その文献とは藤沢市文書館に因って発行された「藤沢宿惣家別書上帳」であります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131217/21/izumiken79/6e/1c/j/o0272040012783832000.jpg?caw=800)
藤沢市内の郷土研究家が、幕末期に於ける藤沢宿の各旅籠の情報を掘り起こし、宿の間取り、位置関係、旧町名、屋号等を調べ得る限りの手段で記しております。当時の飯盛旅籠や女郎屋の類も載っていると推測したら、案の定それらが克明に記されておりました。
少々見辛い事をご容赦頂きたいのですが、下記のような構成で綴られております。因みに、下記向かって左から二番目に記されている「青柳屋」、加藤氏の言に因れば、「業界の最高峰」とされていたそう。青柳は辰巳への移転には至らなかった模様であります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131217/21/izumiken79/c0/03/j/o0304040012783832002.jpg?caw=800)
加藤氏曰く、「大久保に揚屋としての蔦屋、湊屋あり・・・・・」、下記に確認出来ますね。蔦屋のみ辰巳の新地へ移転。揚屋=貸座敷の意。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131217/21/izumiken79/38/f6/j/o0400038212783832232.jpg?caw=800)
旧大鋸町の「大和屋」、こちらも新地へ移転したようです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131217/21/izumiken79/e1/68/j/o0400035812783832003.jpg?caw=800)
しかし現在の旧東海道と藤沢新地にその面影はなし。文献の頁を捲って往年を窺い知るしか術はありませぬ。
続く。