こちらも忘備録として。

 
次男の不登校が始まったのは、1年生3学期、最後の1週間。
私は大学院修了後に採用された会社で、ずっとフルタイムで働いてました。
なので、その旨1週間は、夫と交代で有給をとって乗り切りましたが、私が仕事に行こうとすると、今までになかったくらい次男に泣き叫ばれまして。
 
いわゆる、母子分離不安なのではないかと。
 
私が家にいるときは、ずっと寝室でべったり、漫画や図鑑を読まされました
仕事を持ち帰っても、パソコンを開かせてくれない。
パソコンを開いても、すぐに膝の上に乗ってくる。
 
ちなみに、このころはまだ、日中のゲームは制限してました。
 

みんな学校に行ってるんだから!
下校時間までゲームなし!
勉強もして!ちゃんとドリルして!
 
ガミガミ言ってましたね

 
ただ、終業式の日は、式典が終わった後のホームルームは行けたので、少しやすんだら大丈夫!と思ってました。
 
春休みは義理実家に長男と2人で預けましたが、これもまた逆効果だったっぽいのは、春休みのことで書いた通りです。
 

2年生になり、担任が1年生からの持ち上がりと聞いて、安心したような、少し物足りないようなあせる
良い先生ではあるんですけど、とても真面目な先生で、なんとなく無意識にプレッシャーを受けてしまう感じを受けていたので。
 
それでも、次男は担任の先生を割と信頼していたのでしょう。

終業式の日に、がんばる気持ちが、プシューって消えてしまってん」
 
そうポツリと呟いて帰宅したと、この頃に先生から伺いました。
 
さて、2年生になっても不登校は相変わらず。
しかし、放課後は学校に行けていて、その日の宿題をもらったり、新しい教室で先生と話をしたりしていました。
 
支援の先生とも面談があり、5月から在籍させていただける、との話も伺えました。
 
でも、放課後登校をしていた時も、校内に残っている児童を見かけたら隠れていて。
ただ学校に行ってないだけで、なんで犯罪者みたいに隠れないといけないの?!と思って、母としてはすごく切なかったですぐすん
 
4月はほぼ放課後登校し、4月下旬に最初の小児診療の受診が出来ました。
この時に、とても敏感で繊細で優しい子であること、ストレスがかなり溜まっていることを指摘されました。
 
また、4月17日から、私も腹をくくって休職することになりました。
正直、自分の体調不良や、休むことの段取りを急いでしたり、バタバタしまくっていたのであまり記憶がありませんあせる
引続きばあばが来てくれて来ましたが、仕事にも行かないといけない、次男の分離不安は酷い、学年が変わったことで長男も細々と用事があるなど、あまり記憶がありません滝汗
 
それでもまだ4月は、ゲームはやってなかったように思います。
 
そうして、ゴールデンウィークに差し掛かるあたりで、放課後登校も次第に間引きになり、連休後は全く学校に行けなくなってしまった、という経緯だったように思います。