いずみシンフォニエッタ大阪公演 曲目解説掲載します | 住友生命いずみホールのブログ

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無事「いずみシンフォニエッタ大阪 第28回定期演奏会」は終了いたしました。


先日は、リハーサルの模様をまたリポートしますなんて書きましたが、

ごめんなさい、できませんでした。

待ってくださっていた方には申し訳ございませんでした。


さて、このいずみシンフォニエッタ大阪の公演では、

現代の作品を中心にいつも珍しいプログラムが並びます。


お客様にとっても初めて耳にされる曲ばかりではないでしょうか。

それだけに、

当日配布のプログラムに載せる曲目解説はとても大事に思っています。


今回もプログラム・アドヴァイザーの川島素晴さんに書いていただきました。


演奏会に来られなかった方や、

(私たちもほかの方にお世話になっているように)

いつの日か今回の曲たちの情報を知りたいと思った方に向け、

解説全文を公開します。

公演時の写真とともにご覧ください。



 音楽とは、常に社会的なものである。作曲家が楽譜を書き、それが演奏され、そしてそれが聴衆に供される。そのどの段階においても、何らかの社会的手続き無くしては成立しない。だから音楽史を紐解くとき、世界史との関連を考えずして、その正しい理解には至らない。とりわけ、旧ソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」)の音楽に対峙するとき、それらの音楽が置かれていた社会的状況を考えることは、楽譜を読むことと同等に重要な意味を持つ。
 1932年、ソ連共産党が「ソ連作曲家同盟」を組織した。これは、それまで西欧の音楽を研究し前衛的な創作を展開していたモダニスト中心の「現代音楽協会」を、大衆歌が基本と考える「プロレタリア音楽家同盟」と統合したものだが、スターリニズムが強まる中、「社会主義リアリズム」(形式においては民族的、内容においては社会主義的)の理念が提唱されて後者の方向性に集約されてしまった。元来「現代音楽協会」の方に属し、先鋭的な表現を試みていたショスタコーヴィチも、党の方針に迎合せざるを得なくなった。その後、第二次世界大戦を経て冷戦時代に至っても、作曲家に許された表現は、この「社会主義リアリズム」のみだったのである。



ヴァスクス:カンタービレ


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 バルト三国の一つラトヴィアは、1940年にソ連に併合された共和国である。牧師の家に生まれたペトリス・ヴァスクス(Pēteris Vasks, 1946- )は、ソ連によるバプテスト教会弾圧によって一時期、隣国リトゥアニアに行かざるを得なかったが、コントラバス奏者として活動を始め、後に作曲家として成功を収めていく。(1990年代以後、彼の名を一躍西側に知らしめたのは、同じラトヴィア出身のギドン・クレーメルである。)ポーランドの隣国で学んだ経験は、ルトスワフスキによるパターン反復技法(各奏者が音型をランダムに繰り返すことでカオスを形成する)やペンデレツキによるトーン・クラスターを取り込むことにつながる。このような前衛手法は粛清の対象だったが、ヴァスクスはこの《カンタービレ》(1979)で、祖国の自然(川、森、鳥の歌)を描き出すために、それらの手法を白鍵による旋法(ドレミファソラシのみによる響き)上で展開し、シンプルな美しさを湛えつつも独特な表現を獲得することに成功する。
 ある部分は吉松隆の《朱鷺に寄せる哀歌》を想起させるが、吉松作品が1977年から80年に作曲されたことは興味深い。つまり、ほぼ同時にこのような表現が実現したことになる。前衛音楽へのアンチテーゼか、表現弾圧から免れる方法か……ポスト・モダンの文脈の中、それぞれの立場で純粋に音楽に向き合った結果であろう。滅び行くものへの頌歌としての吉松作品に対し、ここでのヴァスクスは、直截に、自然を称え、生を謳歌している。


