11月12日は亡き旦那の23年目の祥月命日だった。

下記は

5年前に書いた天国へのラブレター💌

旦那へ

愛するひとを亡くすということは頭が変になるくらい頑張らなくちゃなんです。。。多分そう。。。 だからずっとずっと頑張ってる。

今苦しんでるひとを抱きしめたい。痛みや震えをとってあげたい。笑って欲しいから。言葉はちゃらんぽらんだけど本気で思ってるんです。私になにができるんだろう私はなにをするべきなんだろうかと。。。

だからこそたまには天国に手紙を出そうかと思ったんだ♪

平成10年11月12日。101112。こんな覚えやすい日に死なれたら忘れられないよね。今ではあなたよりもだいぶ年上になっちゃった。お婆さんになって認知症とかになってもずっと見守ってくれるかな♪

早朝から娘の朝ごはんのおにぎりをつまみ食いしてサザンのニューアルバムさくらをダビングしてたカセットテープ持ってビンカンがらがらの日にゴミ袋持って行く後ろ姿見送ったよね。その数時間あとに会社に電話があった。すっごく眠くてコーヒー飲もうかなってのほほんとした時だったんだ。

何が起きたのかわからず言われるまま娘の学校に連絡し当時中学生だった娘が校庭でひとりぽつんと不安気に立っていた姿は忘れられない。自分の勤めていた会社の人の車でそのまま東海大病院に向かった。感謝しかない。到着していろいろあったが荻野という女医さんに特別室に呼ばれた。何やら難しい話をされたが何があっても生かして欲しいと即答した。その後ICUで管を付けて昼寝をしてる様な姿の旦那と面会した。少し鼻血が出てたけど起きて起きてとキスをした。

朝礼前に自転車でタバコを買いに行ってひき逃げ事故にあったことは一生忘れないよ。しかも酒気帯び。逃げて逃げて修理工場で捕まった。ヘリまで出してくれた警察は有り難かった。その数日後に警察署に呼び出された。血まみれな遺品の受け取りだ。申し訳なかったが衣類は処分してもらった。時計だけ持ち帰った。その横で20代の若い警察官が警備の光る棒をニコニコ自慢しあってた。そのあといてもたってもいられなく駅前に引っ越した。いろいろあったけどあなたが家族のために買いたかった家を勝手に買った。家は良い感じだよ♪

ショートホープだね。うん忘れてないよ。あんなに好きだったタバコを原因にすることも絶対しないよ。墓参に行くと時々あなたを忘れてないひとの仕業かな。。。ショートホープが置いてあるんだ。。。どうしようか。。。

天災でも戦争でも病気でもないのになんで死んじゃったのかなぁ。あのとき私に他の手段は全くなかった。加害者を憎むこともできなかった。加害者の獄中からの手紙も何も響かなかった。東海大の荻野医師に内臓はめちゃくちゃだと聞かされたが幸い遺体が綺麗だったから死んだことを認められなかったのだ。司法解剖も受けた。頭を剃られ丸坊主になった遺体が自宅に戻りお通夜を迎えた。その姿はチベットの僧侶の様に素敵だった。

事故現場にお花を手向けに行ったことなど…書ききれないくらいクリアに覚えている。

事務員さんの自転車を借りて事故に遭って自転車がめちゃくちゃになりきちんと返さなければと思ったり‥事故現場が民家の塀だったのでそのお家の方に縁起でもない事を起こしてしまい申し訳ない気持ちで1度だけお花を手向けさせて欲しいと懇願したり‥待ったなしの状況‥

告別式‥
何が起こったのか全く理解出来ていなかった‥
娘と私が一番前に立たされた‥学校で悪いことしたわけでもないのになぁ‥その瞬間娘と私はすごい力で手を握りしめていた‥遺体が綺麗過ぎて‥ここでお別れしましょう儀式みたいな‥その後の時間はあまり記憶がない‥数時間後見た骨みたいなものを丁寧に拾った覚えがある‥喉の骨は仏様の形だと‥喉仏の説明を他人事のように聞いていた‥ところで旦那はどこに行ったのかな‥そんな気持ちだった‥

納骨をしてから加害者であるお母様が現れた‥私の事を確認してからいきなり土下座して何か出来ることがあったら言って欲しいと言われた‥そのときに‥なぜだろう‥私から出た言葉は‥私と娘の幸せを願って欲しいと‥

何かがおかしな音を立てて動いてる感じはしたが‥外の景色はいつもとなんら変わりなく普通に見えた‥

誰が死んだのか‥全然理解出来なかった‥そのまま10年くらい経ったのかもしれない‥

いまでもどこかで生きてるのかもと思ったりする。後悔はできないけど一番後悔してるのはあなたを守れなかったこと。。。生き返るならどんなことでもすると何度も何度も誓ったんだよ。あなたを亡くした後もあなたのお母さんが癌で亡くなったんだ。天国で今頃楽しんでるのかな?

大好きなひとがいなくなるとほんとに淋しいよ。泣きたいときもあるけど泣きたいときは泣きなとか言われるけど泣いてる顔は絶対見たくないって言ったあなたの声は忘れてないから絶対泣かないよ♪私が笑顔でいることがみんなを守ることだとあなたが教えてくれたんだもんね。

阪神淡路大震災の時は共に行動できたね。娘も結婚して元気だしあなたのお父さんも頑張ってるし私の父も最期まで頑張っていたけど昨年11月24日に他界したよ。それでも脳性麻痺の妹も相変わらず奇跡を起こしてるしみんな笑顔で頑張ってるよ♪頑張るって勇気を出して一歩一歩乗り越えることだよね♪  

泉  拝

後記

馬鹿だよなぁ…

こんなことを書いて強がってばかりだったなぁ…

大好きな友人たちも若くして天国へ行っちゃったり…

何を守れてるのかわからなくなってる…

自分もけっこう年取っちゃってきて…

老後の資金など心配する年頃になった‥

パラダイムシフトかぁ‥

今いったい何を書けるんだろうかなぁ…

今の気持ちをラブレター💌にしたら…

書いてみようかと思う…ゆっくりと…

世間は変わるが何かひとつ不変のものがあると

救われる人もいる…のかもしれない…