J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 楽曲解説 | 住友生命いずみホールのブログ

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2020年12月10日・11日で予定しておりました「古楽最前線!2020 vol.4 ジャン=ギアン・ケラス J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲全曲」は出演者の来日がかなわず中止となりました。
楽しみにしてくださっていたお客様には心よりお詫びを申し上げます。公演をお届けすることができず、本当に残念でなりません。
 
本公演のために、バッハ研究者の富田庸先生に書いていただいた楽曲解説をご紹介いたします。
 
 

J.S.Bach チェロ組曲 楽曲解説 (富田庸)

全6曲のチェロ組曲BWV 1007-1012は、バッハが独奏チェロのために書いた唯一の作品である。バッハの自筆譜は現存せず、極少数の筆写譜にて伝承され。そのため、いつどこで起草され成立したのかは未だに明らかにされていない。現存する最古の資料は、J.P.ケルナーの写譜で、1726年に作成されているので、それまでには組曲の編纂がほぼ完了していたようだ。また、バッハの妻アンナ・マグダレーナがバッハの弟子G.H.L.シュヴァンベルクのために作成した筆写譜は17271732年の間であったと推測され、それは現在は失われてしまったバッハの自筆譜としていたことが確実だと思われるその後に作成され現存する写譜数点バッハが後改訂を加えた稿から派生しているらしいこと、そして写譜中にみられるアーティキュレーション記号がどの程度正確に写譜されているかなど、バッハが真に意図したであろう最終稿の形はどうであったのかといった極めて重要なポイント現在も引き続き論争の対象として熱い議論が展開ている。

 

 チェロ組曲の演奏には、4弦をもつ一般的な楽器(第1番から第5番まで)と5弦をもつ楽器(第6番のみ)の二つが必要となる。当時の低声部弦楽器には、両脚に挟むもの(ダ・ガンバ)、腕で抱えるもの(ダ・ブラッチョ)、肩に乗せるもの(ダ・スパラ)などがあったが、多様性を追及するのであれば、組曲第4番第6番は、モダン・チェロよりも小さい楽器にてヴァイオリンを弾くように持ち上げて演奏するのも面白そうだ。また第5番では、調弦が問題にな音域がいちばん高いイ音の弦を一音下げてト音に調弦して弾くことを前提に楽譜が書かれている。このような手法をスコルダトゥーラ(変則的調弦法)呼ぶが、重厚なハ短調の和声を響かせるための工夫のひとつである。

 

 全6曲の組曲の構成に焦点を当てて見ると、バッハの他の作品と同様、論理的にアレンジされており、後半の3曲が技巧的な難しさと作曲上の緻密さにおいて、前半の3曲を凌駕しているのは特筆すべきポイントである

 

 まず、前半の3曲は、低音側の3弦をそれぞれ基調とし、各々の特徴を探ってゆく形で進行する。組曲第1番(ト長調)は第3弦(ト)を基調とし、冒頭楽章にて朗々と響く開放弦による分散和音で始まる。第2番(ニ短調)は第2(ニで、主和音を旋律的に処理することで表情豊かでかつ哀愁に満ちた楽想を紡ぎだす。第3番(ハ長調)は一番低い第4弦(ハ)を基調とし、よく響く4声の和音を殆どの楽章にて最終和音に使用するなど、チェロという楽器の持つ低音の開放弦の響きを存分に活用した書法をとっている。

 

 組曲中の舞曲に焦点をあててみても、同ジャンルに様式的幅がみられるのも興味深い特徴だ。例えば、組曲第1番のアルマンドは、モチーフにて書体の引き締めを行なったりもせず、ソナタ風の自由に流れる16分音符にて楽想が紡がれてゆくが、第2番の同名楽章ではモチーフがより明確に提示され、緻密に構築されている一方、様式的にも舞曲としての性格が明確になっているほか、32分音符群や重音の惜しみない挿入など、高い技巧を誇示する書体となっている。同様の表現の幅は、最終楽章であるジーグにもみられる。第1番では狩のホルンを連想させる開放的な分散和音にて、明るい楽想を目指すが、第2番では、類似した旋律・リズム素材を用いながらも間逆の暗い性格を描いている。

