いよいよ橋本遊郭へ。今回の旅は旧橋本遊郭を訪問するために新潟からはるばるやって来たと言っても過言ではありません。言わば・・・・聖地ですね。ここには往年を窺い知ることができる遊郭時代の建物がひっそりと残っているのですよ。観光地化されているような賑やかな場所ではありません。小さなひっそりとした街です。橋本遊郭の記事は少々長くなる予定です、暫しの間お付き合い下さいませ。
木村聡著 赤線跡を歩くの橋本遊郭の頁には、勤王の志士も新撰組も仲良く遊んだ淀川べりの里とあり、不思議な迷宮世界と題した上で、以下のように記されています。橋本は伏見と大阪を結ぶ京街道の宿駅の一つで、江戸後期の遊所番付にも、中書島、枚方とともに名を連ねていた。昭和5年の「全国遊郭案内」は、淀川、桂川、宇治川の三川の合流に沿って居るので、風景もよく、夏は涼しく、多数の網船が出漁して、夜間の不夜城、川岸に絃歌のさんざめく辺りは実に別世界の感じがある、と伝えている。近年まで対岸の山崎とを結ぶ渡し舟があった、とあります。
旧橋本遊郭の最寄駅である京阪本線橋本駅。嘗て遊郭が華やかなりし時代、夜になれば遊郭目当ての客でホームはごった返していたとか。
橋本駅を降りると直ぐに巨大な建物が見えてきます。この建物は旧橋本遊郭歌舞練場。現在はアパートとして使用されています。嘗てはステージも備えたモダンな建物で大賑わいだったそうですよ。
親愛なるお友達であります某女史のブログでお馴染み、洋食の店やをりき。
前述の木村聡著 赤線跡を歩くには「矢尾力食堂」では、ずんぐりとした小瓶のアサヒスタイニーを飲ませてくれた、とありました。実はビール片手に「やをりき」で過ごそうかと計画をしていたのですが、残念ながらこの日は営業していませんでした。
踏み切りを渡った付近で撮影。赤線跡を歩くを意識して。
左右に柱の根元が残っているのが確認出来ますでしょうか?
この柱には嘗て橋本遊郭の看板が在ったそう。その昔は大門が在ったのでしょうか。
淀川と沿うように走る府道13号線。京都府と大阪府の境にあるのですね。
府道13号線より旧橋本遊郭全体を眺める。大きな煙突は銭湯の橋本湯。橋本湯に関しては後述致します。
大谷川から撮影。
大谷川には古い橋の橋脚の遺構が残っていました。
土手から見えるステンドグラスが魅力的な建物。
こちらの橋は思案橋・・・的なものだったのでしょうか?1982年の映画鬼龍院花子の生涯で夏目雅子さんが渡った橋・・・だとか。
橋を渡ると道標が。この道標、街のあちこちにありました。
この界隈を示した案内看板。昭和56年、と言う表記を確認。映画鬼龍院花子の生涯のロケに合わせて作った・・・のかどうかは分かりません。後述する橋本湯のおやじさんのお話に因ると、旧橋本遊郭は幾つかの映画、ドラマ、CMのロケ地として使用されているとの事。
旧橋本遊郭の街並み。左右には当時を偲ぶ独特の建築様式をした建物。旧橋本遊郭をロケ地に使った映画鬼龍院花子の生涯、未だ私は拝見していないのですが、次回再びここを訪れる前までに鑑賞したいものであります。夏目雅子さん、本当に綺麗な女性ですよね。行政によって旧橋本遊郭を文化財として保存する動きも一時期はあったそうです。残念ながら現在はその話は消えてしまったようですね。
土手からの風景を再び夕暮れ時に。私はこの日、ほぼ丸一日近く旧橋本遊郭に居たのです。