テレビで


今は

グラウンドゼロとなった

世界貿易センタービルで

当時働いていた

息子さんのご両親の

ニュースを見ました。


30代の息子さんは

ニューヨークに赴任


当日も出勤して

テロに遭いました


ご遺体は

指一本だけが

後から見つかり

DNA鑑定の結果

息子さんだと

分かったそうです。


今もご両親の手元に

息子さんは

いらっしゃいます。


お母様は

「20年が経っても、

息子をこの運命に

してしまったのは

母親である

私の責任だと

思っています。

なぜ息子を

こんな運命に

してしまったのかと

自分を責めています」

とおっしゃっていました


20年前のあの日


ビル全体に

「避難をせず

とどまるように」と

指示が出たので

避難出来ず

命を落とされた方々が

多いそうです


真面目で規則に従う

息子に育てたご自分を

お母様は

今もなお

責めていらっしゃるのです


例え

どのような

亡くなりかただとしても


どのように

別れてしまったとしても


別れ方

年月、年齢に関係なく


子どもの命を

守れなかったことを

自分の責任だと


自分を責めてしまう


それが母親なのですね


母親であるからこそ

他の誰とも

感じ方が異なることは

私だけでは無いのだと

知ることが出来ました

そのことを

メディアを通して

伝えてくださったこと

心から感謝します




とにかく

情報が乏しく


10年の歳月をかけて

お父様は


アメリカで

出版された本を

翻訳しているそうです


事件の解明を


息子さんの

生きていた証を

命が奪われた顛末を

少し明らかに出来て

嬉しい


いや、嬉しいって

表現はおかしな事ですが

と語られていました。




9.11から20年

3.11から10年


たった10年経っただけ

たった20年経っただけ


いつまでも

薄らぐ事はない

大切で愛おしい

我が子


私達のお腹を

選んで来てくれた

我が子達


産道を通る時は

ものすごい

痛みを感じながら

それでも

生まれよう

生まれようと

する命


亡くなる時よりも

生まれてくる時の方が

衝撃だと聞きます


私達は

その衝撃を

衝撃と思わず

自らの意思で

この世に

出てきたのですね




チビが2歳になる

少し前に

胎内記憶を

聞いた私


「僕がいた所はね

苺畑みたいな色の

真っ赤な海でね

とってもあったかくて

気持ち良くて

フワフワして

ママの声が聞こえてたよぉ

出ようと思ったから

出て来たんだぁ


ママのお腹が

シューってなって

僕ね出口が明るくて

そっちに行きたいなぁって

思って出口に行ったんだよぉ〜」


と話してくれてました✨


出て来る時

あんな狭い所を

ものすごい衝撃で




でも

苦しくないんだ

命ってすごいですね


私達は

生まれて来る時の

記憶を

たいてい

今覚えていません


死への恐怖なども

物心ついた後で

刷り込まれた

ものです


きっと命尽きる時も

気がついたらお花畑で

橋の上から

懐かしい人たちに

迎えられ

気持ち良くて

仕方ないのでしょう




それが

分かっても


我が子と離れた私達は

涙に明け暮れ

自分を責めています


その大切な

我が子ですもの


別れ方に関係なく


いつまでも

いつまでも



自分の責任で

あの子の運命を、、、

と思う事は

当然のことなのですね

母親であるからこその

感情なのですね


「運命」とは

命を運ぶこと

命が

あの世界から

運ばれて

あの世界へ還る

この循環で

この宇宙は出来ている



あの世界では体験

出来ないことがあり

だから

この世で体験する為に

生まれる


全ての体験を

分かっていて

母親を選び

気持ち良くて仕方ない

胎内から

出口を目指し

泣いて肺が膨らみ

呼吸をし

また還る


それでも

私達、母親は

我が子を

失えば

自分を責める


でもね

思うでしょう?

生まれて来てくれて

ありがとうって


そうしたら

チャリン✨です


責めてしまうのが母親

私の我が子になってくれて 

ありがとうって思うのも母親


そうしたらチャリン✨


ちゃんと

貯めてますね私達

宇宙預金✨


チャリン✨チャリン✨