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わが家の次女さんが沖縄から帰ってきてさっそく覚えた料理をふるまってくれました♡
いやいや!
お世辞ではなくほんとにおいしかった
大満足大満足で二人でお昼寝しまして♡
そしたらですね、わたし腹痛で目が覚めたのです
そう。わたし乳製品を大量摂取できない体質でして
牛乳で作るココアも大好きなのに飲めないしグラタンやシチューはまったく興味なし!
なのですが次女さん乳製品たっぷりのランチの次の夕飯は乳製品入りの明太パスタを作るとはりきってくれてまして
そこで思い出したのです。
母とのこと。
わたしの母はほんとハッキリした性格で自分の好き嫌いはちゃんと伝えられるひとです
わたしが母を思って買ったものや作ったものでも母の嫌いなもの受け付けないものはちゃんと拒否されます 笑
それをわたしは受け取ってもらえないと私自身を否定されたように受け取ってしまい一人悲しい思いでいました
だから人の気持ちは自分の気持ちを抑えても受け取るのが優しさだとわたしはわたしの常識を作ってしまったんです
でもここにきて次女さんの料理を食べることができないことを伝えないとわたしはまた腹痛です 笑
(たかだか断ることくらいでわたしすごい重い人になってますが 笑)
ここででてきたんです。“子宮委員長はるちゃん”の子宮からのメッセージが。いや、わたしの子宮からのメッセージですね
“他人にされて嫌なことはやったらいい”
↑↑↑
“されて嫌なことは自分がすべきこと”
↑↑↑
“他人にしたことが返ってくる”のではなく!
“自分にしたことが返ってくる”のですよ。
自分の気持ちを抑圧し押し殺したままだとわたしの観える世界はそういうことになるのです
これがご自愛の真髄ではないでしょうか
母はちゃんと自分の本音を伝える大切さを教えてくれていました☆
“そうしていいんだよ” “望まないことは受け入れなくていいんだよ”って
わたしが寂しかった悲しかったあまりに自分の本音をみないようにしていただけ。
結局は自分が寂しい思いをしないように“いい人を演じていた”だけだったんですね。
次女の優しい気持ちを受け取りたいばっかりにわたしは自分自身を傷つけようとしていました。
だからちゃんと伝えました☆
“ママは乳製品食べ過ぎるとお腹こわすから今日は食べないでいるね”
それだけなんですよ
その時のわたしがもともと持ってしまっている感情を感じるだけなんです
わたしの“寂しかった”思い出が他の人まで傷つけてしまうのではないかという相手を小さく見積もってしまう結果です
結果、本音で話せば娘はわたしや他の人と本音で付き合えるしそれが幸せの一つなんじゃないかなと思います
自分の本音を見ない行為って結局自分も相手も殺してしまうことになることが次女さんのお料理から観えたことでした
本音で生きるってまだまだエグられますがとってもクリアになっていくようでもう本音で生きることしかできなくなっています