前々回の続きです。


髄膜脳炎の意識障害が改善した私は、入院当初のような高熱を出さなくなり(寝汗をかかなくなった🙌)、倦怠感も和らいでいました。


相変わらず頭痛は続いていましたが、アイスノンで冷やせば鎮痛剤を飲まなくても何とかやり過ごせる程度でした。


肝臓の数値は

AST

139→167→38→18(普段は13前後)

ALT

514→340→136→24(普段は10前後)


肝臓の治療を全くしないままで落ち着いてきました(関係ないとは思いますが、リウマチのお医者さんに処方されたプレドニゾロン2.5mgは毎日飲んでいました)。


肝臓の主治医の先生は、

「肝臓は髄膜脳炎の巻き添えをくったみたいなもの。他のところが悪くても肝臓の数値が上がりますからね。」


のど飴を食べてもよいか質問すると、

「肝臓だけだったら、もう退院です。売店でアイスでもケーキでも何でも買って食べていいですよ。」

とうれしいお言葉(買いに行けませんけどね)。


ついでに食事を肝臓食から普通食に戻してくれました😊。


ただ、この頃から、おなかの表面がひりひり痺れる感じがしたり、歩くときに右脚に違和感があったりなど、気になる症状も出てきました。


神経内科のお医者さんに相談すると、やはり髄膜脳炎の影響であり、その症状は

「治る人も治らない人もいる。」

という何とも率直なお答えでした😅。


相変わらず離床センサーが付いていて、歩くのは数歩先のトイレに行く程度。


1日の歩数は100歩こえるかどうかだったと思います。


そんな中、髄膜脳炎の原因を特定するために、採血はもちろん、MRI、血流検査、髄液検査(入院中に合計4回😱)等を受けました。


ただ年末にあたってしまったため、培養検査や外部に委託する検査は年明けになるということでした。


こうして私は、髄膜脳炎の原因が特定されないまま、病室で2023年を迎えることになりました。


年末は検査もなく、のんびり。


さとるさんに栗きんとんをリクエストしたり、

年賀状を書いたり、

またまた遺言書やお別れの手紙を書いたり(肺腺癌の時よりずっと真剣でした)、

「退院できたらしたいことリスト」を書いたりして過ごしました。


普通食に戻してくれたおかげで、大晦日の天ぷらそば、元旦のおせち料理も食べられました(限られた予算なのに工夫されていて感動!)。


また、看護師さんが、

「今日は消灯後もテレビ、ある程度ならオッケーですよ。」

と言ってくれたので、紅白歌合戦の審査員席の羽生くんと愛菜ちゃんを見て和んだり。


生まれて初めて家族と離れて迎えた年越しでしたが、たくさんの方のおかげで無事に新年を迎えられ、感謝の気持ちでいっぱいでした。