 しかしヴァスクスの願いも虚しく、《カンタービレ》が書かれた1979年以来ソ連はアフガン侵攻を行い、そして1986年にはチェルノブイリ原発事故で隣国ベラルーシを中心に深刻な汚染を拡げてしまった。事故前年からゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を始めていたが、世界からの非難を連邦体制は背負いきれずグラスノスチ(情報公開)が進んだ。これらをきっかけに1990年にはラトヴィアを含むバルト三国全てがソ連からの独立を宣言。翌年、遂にソ連は解体する。



デニソフ:室内交響曲 第2番


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 シベリアの放射線物理学者の家庭に生まれ、発明家由来の「エディソン」という名前を与えられたデニソフ(Edison Denisov, 1929-96)は、当初、数学を専攻していたが、ショスタコーヴィチのサポートを得てモスクワで本格的に学び、作曲家へ転身した。理系の頭脳は、シュトックハウゼン等、西側の前衛音楽を研究するのに適していたのだろう、ロシアの作曲家の中でもひときわ前衛的な作風で知られる。しかしもちろん、そのような表現は弾圧を受け、要注意人物に認定されていた。社会主義リアリズムを順守せず、反骨を貫いた作曲家なのである。
1990年、ソ連崩壊と同時に、かつて消滅した「現代音楽協会」が再興すると、デニソフは議長となる。そしてパリに移りIRCAMで電子音楽の制作に勤しむ等、水を得た魚のように自由な創作を展開する。
 1994年、そのデニソフを特集する機会が、<東京の夏>音楽祭の一環でもたれた。そこでの委嘱作品が、本日上演する《室内交響曲 第2番》である。ところが、デニソフの来日は叶わなかった。大きな事故に遭ってしまったのである。長年の病もあり入院生活となる中も旺盛な創作を継続していたが、2年後、帰らぬ人となる。
 この作品では、半音階的に入り組んだモチーフ、同音連打によるリズム型等、それまでのデニソフの音楽の特徴を踏襲する部分も見られるが、作曲者自身が「新しい音楽」と呼ぶ新境地はその豊饒さにある。息つく間もなく上記二つの素材が展開していく練達の筆致には、ようやくにして自由に作曲できる喜びを噛みしめている様子がうかがえる。まさに「抑圧からの解放」がもたらした濃密なスコアは、それだけに演奏は至難であり、響きも難解だ。しかし筆者は、ヴァスクスとはまた違った意味で、この作品に純粋な生への謳歌を感じる。うごめく線的動きと、躍動するリズムとが応酬し拮抗する中に横溢する、未来を見据えた生命エネルギーを体感して頂きたい。



 ところでこの演奏会、当初、旧ソ連の作品と委嘱新作とに、何らかのつながりを想定するものではなかった。しかし、チェルノブイリを経たデニソフ作品を聴いた後に、フクシマを経た新実作品を聴くという、このやるせない偶然。崩壊に至るソ連や、粛清時代のソ連を、今までの我々は、他人事として想像することしかできなかった。しかし、今は違う。こんな状況の中、音楽家はいったい、何をなせばいいのか?
 まずは、作曲者自身の言葉をお読み頂きたい。



