか出てこない。あの時代、しかも遠方から嫁いできた母は、相当大変な思いをした。足りない部分の真実の愛を、なんとかして虚偽の愛で埋めようとして、変なことになっちゃったんだろうな、って思う。



あの閉鎖的な土地で、厳しい姑がいて。自分を守るために、必死で良かれと思う子育てをしてきた母は、とてもしんどかったろう。

しかも、まだ母には伝えてないけれど、私は不注意が人の5倍みたいだし。笑

成績は良かったから、「これだけできるんだから、これができないはずがない」と、確かに私はいろんなところで言われてきた。でももしかしたら、私が小さい頃は、母がそれを言われていたのかもしれない。そんな話も、ちらっと聞いたことがある。




もう何年も前になるけれど、初めて心理学の基礎コースを受講した中に、親への感謝のメッセージを伝える、という宿題がありました。

私はどうしてもそれができなくて。直接伝えなくていいと言われても、書くことすら拒否してて。

何度リピート受講してもできなくて、もういいやって最初は思っていた。



あれから私の中の癒しが進み。最近では、書きたいけれど、照れくさいからいつかしようと思って、そのままでいた。


昨日、母の日のお花が届いたと感謝のラインがあったので、先ほどやっと母に、「産んでくれてありがとう」と、伝えることができました。口頭じゃなくて、ラインだけど。


そうしたら母から、「私も中々言葉にできてなかったけど、幼く甘えたい時期に厳しくしててごめんなさい。

本当に申し訳なかったと思ってる。」と、返事が来ました。



たぶん、幼い頃の私が、1番かけて欲しかった言葉かな。

今まで母を責めてきたことが、少しココロにチクッとするけど、それはもう仕方ない。自分でやったことだから。



責めるばかりの時は、決して言われなかったこと。

欲しいものがあるなら、欲しがるよりもまず自分から。私が大事にしている言葉通りのことが、おきました。朝から泣けたー。

 


 

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