浜松遊里の痕跡を追い求めて。
「実態調査全国赤線青線地区総覧」に記されてある幻(?)の浜松遊里「浜松遊園」。前記した通り、彼の地はヤマハ本社御膝元たる遠鉄八幡駅の元浜町にあったと仮定しております。八幡駅周辺を記した拙記事→浜松遠州鉄道八幡駅界隈其乃壹
艶っぽい雰囲気残る元浜町。
売春防止法施行前後の昭和三十二~三十三年の静岡ローカル誌を紐解くと、誌面に掲載された幾つかの宣伝広告から華やかなりし時代の元浜町を垣間見ることが出来ました。
その店名から心なしか「金馬車」を髣髴させられた「幌馬車」。元浜町ネオン通り、遊び心を擽られる小粋な名前のストリートであります。
そして上記「幌馬車」付近現在の姿。
「浜松北部芸妓検番」。往年は数多くの芸妓置屋が存在した元浜町。
売春防止法施行前後から浜松市内に雨後の筍の如く誕生した「ステッキガール」業者の広告。下記の業者は元浜町に事務所を構えていた様子。これら「ステッキガール」は現在の「無店舗型風俗店」の先駆けとも言えましょう。
更には「週刊静岡 昭和三十三年八月四週号」にて、元浜町に関して少し触れた記述を確認。
「恐怖の世相 売春禁止は何処へ行く」と題された特集記事です。文面は当時の浜松で「仕事」をしていた街娼や不良青年、貸席オーナーへインタビューしたと言う体裁を取っていました。以下に引用してみます。
「良家のお嬢さんと称する人達や立派な職業を持つた娘さんが、この頃はプロ級ですからネ。一昨年そら元浜で手入れのあつた売春宿、あれですね、素人というふれ込みで荒かせぎしているのですからかないません。でもネ負けませんよあんな小娘達に・・・・・・」(或る浜松の街娼談)
・・・・・・・・記事にある元浜町の売春宿を調査せんと鼻息荒く勇み立ち古地図を捲るものの、地図上に記されたるは無数の旅館や貸席屋号。地図上からも立ち込めたる妖艶淫靡なる空気を実感出来た。