1931年の夏、台湾・嘉義農林学校(嘉農)の若きエース 呉明捷 は、甲子園の舞台で鮮烈な存在感を放った。

4試合連続完投という驚異的なスタミナと、4割を超える打撃力を兼ね備えた彼は、当時の台湾球界における象徴的存在となり、嘉農を準優勝へと導いた。

その活躍は後に映画「KANO 1931 海の向こうの甲子園」として描かれ、台湾と日本の双方で多くの人々の記憶に刻まれることになる。

映画公開を前に、嘉義市中心部の噴水ロータリーには、呉明捷の投球フォームを模した銅像が設置された。

制作したのは嘉義出身の彫刻家・蒲浩明氏で、地元の誇りを形にした作品として親しまれてきた。

 

 

しかし、長年にわたり寒波や台風にさらされてきた像には劣化が見られ、嘉義市政府は修復を決定。

市長の黄敏恵氏は、呉明捷像は「野球のふるさと」である嘉義市と市民の感情をつなぐ象徴だと語り、その芸術性と歴史的価値を尊重しながら安全性を高める方針を示した。

像は2月26日に一時撤去され、作者の蒲氏の作業場で修復が行われる。噴水の電気設備も同時に整備され、今年7月には再び同じ場所で“再登板”する予定だ。

嘉農卒業後、呉明捷は早稲田大学に進学し、1936年には東京六大学で当時の通算本塁打記録(7本)を樹立するなど、日本でも高い評価を受けた。

1983年に亡くなった後も、その功績は台湾と日本の野球史をつなぐ象徴として語り継がれている。