新潟県小千谷市(旧小千谷遊廓)其の參 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

雨が降っている所為もあるのでしょうか。船岡町は人の気配が全くしない住宅街でした。この地が嘗て小千谷遊廓として華やいだ歴史があったことなど微塵にも感じさせない静かな街です。









何か小千谷遊廓の遺構を探そうと躍起になる私です。しかしながら何も見付からず。とある民家に植えられた松の木をぼんやりと眺めながら「これは見返りの松の生まれ変わりだ、これは見返りの松の生まれ変わりだ、生まれ変わりだ・・・・」とブツゝと私は呟くのです。
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然らば小千谷遊廓の遺構を、明治~大正時代に発行された新潟中越地方の風俗誌「おもしろ誌」よりハッテン的に発掘致しましょう。
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おもしろ誌第十五号(明治四十三年十一月二十日発行)「小千谷遊廓素見記」・・・・・因みに「素見」とは「ひやかし」と読みます。
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某日夜十時前時分は宜しと独りポツゝ横町を通ると劇場明治座に講談がある、廓内へ入るにはチト早いから同座に飛び込んで観ると南北西東洋の講談に小千谷有志の茶番狂言で観客は七分を占めていた、時計を見ると十時も過ぎたから同座を飛び出して町の南端たる遊廓見物に向かった四間小路で四、五名の素見連に出会いこの団体と前後して廓内に入ると霜枯れながら相当に素見客もある、楼数は四軒で現在娼妓は十二、三名とのことだ、東側に目下新築中のものが一軒と準備中が一軒あるから近々六戸となる訳だ。


今日の小千谷として人口並びに情勢から五、六軒が相当か、さて西側の三戸は右から住ノ浦、松川、若松の三楼で丁度松川楼へ登楼したお客が大陽気の大茶番を演っているところだ、見物している者も多い、大出刃を持っての立ち回りや風呂敷被って地蔵尊の早替りも滑稽なり、夜も更けたれば踵を返して廓門を出ると、警官に会った何と思ったが自分の姓名住所を聞いたが、小胆の吾輩は一時ビックリしたが先ずゝご苦労さま、終に帰路に着いた二、三の珍聞もあれば後便で(小千谷生)








同じくおもしろ誌第十五号から。「小千谷花柳だより」
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△松川楼抱芸妓(マス)西蒲原郡燕町○○○(伏字)二女同姓アサ(二五)去る三十九年同家に左褄を取りしが今回いよいよ満期除隊となり一先ず実家に参りその上横浜在勤を命ぜられ近々出張の筈


△同川岸料理店藤屋○○○(伏字)養女ハナ(一八)は去る九日夜十二時頃下町料理店近松屋方に於いて某客と同衾中警官に踏み込まれ一先ず本署へ同行の上三日間の○○に処せられたるはお気の毒でもなんでもない


△遊廓若松に去る頃よりポンタと言う娼妓が出たが頗る全盛とのこと





・・・・・・文中にある左褄を取りしに注目しましょう。左褄(ひだりづま)、この意は広辞苑によると①衣服の左方のつま。②(左手でつまをとって歩むからいう)芸妓の異称。「左褄を取る」(芸妓となる、また芸妓勤めをする)


対して「右褄を取る」とは、即ち遊女の意。簡単に説明しますと、左褄は着物の隙間から手を入れられない(芸を売る)、右褄は着物に隙間がある(色を売る)・・・・。


詳細はコチラのサイトに載っています。関心のある方はどうぞ→ざ、花柳界 左褄のお話・・・・






おもしろ誌第十四号(明治四十三年十一月五日発行)から「小千谷花柳だより」
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西蒲原郡○○○(伏字)○○○二女
坂本屋 芸妓みせ ○(伏字)山みせ(三〇)

三島郡寺泊○○○(伏字)○○○四女
阿部屋 同とみ ○(伏字)谷ヨシエ(二七)



二妓(ふたり)は小千谷町に就職以来九年間客並びに主人大切と勤めをなし殊にミセ拍子の如きは主人一ヶ月内に三人共死去なし他の芸妓は皆実家に帰りまた情夫の方に走りしに只一人踏みとどまり主家の回復を祈るなど実に妓輩社会に於いては最も賞すべき好妓なり、またトミ拍子もその如く三四年小出町中橋亭よりここに来たり永の日数を一日の如く稼業大事になし宜しく主家を助けたり二幅対として賞し精勤証書位贈っても宜いとの評判


▲緑屋娼妓ミユキ(三十二)と言う姥桜は蒲原七谷辺りから飛び出せしだけあって身の丈積もりて五尺九分顔はたどん宜しくにて斑点だらけの身体なれど客扱いの宜きは他に例なし西方某の如きは鼻毛を数えられながらせっせと通うとのこと


▲同住の浦千代吉(三六)と老妓は遠くより見れば令嬢姿、途中で見れば奥様姿なるが、さて近くで見れば驚くべし九尾の狐体なり顔のしわ数えて見ればこれも驚くべし七十三筋の道に取っては如何なる通人も裸足で逃げ出すという手取者なるが以前信州は湯田中に於いて全盛を極め某質屋の隠居にひかされたるも少し不都合の廉あって暇となりしが沼垂の実家にくすぶっていたけれど同楼よりの招きに応じ花々しく出陣せしものなりとう








・・・・・・・女性の容姿を黒い笑いのネタにするのはおもしろ誌の十八番であります。紙面から賑やかだった嘗ての小千谷遊廓界隈が伝わってきます。されど現在の船岡町にその面影はなし・・・・・。