天国へのラブレター


ちょっとずつ書いてる
バレンタインデーも近いので
なんとなく今日も少し書こうかなって 
気持ちになった

ここが天国なら聞いてくれてるね😊

今朝はすごく早起きしてお雛様を飾った。もう何十年ものになったけどお顔は可愛いまんまだよ。髪の毛が何で出来てるのか福田屋人形店で聞かないとわからないけど娘が嫁に行った頃からかなりの寝癖と所々禿げちゃったりと毎年笑わされてる。経年劣化かな。


昨日のことは薄らいでも買ったときのことはよーく覚えてる。不思議だね。年を経ると現在未来よりも過去のことをクリアに記憶しようとしてる感じがする。

今日も子どもたちと過ごしたよ。
とっても穏やかな日だった。


まさかこの年になって私が保育の
仕事に携わるなんて貴方が一番
信じられないと思ってるかもね。

てもここに私がたどり着いたのには
意味があるんだと貴方も思ってるはず。だからがんばれる。

まっそれはそれでね。また報告するね。

以下は数年前に貴方を思いつつ
つのる気持ちというか
矛先が見つからないというか
わかりにくい魂の叫びというか
無性に感じたことを書いたんだけど
今見てなんだろうと思った。

相変わらず意味不明だね(笑)
バカは変わらない
だから今世で俗にいう大物とかに
なれないんだろうな

物の怪(もののけ)の世界

どんな宇宙やどんな大きな魔法やどんな大金持ちやどんな癒しの世界があっても今世に生まれてきたということは人間が創ったものを後追いして今後もずっと創り続けようとしていることは否めない。

我々はなにもかも含めてそういう物の怪(もののけ)に生かされているんだと感じる。

言霊的に表現すると類は友を呼ぶという世界は続くという感じなのだろうか。

人間は時計と同じ気がする。時計も人間と同じで時を刻んでる。生涯とは何かを刻むポエム創りなのかも知れない。形に残る保障はゼロだけど。

だからこそ
愛しい…愛しい…愛しい…が大切だと感じるんだと思う。

もしかして今世は今生きているひとじゃなく今世で亡くなったたくさんのひとたちが今世を生かし動かし続けてるのでは?

生きてることを楽しむってことが今のところ最高の答なんだと亡くなった方々から教わりました。先日も大好きなひとが去りましたが引き続き楽しく生きなさいって声が聞こえます。

もっともっと声をください。聞こえますから。ほとんどのことに目を背けずめんどくさがらず逃げず生きてますから。


追伸
あんまりTVも観なくなったが
北京オリンピックは観てる
めっちゃ感動してる
そんな自分が嬉しい
こんな環境にいられるのが
有難いし感謝なんだろうな
よりどころが曖昧な今日この頃
そういう時期なのかなぁ
だけど年金は払い続けてる
しっかり今世を応援してる(笑)
さて明日は明日の
風を感じるとするかな
まだまだ学びなんだろうな