嫌です。やめてほしい。不快です。は言っていい! | みなこしいずみ 自分への思いやりを育む布ナプキン

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今、古い自分から新しい自分へ脱皮している気がしています




わたしの心がとっても反応してしまう出来事がどんどん起きていて 笑




それって、嬉しいな ♪と思うことよりも「わたしは今どう感じた?わたしはどうしたいの?」ということを問われている。
心が凹むようなことが立て続けにおきている 笑笑




そんな出来事って、一見最悪に思えたりするんだけど、自分がとても成長できているような気がしています。それくらいその出来事に対して客観的に観ることができている、自分の心を忠実にみることができているからだって思います。




成長って言うと、かたぐるしいのだけど、振り返ってみてみると、自分が禁止していたことに対してチャレンジできた、という感じ。





わたし今まで

わたしは嫌だ。それはやめてほしい。不快です。


ということを相手に伝えることができない人でした。




わたしが不快に感じていることを、自分の中で丸く収めようとしてしまう。




そしてなかったことにしてしまったり、嫌いになり過ぎたら自然にフェイドアウトしたり。



やっぱ相手と向き合うのって怖いしね。




それは、人によるから、誰にでも向き合わなくていいことも、言わなくていいこともある。と、わたしは思っている。



相手も求めていないのであれば、自然に距離を置けばいいだけだし、自然に距離をとってみていい風に変化することもあると思うから。




だけど自分は相当不快なのに、相手が傷つかないように考えてしまうのはどうだろう(これは自分の中で決めてしまったことで根底には、親を悲しませたくなかった気持ちがある)




もう書いてて、意味わかんねー!ってなってきたのだけど 笑笑




そんな嘘の思いやりって、やはり自分をごまかしているなーって思うのです。





このことを自覚するまで、わたしは何十年という月日をかけてしまった。
だけど47才にして、わたし不快です。と伝えられたこと、心から不快なんだと、自覚できたこと、自分をとても大切にできた気がしているし、そうさせてくれた出来事に多少の感謝もチラチラみえたりしていて、




自分でとても成長できた気がして嬉しかったりしている♪




自分の本当の在り方をみるときって、嬉しいや楽しいのときではないんだよね。




心が折れそうなときほど、自分を試されるなって思うんです。一見厳しいきもするけど、自分を立たせられたときはとても清々しい。




自分の

嫌だ。やめてほしい。不快だ。



を知る、自覚することはとても大切です。




自分の中で丸くおさめなくてもいいんだよ!!





言ってしまったら相手を傷つけるとか、孤独になってしまうかもとか、そんなのいらない。




何よりも自分を大切にできてこそ、なんだよね。





信頼できずに言えないのは、結局孤独だし
どっちにしても孤独なら、自分の気持ちに応えてあげてからの孤独の方がよほどいい。自分を大切にできたあとの自分への誇らしさが一番の喜びだから。





これを書きながら、あの頃の自分に言ってて、感情がこみあげるよ



だけど、あのとき伝えられなかった自分も責めない。



ちゃんと言えるときがくるから、それまであなたを信頼して寄り添っているよ。と、あの頃の自分に言っている気がしたな〜。




そうそう!好きなこと探しとか、やりたいこととか探す前に、自分の不快や嫌なことポイントをしっかり目を向けるといいと思ったのも一つ。

それって部屋の掃除にも似ているなーと思ったんだけど、部屋の気になる部分ってあるよね?捨てたいものを横目でチラチラしながら放ったらかしにしてたり。

要らないものを断捨離したり、嫌だなと思うことを先に片付けると、スペースが空く。その空いたとこに幸せが入ってくるっていうし。


不快のエネルギーって、全身を自分で呪ってるくらいの感じになるから
先に嫌なことをやめたり、片付けたりすれば、空いたスペースに自然と幸せなことや、欲しいものがみえたりするんじゃないのかなと思いました







家に花があるっていいね♡