新実徳英:室内協奏曲 第2番 TERRA AE.10


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 音楽を希求する心に変わりはないが、この一年はその心に悲しみと怒りが棲みついて離れてくれない。
 地震、津波、放射能による災害は古今未曾有のものといってよく、復興は遅々として進まない。被災者の立場に身を置いてみれば、現状がいかに非人間的なものであるか子供にだってわかることなのである。誠心誠意という言葉は空っぽになって、偽善が文字通り善人づらして歩いている。この齢になってかくも情けない日本を見なければならないとは想像すらしなかった。その自分にも責任があると思うとき、心は折れ曲りそうになる。
 が、こんな時にこそ音楽は「力」を持たなければならないと改めて思う。音楽は真直ぐ真・善・美につながるものであり、そのことにより私たちに歓びを、ひいては生きる力を与えてくれるのだ。
 自分は非力な小作曲家に過ぎないが、それでも音楽が私に音楽を生み出させてくれる。もし今回の新作が弾き手・聴き手の心の琴線に多少なりとも触れ得るものであれば-そう願いたいが-それは音楽の力によるものだと思う。
 さて、以下曲について簡略に記す。
 全体はアタッカで続く3楽章から成る。
 第1楽章と第2楽章は互いが一つの「真理」の両面のようなものかもしれない。大自然への畏怖や生命奔流への想いをそこに聴きとっていただけるだろう。
 第3楽章は静謐なる幸福と平和を、そして生の充足を夢見る。
 昨年10月末にハンブルクで初演された<古代歌謡>(ソプラノ、尺八、打楽器、チェレスタ、弦オケ)の副題を「荒ぶる神と鎮める神」としたが、この曲も両神への捧げものとなった。
 最後に、今回の貴重な機会を与えて下さったいずみシンフォニエッタ大阪と音楽監督西村朗氏に心よりの謝意をここに表したく思う。
                                             新実徳英



「大自然への畏怖」「生の充足」……新実氏が今、直面する主題は、前半2曲で聴いてきた主題と、まさに相通ずるものである。もちろん、これまでの彼もこのような主題を掲げてはいたわけで、創作活動の連続性の先にこの作品はある。しかしその切実さ、リアリティは、これまでのそれとは質が異なるのではなかろうか。
 作曲の世界では、これまでいわゆる「昭和一桁世代」の充実ぶりが指摘されてきた。戦争体験を持つか否かという線引きによって、確かに、その創作に見られる根源的な力の相違を見せつけられてきた。しかし、筆者は思う。今を生きる日本の作曲家は、否が応でも、再び「3.11を知る世代」として線が引かれることであろう。戦後すぐに生まれた新実氏にとっても、それは同じである。この現実とどう向き合うか、という問いとともに、これからを生きねばならない作曲家の声に、どうか耳を澄ませて頂きたい。



ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 op.35
 この作品が書かれた1933年は、共産党による弾劾が始まる前ではあるが、しかし、ショスタコーヴィチも参加していた「現代音楽協会」が吸収され消滅した翌年でもある。つまり、モダニズムの中、自由に作曲できた時代から、そうではなくなる時代への過渡期という、微妙な時期である。
 トランペットのみを伴う弦楽合奏という特異な編成。ベートーヴェン《熱情》ソナタ冒頭主題やハイドンのニ長調ソナタ等、他人の作品に加え自作からも多数の引用が行われていること。ピアニストでもあった自身を想定したアクロバティックなソロ。そしてそれらから紡がれる底抜けの明るさ。こういった、この音楽を巡る特徴は、そのまま、この曲が書かれた当時の状況を反映している。体制に反発することなく、しかしモダニズムを放棄するのでもないあり方の実践。ユーモアはアイロニーであり、そこでの笑いは、そこはかとなく諦念を背景に持つ笑いである。
 しかし、それでも、笑うことは強さでもある。ショスタコーヴィチが予感する、少し先の未来の絶望を、この曲には、忘れさせるだけの力があったに違いない。そして私たちも、このような音楽の力によって、支えられている。
《熱情》主題を含むソナタ楽章、激しい中間部を持つ緩徐楽章、カデンツァ風楽章、高速なロンド楽章の全4楽章は続けて演奏され、精巧ながら自由闊達な音楽は、あらゆる瞬間に、聴く者の意識を覚醒させる力を帯びている。今、この瞬間だけは、全てを忘れて楽しみましょう!
   
   川島素晴(作曲家、いずみシンフォニエッタ大阪プログラム・アドヴァイザー)

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                    (写真はすべて 撮影:樋川智昭)


なお、この演奏会の模様はNHKにて収録され、NHK-FM「現代の音楽」にて放送される予定です。

また日時が決定しましたらお知らせいたします。