嗚呼新潟遊廓 | お散歩日記

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路地裏、バラック、長屋、昭和の香りがする飲食街、遊郭赤線跡地、廃墟、古い町並み、山奥・・・・そんな場所を訪れては下手糞な写真を撮っております。

新潟市の赤線女子こと巻き子女史のツイートと、写真サイトのインスタグラムを拝見。










寄附町の気になる妓楼風物件、正体はなんなのでしょうね。
※下記写真はグーグルストリートビュー大先生にてパシャリ。





下記は我が手元にある昭和三十二年度の新潟市住宅明細地図より。現在は廃墟になっている嘗ての妓楼(貸座敷)「新まつ葉」と、謎の物件との大凡な位置関係を。・・・・・・地図を見る限り個人宅の模様ですね(現在の新潟市の住宅地図を確認すると苗字が変わり、会社作業場の様子?)昭和三十二年より以前の地図が存在しない為に、此処が妓楼か否かを地図からは伺えません。





しかしこの界隈が「常盤町遊廓」のエリアだったのは間違いがなさそうですね。新潟市史下巻に因ると東堀通り十三番町、寄附町、四ツ屋一丁目を常盤町遊廓としています。また嘗てはこの界隈の別名を「常盤町」と呼んでいたとも。隣接していた十四番町遊廓とは色んなシガラミがあったと推測出来ますし、一括りに「新潟遊廓」とされるのも、常盤町遊廓の業者は思うところがあったのではないでしょうか。








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横七番通のセブンイレブン。





昔はトルコ嬢が利用していたと言う某旅館の看板あり。




セブンイレブンからこんな抜け道が。





横七番通のセブンイレブンは嘗ては「おおとり劇場」でした。昭和四十二年度新潟市住宅明細地図より。





ストリップ劇場の「セントラル劇場」「キャバレー新招楽」、遊廓から赤線時代を経て、新潟シモ町が華やかだった時代を地図から伺えます。
昭和四十二年度新潟市住宅明細地図より。





「旅館福田」の親父さん、元気かな・・・・。