戦後新たに発生した集娼地域における売春の実情について(復刻版) | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

同好の士たる遊郭部氏の手により此度復刻が成された昭和二十年代の集娼地域調査資料「戦後新たに発生した集娼地域における売春の実情について」(復刻版発行カストリ出版を拝受。読了す。










原著は昭和三十年に当時の労働省婦人少年局により発行された。







昭和二十年代に社会問題化していた集娼地域(組織売春)の実態を把握すべく、三十二都道府県五十地域約三百五十名の業者、約六百名の売春婦を調査。学歴前職について、「しょうばい」を始めた年齢、親元の経済状況、性病罹患状況、ヒロポン経験の有無など、売春婦本人に関する調査を例にあげれば多岐に亘って聞き取りが行われており、生々しさが伝わってくる。





中々窺い知ることの出来ない娼家経営者や娼家の建築様式設備に関する調査も含まれている。一例をあげれば、地域によって異なる娼家の名称。各地域何れもアリバイ的に「カフエー」「料理屋」「小料理店」等々と正業たる飲食店を指し示す名称を使用。これらの店舗が実際に飲食設備を備えてたか否かの調査にも及んでいる。





更に娼家経営者の国籍に関する調査も行われており、経営者の大部分は日本人だが、少数の三国人や米国人の娼家経営者が存在していたことにも触れている。米国人の娼家経営業者が存在していたことが示唆しているように、調査全般に亘って各地の集娼地域を「赤線青線」に対して「基地周辺」と分けている点に注目すべき。戦前遊廓の系譜とは大いに異なる敗戦と言う特殊な状況が生み出した集娼地域が、各地の基地周辺に存在したことを物語っている。







女性に対する聞き取りは言うまでもなく、各地集娼地域、経営者への調査が相当細かい部分まで及んでいる。これは役人仕事の良い部分の本領が発揮された、と言うべきであろうか。








最後に当資料を戦後の売春博士たる中村三郎氏による「日本売春社会史」と併せて読まれることをお勧めしたい。売防法施行後の昭和三十四年に出た「日本売春社会史」に於いても、各地の集娼地域を中村氏自身が数年間かけて調査しており、その調査結果が統計化されている。




そして中村氏は労働省による集娼地域調査に対して相当な疑念とライバル視を抱いていた様子が文面に散見出来るのだ。その一部を以下に引用してみる。





婦人議員や婦人団体の人々は某省の統計を、鬼の首でもとったように「いまや吾国には五十万の売春婦を有し」などと、確証なき数字を堂々と挙げて大講演をやっていたものである。


丁度其頃筆者の発表数に対し、某省の婦人少年局員が訪問されたとき、次のような筆者との会話のあったことを記憶している。



「どうしてお調査になりましたか」


「全国をくまなく歩いて調査しました」


「方法は先づ国警、自警、市町村役場、税務局を基本として、業者及び女から調査し、次で保健所と商人からキメテを打ちます」



「それは大変ですね」



「根気です、官庁は机上で統計し、私は足で統計します」








・・・・・・・・中村氏の言う「某省の婦人少年局員」とは「労働省婦人少年局」で間違いなかろう。