 

 組曲後半の第4番から第6番では、それぞれ一種独特の技巧的特長を追及している。第4番(変ホ長調)では、開放弦があまり使用できない状況にあるにもかかわらず、書体が複雑な分散和音を要求し、演奏家にとっては安定した演奏技巧の見せ所となっている。第1番にて見られた分散和音の技巧的な余裕と比較すると、相当のレヴェルの飛躍が確認できよう。続く第5番第6番は様式的にそれぞれフランス風とイタリア風になっている。前者では、フーガ部を含むフランス風序曲で始まり、後者はバリオラージュ開放弦と隣のおさえた弦との音を交互に素早く弾奏法)を駆使したジガで始まる。

 

 バッハの作法におけるもうひとつ特徴は、基本的にソナタ形式で書かれた楽章が別のジャンルの特徴によって独特の性格づけがされるといった、「ジャンルの交錯」であろうか。アルマンドをみると、第5番は、付点リズムの使用によりフランス風序曲の装いをまとっているのに対し第6番は、32分音符による多彩な装飾によりイタリア風のアダージョを連想させる。同様にクーラントも第5番ではソナタ形式によるフランス型になっている一方、第6番では躍動的な性格を強くもつイタリア型になっている。サラバンドも同様で、第5番では4小節のフレーズに括られた旋律が、ゆったりと8分音符にて表情豊かに独唱する形となっている一方、第6番では、重音を多用した重厚な和声に支えられた旋律という書体を取っている。最終楽章のジーグも、第4番では単調な旋律が不規則なフレージングに括られ戯けたような楽想を醸し出し活気溢れるカナリー、そして第6番では鮮やかな技巧を総合的に披露するなど、豊かなヴァラエティが追されている

 

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 この曲集が作曲された当時、チェロという楽器は、コンティヌオの一部として合奏に見いだされるのが常であり、独奏楽器として取り上げられることは稀であった。この楽器の持つ独特の色と多彩な表現力を存分に引き出す独奏曲がこうしてバッハにより創作され、今日その魅力を存分に堪能できるようになったのはとても有難いことだ。見方によってはチェロの楽器としての魅力がこの曲により激変したともいえ、それは西洋音楽史にとっては革命的な出来事であったといえるかもしれない。ただ、歴史の大きな流れを俯瞰してみてみると、チェロの独奏曲というジャンルはバッハの一世代前のイタリアでジュゼッペ・コロンビ(G. Colombi)ドメニコ・ガッリ(D. Galli)らにより既に複数手掛けられており、バッハが真の意味で先駆者であったというわけではない。また、1824年に初版が出るまでの間、チェロ組曲は極少数の写譜にて伝承していたことが確認できるだけで、一般的には忘れられた存在となっていた時期が長かった。この曲が音楽史に大きなインパクトを与えだしたのは20世紀初頭にパブロ・カザルスが演奏活動にて取り上げだしてからであって、無伴奏ヴァイオリン曲や平均律クラヴィーア曲集など、バッハの他の主要な器楽曲の受容の実態とは大きく異なる。しかし、チェロ組曲が音楽史に残したこれらの刻印は、バッハという作曲家の歴史的評価を的確に反映しているようにもみえる。つまり、バッハは先駆者から受けた刺激から新しい可能性を見出し、それを当時の基準を遥かに超える完成度でもって作品を仕上げてしまった結果、当時の音楽家からは敬遠され、その真価が理解されるまで約2世紀を費やしたことになる。

 

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富田 庸 (とみた よう)
音楽学者(バッハ研究)。1961年、福島県生まれ。福島県立安積高等学校を経て武蔵野音楽大学ピアノ科卒業後、渡英。リーズ大学にて修士号と博士号を取得。現在、英国ベルファストのクイーンズ大学教授。ライプツィヒ・バッハ資料館(研究部門)シニア・フェロー。英国バッハネットワーク理事。主な著書にDas wohltemperierte Klavier II[平均律第二巻](楽譜・Henle 2007年)、J. S.Bach(研究書・Ashgate 2011年)、Exploring Bach's B-minor Mass[ロ短調ミサ曲探求](研究書・Cambridge大学出版局 2013年)など。